津軽 寿世(つがる ひさよ、旧字体:津軽 壽世)は、江戸時代中期の陸奥国弘前藩分家・黒石領(4000石)4代当主。
略歴
弘前藩4代藩主・津軽信政の五男として誕生した。
正徳4年(1714年)7月12日、大身旗本で一門の津軽政兕の婿養子となった。同年12月28日、7代将軍・徳川家継に御目見した
。享保19年(1734年)6月21日、当主となった。
家の慣例により、宗家弘前藩主(当時は実兄で5代藩主の津軽信寿(信壽))から偏諱(「寿(壽)」の字)を受けて寿世(壽世)と名乗った。
元文4年(1739年)8月15日、館林城の在番を命じられた。
宝暦4年(1754年)12月10日、隠居し、長男の著高に家督を譲った。隠居後、泰翁と号した。
系譜
父母
正室
子女
脚注
津軽氏 黒石領4代当主 (1734年 - 1754年) |
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交代寄合 | |
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外様大名 | |
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