浜頓別駅(はまとんべつえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字浜頓別にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅(廃駅)である。電報略号はハト。事務管理コードは▲121908[3]。
1989年(平成元年)5月1日に廃止となった天北線を所属路線とし、1985年(昭和60年)まで興浜北線が分岐した。また天北線廃止時まで運行されていた急行「天北」の停車駅であった。
歴史
駅名の由来
→「頓別」の由来については「
頓別川」を、「浜頓別町」の命名経緯については「
浜頓別町」を参照
「頓別川がオホーツク海にそそぐ附近にある」ためとして命名された[11]。なお、自治体名としての「浜頓別」は駅開業後の1951年(昭和26年)の町制施行時からである[6]。
駅構造
廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。かつては島式ホーム2面3線(駅舎側ホームは片面使用)を有しており[12]、1985年(昭和60年)7月1日に興浜北線が廃止されたのち、1番線の線路が撤去された。尚、1983年(昭和58年)時点では駅舎側(東側)から1、2、3番線で、2、3番線ホームと駅舎は南稚内方の跨線橋で、1番線ホームと駅舎は通路で連絡していた。1番線が興浜北線専用[13]、2番線が天北線上り、3番線が天北線の下りとなっていた。そのほか1番線ホームの未利用の片面部分に旧貨物側線を1線有し、3番線の外側(西側)に5線の側線、及びそれらから分岐した側線があり、うち1線には転車台も備えられていた[12]。
職員配置駅で、駅舎は構内の東側に位置していた[12]。鉄筋の駅舎は内部もかなり広く取られた、天北線の中心駅、また観光の拠点らしい建物であった[12]。1983年(昭和58年)時点では待合室にズワイガニの剥製が展示されていた[12]。「わたしの旅スタンプ」が設置されていた[12]。
興浜北線は当駅所属の車掌が担当していた。
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度
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乗車人員
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出典
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備考
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年間
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1日平均
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1934年(昭和09年)
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86
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[14]
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1951年(昭和26年)
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376
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1961年(昭和36年)
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873
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1965年(昭和40年)
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1028
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1971年(昭和46年)
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580
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1978年(昭和53年)
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510
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[15]
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1981年(昭和56年)
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408
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[14]
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1985年(昭和60年)
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350
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同年7月に興浜北線廃止
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駅周辺
駅跡
廃止後は設備を撤去後、浜頓別町により「浜頓別バスターミナル」として整備された。宗谷バスの窓口が設置され、天北線代行バス・興浜北線代行バス・都市間バスが乗り入れることとなった。建物2階には、浜頓別町立図書館と鉄道記念館が設けられた。1997年(平成9年)時点では空地も多かった[17]。駅の裏手に当たる位置には、2001年(平成13年)8月、浜頓別町役場が移転新築された。
駅跡の「浜頓別バスターミナル」は、2019年(平成31年)4月に、国道を挟んだ北側の道の駅北オホーツクはまとんべつ内の浜頓別町交流館に移転し、各バス路線はそちらへ乗り入れる形に変更された[18][19]。旧バスターミナルの建物は2021年(令和3年)に全館が町立図書館としてリニューアルされた[20]。鉄道関係資料の一部は駅跡東側にある浜頓別町郷土資料館に収蔵されている[21]。
線路跡の一部は国道275号に転用されたほか、公園や遊歩道として整備された。また南稚内方の線路跡は当駅跡から猿払駅跡までが「北オホーツクサイクリングロード」に転用されている[22]。
その他
1987年(昭和62年)4月時点で、当駅を発着駅とする区間列車が1往復(音威子府駅 - 当駅間)設定されていた(1987年(昭和62年)3月20日改定の時刻[23])。
隣の駅
- 北海道旅客鉄道
- 天北線
- 常盤駅 - 浜頓別駅 - 山軽駅
- かつて当駅と山軽駅との間に北頓別仮乗降場(きたとんべつかりじょうこうじょう)が存在した(開業年月日不詳、1967年(昭和42年)10月1日廃止)。
- 日本国有鉄道
- 興浜北線
- 浜頓別駅 - <頓別仮乗降場> - 豊牛駅
脚注
参考文献
関連項目