滝観洞(ろうかんどう)は、岩手県気仙郡住田町上有住にある石灰岩からなる鍾乳洞(洞窟)。滝観洞観光センターが設置され、住田町の著名な観光名所の一つである。本項ではすぐ近くにある白蓮洞についても述べる。
概要
滝観洞は石灰岩でできた鍾乳洞で[注 1]、これまでの調査と測量で総延長3,635メートル以上(国内第10位)、高低差115メートル(国内第24位)と報告されている[注 2]。一般公開されているのは、入口から天の岩戸の滝までである[注 3]。
天の岩戸の滝
入口から地底を約880メートル進んだところにあるドーム状の空間は高さ60メートル、周囲50メートルの広さがある[5]。その天井の裂け目から流れ落ちる洞窟内の滝は、29メートルの落差を持ち、1958年(昭和33年)に滝観洞を訪問した女流歌人の柳原白蓮によって「天の岩戸の滝(あまのいわとのたき)」と命名された[18][11]。
天の岩戸の滝より奥の非公開部にも、少なくとも2つの滝と1つの地底湖が確認されており、それぞれ住田の滝、重義の滝[注 4]、無限の泉と命名されている[11]。
風恋橋
滝観洞入口の前にはJR上有住駅北東の高清水山()に発する気仙川の上流部が流れており[注 5]、朱色の太鼓橋である風恋橋(かざこいばし)が架かっている[23]。1957年(昭和32年)に洞窟の観光地化を目指して作られた幅1.5メートル、長さ約13メートルの鉄筋コンクリート造の橋であり、名称は一般公募により地元の女子高校生が命名した。「想いを胸に風恋橋を渡り天空から輝き舞う、滝の雫を見れたら願い事が叶う」という伝説がある[24]。
イベントその他
毎年5月のゴールデンウィークには「滝に鯉(恋)まつり」が開催される[25]。また毎年8月の第一日曜日にイベント「滝観洞まつり」が開催され[26]、五葉山火縄銃鉄砲隊の演武などがおこなわれる[27]。
東北自然歩道「新・奥の細道」の一部として、滝観洞・白蓮洞の中を通る2.3キロメートルの「No.39 滝観洞のみち」が設定されている[28][29]。
洞窟は滝観洞・白蓮洞ともに住田町が所有し[30]、滝観洞観光センターを運営する住田町の第三セクターである住田観光開発株式会社が管理・経営している[31][32][33]。
洞内の見所
洞内の公開
- 営業時間
- 通常:8:30 - 16:30
- 冬季(11月 - 2月):土日祝のみ入洞可[注 6]、8:30 - 16:00
- 休業日 年末年始(12月28日 - 1月3日)、冬季期間の平日[18]
- 入洞料金
区分 |
金額
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大人 |
1,100円
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小中学生 |
500円
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未就学児 |
無料
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- 団体割引有り
- 東日本大震災以前は滝観洞・白蓮洞の共通入洞券であった
白蓮洞
滝観洞の近く、気仙川の対岸に白蓮洞(びゃくれんどう)がある[29]。石灰岩でできた鍾乳洞であり、確認されている総延長は総延長3,200メートル以上とされる[注 7]。観光洞として一般公開されているのはそのうち約400メートルである[37]。滝観洞よりも古い時期に形成されたとされる[38]。洞内は広い空間を持ち、頭上にも通路がつながる立体的空間となっており[注 8]、その景観は滝観洞と大きく異なる[39]。1975年(昭和50年)に一般公開された当初は滝観新洞と呼称していたが、天の岩戸の滝を名付けた歌人柳原白蓮にちなみ[39]、1983年(昭和58年)に「白蓮洞」と改称された。また、ケイビング関係者の間では空穴第2洞の名で知られている[42][13][43]。
白蓮観世音菩薩、六地蔵尊菩薩、千手観世音菩薩、水子地蔵尊、子育地蔵尊菩薩、延命地蔵尊菩薩が祀られ、参拝者も多かったが、東日本大震災の被災により閉鎖されている[39][注 9]。
冬季の気候条件によって洞内に多数の氷筍が形成されることがあり、観賞会を催したことがある。2011年(平成23年)2月に開催された際の地元紙記事では、「20年ぶりの貴重な光景」と語られている[55][56]。
洞内の見所
洞内の公開
白蓮洞は2011年(平成23年)の東日本大震災の被害により閉鎖され[58]、観光客は入洞できない(2023年5月末現在)[39]。観光客入洞の再開には安全性の確認調査、落石の除去、岩塊固定工事、非常用設備の設置など相当額の費用が見積もられ、閉鎖を継続せざるをえない旨が2018年(平成30年)12月の住田町議会で町長から回答されている[59]。
歴史・沿革
受付施設
滝観洞観光センター
受付施設として滝観洞観光センターがある[73]。滝観洞観光センターの旧施設は老朽化が進んでいたため[74]、2020年度に整備計画が策定され、公募型プロポーザルで施設を「おらいの滝観洞」として整備することをアトリエハレトケと武山大樹建築設計事務所の共同企業体が提案していた[73][75][76]。
同案を提案したアトリエハレトケと武山大樹建築設計事務所の共同企業体が設計業務を担当することが決定し[73]、新施設は旧施設隣に新築された[77]。1階には物販スペースと入洞受付があり、2階にアトラクション「滝流しそば」を体験できるテラスが設けられている[77]。2024年4月20日には内覧会がおこなわれ、観光関係者が視察した
[74][78]。
同月27日にリニューアルオープンし、テープカットが行われた[72]。名物の「滝流しそば」も2年ぶりに再開し、続くゴールデンウィークには「滝に鯉(恋)まつり」を開催する[78]。
滝流しそば
滝観洞の名物に、滝のように流れるそばを味わう滝流しそばがあり、滝観洞観光センターで提供されている[79]。施設の改築に伴い、2022年(令和4年)5月22日で営業を一時休止していたが[79][80]、2024年4月27日のリニューアルオープンとともに再開した[72]。
受賞歴
所在地
岩手県気仙郡住田町上有住字土倉298-81
周辺
交通アクセス
- ※駐車場は80台収容[6]
脚注
注釈
- ^ 国立極地研究所の船木実は、『JAPAN CAVING 岩手県住田町洞穴特集号』に寄稿した論稿「滝観洞」で「滝観洞は,一部で大理石中にできた鍾乳洞と言われているが,これは洞内の一部で見られる白と黒の石灰岩のまだら模様が大理石に似ていることからそう呼ばれている。しかし,滝観洞付近の石灰岩は全く熱変成を受けておらず,大理石ではない。」と明記している。なお、同論稿は「1. 歴史」「2. 滝観洞の石灰岩」「3. 滝観洞で発見されたマウンテンレザー」「4. 滝観洞の概容と水文的考察」「5. 滝観洞の水質」「6. こけし穴についての考察」「7. 滝観洞の水源について」の7節からなる。
- ^ 滝観洞の総延長は、ケイビング団体である地底旅団ROVER元老院[2]のウェブサイトによると、2011年(平成23年)発行の『東京スペレオクラブ10周年記念誌』[3]掲載の報告で「4,842.4メートル以上」(全国第7位)に更新されたという[4]。2023年5月末現在、滝観洞公式ウェブサイトを含め、総延長を「3,635メートル以上」と記載する[5][6]のは、東京スぺレオクラブ(東京都)と東山ケイビングクラブ(一関市)の合同調査による2008年(平成20年)の報告に基づく[7][8]。なお、2011年頃までは住田町や滝観洞の公式ウェブサイトで総延長を「1,132メートル」と表記していた[9][10]。
- ^ 天の岩戸の滝が流れ出る開口部(滝口)からさらに奥へと洞窟は続いている。滝観洞の本格的な調査と測量は1963年(昭和38年)に始まり、これまでに愛知学院大学、愛媛大学、東海大学探検学会[11][7][12]、秋田大学ケイビングクラブ、明治大学附属中野高校地底部、明治大学地底研究部[13]、東京スペレオクラブ(東京都)・東山ケイビングクラブ(岩手県一関市)合同調査チーム[8]などがあたっている。天の岩戸の滝の上層に広がる洞窟の構造については、東京スペレオクラブウェブサイトの「プロジェクトギャラクシー」ページに「天の岩戸の滝上層縦断面図」(2008年2月)が掲げられている[16]。画像右下に滝があり左方に住田の滝、重義の滝、無限の泉が確認でき、上方にアキラホール[8]が確認できる。また2008年(平成20年)11月にIBC岩手放送の撮影クルーが非公開部分を映像に収めており[11]、DVDで上映していることがある[17]。
- ^ “重義の滝”の「重義」は東海大学の創立者松前重義の名前にちなむ。発見したのが東海大学探検学会であったため[11]。
- ^ 岩手県公式ウェブサイトは気仙川の水源を高清水山と記す[19]。ただし、国土地理院地図では滝観洞前の渓流に土倉沢()の名称が与えられており[20]、国土交通省が提供する国土数値情報(河川データ)[21]では、高清水山に発する土倉沢と箱根山(箱根峠)に発する箱根沢との合流地点から気仙川の名称を与えている[22]。
- ^ ただし11月から2月の冬季期間においても、15名以上の団体は事前予約により平日の入洞が可能[18]。
- ^ 地底旅団ROVER元老院ウェブサイトが提供する「洞窟ランキング:総延長1000 m以上の横穴ランキング」[36]に拠る。1987年(昭和62年)発行の『日本の大洞窟』(日本ケイビング協会)は、白蓮洞(空穴第2洞/滝観新洞)の総延長を「3,200メートル以上」と記載しており、2022年時点で国内第16位の長さだという[36]。
- ^ リーフレット『感動空間 滝観洞 / 立体空間 白蓮洞』は、白蓮洞について「滝観洞とは全く異なった様相の鍾乳洞。頭上にも通路がつながっている程 高低差がある立体的な形状が特徴」と紹介している[6]。
- ^ 被災以前の白蓮洞に入洞した探訪記がウェブ上にまだ残っている[44][45][46][47][48][29][49][50][51][52]。非公開部分について写真とともに記された貴重なページもあり[53]、とりわけ明治大学地底研究部のブログは「白蓮洞」「上有住合宿」といった表題で洞内の様子を詳しく伝えている[54]。
- ^ 歌碑は白蓮洞の入口前にある。碑に刻まれた短歌は滝観洞の天の岩戸の滝を詠んだ「神代よりかくしおきけむ滝つ瀬の世にあらはるるときこそ来つれ」で、刻字は柳原白蓮の直筆から起こしている[39]。歌碑は東日本大震災で倒れたが[57]、移設されて2014年(平成26年)に除幕式がおこなわれた[27]。
- ^ 大会は住田町の協力と資金援助のもと1980年8月1日から4日にかけておこなわれた[64]。大会の開催を記念して日本ケイビング協会の会誌『JAPAN CAVING』の特別号『JAPAN CAVING 岩手県住田町洞穴特集号』が刊行された。各種調査報告、写真のほか「住田町洞穴目録」「住田町洞穴測量図」「住田町の洞穴探検調査史」などを収め、本文97ページ。同号目次は日本洞窟学会ウェブサイトで公開されている[65]。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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