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盾津飛行場

盾津飛行場(たてつひこうじょう)は、大阪府東大阪市(旧河内市、稼働当時は中河内郡盾津町)本庄・本庄東・本庄西・本庄中、新庄南・新庄西にかつて存在していた軍用飛行場である。第二次世界大戦後、廃止・閉鎖された。現在は、大阪機械卸業団地トラックターミナルとなっている。

概要

戦前・戦中

当時の飛行場(概要)

  • 総面積 253,800平方メートル。
  • 滑走路 2,460平方メートル(744メートル、填圧、平面)。
  • 誘導路 不明。
  • 掩体壕 練兵場跡に数基。
  • 格納庫 3棟(各234坪。小型機70機格納可)。
  • 兵舎 教育隊舎10、寄宿舎1(隊員40名収容)、隊長宿舎、講堂兼道場、食堂、浴場。
  • その他、発動機工場、木工場。

戦後

  • 1945年(昭和20年)8月 - 終戦に伴い米軍に接収され閉鎖。
  • 1945年(昭和20年)11月-「緊急開拓事業実施要綱」により練兵場跡の開墾が実施された。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 飛行場の居住施設・格納庫跡に盾津町立中学校(現東大阪市立盾津中学校)が開校。
  • 1950年(昭和25年)8月 - 飛行場跡が農地として払い下げられる。
  • 1969年(昭和44年)飛行場跡地の一部は、流通業務団地地区に指定され大阪機械卸業団地・トラックターミナルが設置された。

脚注

  1. ^ [1].大阪陸軍飛行場. 2010年12月30日。
  2. ^ [2].市民から市民へ語り継ぐ戦争体験(盾津飛行場の語り部).2012年8月31日。
  3. ^ [3].不明。

外部リンク

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