湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は、東京都文京区湯島三丁目にある天満宮で、菅原道真を含む二柱の祭神を祀る神社。通称は湯島天神(ゆしまてんじん)、旧称は湯島神社(ゆしまじんじゃ)。
旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「加賀梅鉢紋」。境内は梅花の名所として知られる[2]。
概要
雄略天皇2年(458年)、勅命により創建されたと伝わり、当初の祭神であった天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)に加えて、南北朝時代の正平10年(1355年)2月に郷民が菅原道真を勧請した[3]。
江戸時代には幕府の崇敬・庇護を受け、江戸・東京における天神信仰の中心となった[3]。学問の神様として知られる菅原道真を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れ、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。
江戸時代から梅の花見の名所であり、第二次世界大戦後は2~3月に「梅まつり」が開かれている[2]。白梅を中心に2024年時点では約200本あるが、終戦直後に植樹されてから老化が進み、木の数やつける花が減っており、湯島天満宮は植え替えや土の入れ替えなどにより庭園化する再生プロジェクトを進めている梅[2]。
湯島天満宮の梅を歌った『婦系図』の歌(湯島の白梅)』(1942年 歌唱:藤原亮子・小畑実)[4]は戦中時の歌として大ヒットした。
歴史
前述のように、古代から鎮座すると伝わる神社であり、江戸時代には徳川将軍家により朱印地を与えられた[3]。
明治維新に伴う神仏分離までは、東叡山寛永寺が湯島天満宮の別当であり、別当寺として実務を担ったのは天満宮に近い喜見院であった[3]。
明治5年、近代社格制度において明治5年(1873年)にまず郷社とされ、明治18年に府社に昇格した[3]。
平成13年(2001年)、神社本庁の別表神社に指定された。平成12年(2000年)3月31日、「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称。
境内
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本殿、
権現造、社殿は明治18年に改築されたが老朽化により平成7年(
1995年)12月に再建
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鳥居(2018年2月3日撮影)
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拝殿(2018年2月3日撮影)
寛文7年(
1667年)創建、都指定文化財
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境内(2018年2月3日撮影)
摂末社
摂社
- 戸隠神社(とがくしじんじゃ) - 祭神は本殿の祭神としても祀られている天之手力雄命 (あめのたぢからをのみこと)。
末社
祭事
文化財
東京都指定文化財
文京区指定文化財
- 板絵着色 野見宿禰と当麻蹶速図額装 1面(絵画):昭和57年11月1日指定
- 板絵着色 入船図額装 1面(絵画) - 昭和57年11月1日指定
- 紙本墨画 龍・虎図 2面(附 鷹・山水図 2面)(絵画):昭和57年11月1日指定
- 天神面 1面(彫刻):平成6年11月1日指定
- 湯島天神門前総図(古文書):昭和50年11月1日指定
- 奇縁氷人石(有形民俗文化財):昭和60年11月1日指定
氏子地域
- 文京区湯島一丁目(2・3・13除く)二~四丁目
- 文京区本郷三丁目(全域)、二丁目(一部)
- 千代田区外神田二丁目1~4、5(一部)
- 台東区上野三丁目1、4・5、8~12、19~22、25・26、五丁目20(一部)
※一部妻恋神社(湯島三丁目)、三河稲荷神社(本郷二丁目)と氏子地域が重複する。
湯島天満宮を舞台とする作品
現地情報
- 交通アクセス
- 周辺
脚注
参考資料
関連文献
関連項目
外部リンク