矢嶋 英敏(やじま ひでとし、1935年(昭和10年)1月25日 - 2021年 (令和3年) 7月7日 [1])は、日本の防衛庁官僚、実業家。株式会社島津製作所元代表取締役社長、代表取締役会長、相談役。社団法人京都工業会会長、社団法人日本分析機器工業会会長、財団法人関西文化学術研究都市推進機構理事長、慶應義塾評議員を歴任。勲章は旭日重光章、褒章は藍綬褒章。
人物
10歳で終戦を迎える。慶應義塾大学文学部でドイツ文学を専攻し、慶應義塾体育会野球部入部[2]、マスコミ志望だった。防衛庁に入省しの輸入課契約係から創立直後の日本航空機製造株式会社へ移り、第二次世界大戦後に初めて日本のメーカーが開発した旅客機である「YS-11」の販売に当たる。西アフリカ地域を担当。更に、42歳で島津製作所にスカウトされて航空機部品の売り込みに奔走。当社の社員でノーベル化学賞を受章した田中耕一のノーベル賞受賞決定の第一報を、アメリカ出張中に聞く。会社創設以来、27年ぶりに京都大学出身者以外の経歴で社長に登り詰め、赤字だった会社を奇跡のV字回復を達成させた[3]。
経歴
受章
その他役職
脚注
関連項目
外部リンク
出典