第十方面艦隊(だいじゅうほうめんかんたい)とは、昭和20年(1945年)2月5日に日本海軍が編制した方面艦隊である。新任司令長官は福留繁中将[1]。司令部をシンガポールに置き、インドシナ半島とインドネシアを管轄区域とした。兵力部署においては当初「西部方面部隊」と呼称され[2][注釈 1]、第四南遣艦隊(濠北部隊)と共に日本陸軍の南方軍隷下におかれた[4][5]
マニラで孤立した南西方面艦隊司令部の指揮系統を引き継ぐ為に急遽編制されて第十艦隊となる所だったが、発足直前に方面艦隊に格上げされたのでこの幾分変わった部隊名称となった。
概要
太平洋戦争の進展に伴う戦線の伸張によって、日本海軍は広大化した勢力圏を複数の区画に分割し、それぞれに方面艦隊を設置して作戦行動を委任していた。緒戦の南方作戦によって掌握した東南アジア全域は南西方面艦隊の管轄区域となっていたが、アメリカ軍を基幹とする連合軍のフィリピン反攻作戦およびルソン島上陸作戦により[6]、南西方面艦隊司令部(第三南遣艦隊司令部兼任)がマニラで孤立してしまったので、仏印(インドシナ)に駐留する第一南遣艦隊と、蘭印(インドネシア)の防衛を担当する第二南遣艦隊及び第十三航空艦隊の指揮が取れなくなった。
そこで上記の隷下部隊を南西方面艦隊から分離し、第五艦隊(第二遊撃部隊)も解隊再編し[注釈 2]、それらを指揮する上部組織として新しく編制されたのが第十方面艦隊であった[注釈 3]。
同時に南西方面艦隊の管轄はフィリピンのみとなった[注釈 4]。
第十方面艦隊の司令部はシンガポールに置かれ、第一南遣艦隊司令部と第十三航空艦隊司令部を兼ねる形となった。臨時に設置されたものだったので当初の部隊序列は艦隊とされ、すでに第九艦隊までが存在していた事から第十艦隊となる所だったが、発足直前に方面艦隊に格上げする事が決まり、第十方面艦隊という名称に落ち着いたようである。
新編時には重巡洋艦で編制された第五戦隊、第四航空戦隊の伊勢型航空戦艦2隻が所属し[注釈 3]、第二水雷戦隊(司令官古村啓蔵少将)の駆逐艦数隻も第十方面艦隊の指揮下にあった[10]。四航戦と二水戦は北号作戦により第十方面艦隊の指揮を解かれ[注釈 1][注釈 5]、日本本土へ帰投し[12][13]、二度と東南アジアに再進出する機会はなかった。
3月10日、第四南遣艦隊が解隊され、所属戦力は第十方面艦隊に吸収された[注釈 6]。
歴代司令長官
- 福留繁中将:1945年2月5日[1] -(終戦)
歴代参謀長
- 朝倉豊次少将:1945年2月5日[1] -(終戦)
隷下部隊
1945年2月5日の新編時
1945年6月1日の最終時
- 司令部附属
- 第5戦隊 -
- 第33防空隊
- 第105防空隊
- 第36設営隊
- 第201設営隊
- 第202設営隊
- 第203設営隊
- 第224設営隊
- 第232設営隊
- 第25根拠地隊
- 第7警備隊
- 第20警備隊
- 第21警備隊
- 第26警備隊
- 第27警備隊
- 第29警備隊
- 第27特別根拠地隊
- 第28根拠地隊
- 第18警備隊
- 第一南遣艦隊
- 第9特別根拠地隊
- 第10特別根拠地隊
- 第44掃海隊
- 第10港務部
- 第10通信隊
- 第11根拠地隊
- 第10警備隊
- 第11警備隊
- 第12特別根拠地隊
- 第14警備隊
- 第25警備隊
- 第13特別根拠地隊
- 第12警備隊
- 第13警備隊
- 第17警備隊
- 第15根拠地隊
- 第11駆潜隊
- 第9警備隊
- 第11潜水艦基地隊
- 第3110設営隊
- 第二南遣艦隊
- 第21特別根拠地隊
- 第3警備隊
- 第4警備隊
- 第5警備隊
- 第6警備隊
- 第21潜水艦基地隊
- 第1港務部
- 第21通信隊
- 第22特別根拠地隊
- 第2警備隊
- 第2港務部
- 第23特別根拠地隊
- 第8警備隊
- 第7特設輸送隊
- 第十三航空艦隊
- 第31海軍航空隊 零観×8、零式水偵×8
- 第381海軍航空隊 零戦×15、雷電×15、練習機×10、一式陸攻×10
- 第936海軍航空隊 零式水偵×6
- 第28航空戦隊 東海×6 零観×6
- 馬来海軍航空隊 艦爆×15 艦攻×30 零観×13
- 東印海軍航空隊 艦爆×8、艦攻×8、東海×8
- 印支海軍航空隊 月光×12
- 所属艦艇
- 重巡洋艦:足柄[注釈 10]、妙高、高雄[注釈 11]
- 駆逐艦:神風
- 海防艦:第61号海防艦
- 特設砲艦:南海
- 敷設艦:初鷹、若鷹
- 潜水艦:4隻
- 通信艦艇:4隻
- 他46隻
- 輸送船:46隻
- 水雷艇:雉、雁
- 駆潜艇:第1号駆潜艇 第2号駆潜艇 第3号駆潜艇 第4号駆潜艇 第5号駆潜艇 第34号駆潜艇 第41号駆潜艇 第43号駆潜艇 第56号駆潜艇 第57号駆潜艇
- 哨戒艇:第2号哨戒艇
- 掃海艇:第8号掃海艇
- 哨戒艇:第36号哨戒艇 第106号哨戒艇 第109号哨戒艇
※他に、書類上の在籍として戦没した「羽黒」[注釈 12]と「五十鈴」[注釈 13]がある。
脚注
注釈
- ^ a b c (1945年2月10日)[3] 十日二二二二第十方面艦隊(司令長官)|十一日〇〇一八 第十方面艦隊各(司令官)(司令)|西部方面部隊電令作第十(脱?)號 西部方面部隊兵力部署中襲撃部隊ヨリ4Sf(大淀ヲ含ム)2Sdヲ除ク|無電
- ^ 二月五日[7] 第五艦隊ハ戰時編制ヨリ除カレ第三十一戰ハ高雄警備府附属トナリ第五戰隊 第四航空戰隊ハ第十方面艦隊ニ編入 第二水雷戰隊(内地方面所在艦ヲ除ク)ハGF所属トシテ當分ノ間第十方面艦隊司令長官ノ指揮下ニ作戰ニ從事スルコトトナレリ
- ^ a b c (ロ)我軍ノ情況[8](一)菲島及南支那海方面戰局ノ急轉ニ関聯五日第五艦隊及第二遊撃部隊ハ解編セラレ第十三航空艦隊第一、第二南遣艦隊及第五戰隊第四航空戰隊ヲ以テ第十方面艦隊ヲ編成二水戰(内地所在部隊ヲ除ク)ハ一時之ガ作戰指揮下ニ入ル 次デ更ニ七日第十方面艦隊及第四南遣艦隊ハ聯合艦隊司令長官ノ指揮下ヲ離レ南方軍總司令官ノ指揮下ニ入リ南方要域ノ確保ニ任ズルコトトナレリ
- ^ 一九四五年春に於ける南西方面の一般情勢(中略)[9] こゝに於て、一九四五年二月五日附を以つて、第十三航空艦隊、及び第二南遣艦隊を以つて第十方面艦隊が新編せられ、同時に南西方面艦隊司令長官の管轄地域は從來の第三南遣艦隊司令長官の管轄地域、即ち、菲島方面に限定せられるに至つた。第十方面艦隊司令長官には、從來菲島方面にあつた第二航空艦隊司令長官福留繁海軍中将が新任せられた。またこれと同時に、第十方面艦隊司令長官及び第四南遣艦隊司令長官は南方軍司令官の指揮を承けしめられた。(以下略)
- ^ (1945年2月10日)[11] 十日一四二〇(司令長官)GF|十日一六〇七 第十方面艦隊、(司令官)4Sf|GF電令作第五〇九號 2Sd(霞、朝霜、初霜)ニ對スル第十方面艦隊司令長官ノ作戰指揮ヲ解キ一時同隊ヲ4Sf司令官ノ作戰指揮下ニ入ル|無電
- ^ 濠北方面を管轄とした第四南遣艦隊は、その長官が新第十方面艦隊司令長官より先任であつた爲、右の改編に於ては獨立艦隊とせられたが、約一ヶ月後、一九四五年三月十日附にて第四南遣艦隊は解隊せられ、濠北方面も亦、第十方面艦隊の管轄下に入つた[14](以下略)
- ^ 1945年(昭和20年)1月1日付で第五戦隊に編入される[16]。
- ^ 北号作戦に関して「大淀」は2月10日付で第四航空戦隊に編入され[17]、完部隊として内地へ帰投した[18]。
- ^ (中略)[19]當時第十方面艦隊麾下に於て、唯一の移動兵力であつた第十三航空艦隊の兵力は組織上には、第二十三及び第二十八兩航空戰隊の陣容を擁してゐたが、その實兵力に於ては、零戰約五〇、月光約五機、陸攻約一七機程度を有するにすぎず、局地防衛の兵力にも滿たなかつた。また水上兵力に於ては足柄、羽黒、五十鈴及び若干の小艦艇にすぎず、これまた頼むに足りなかつた。(以下略)
- ^ 1945年6月8日、バタヴィア輸送作戦中にイギリス潜水艦「トレチャント」の雷撃で沈没。
- ^ シンガポール在泊中の1945年7月30日、イギリス海軍の豆潜水艦によるストラグル作戦で小破した。
- ^ 1945年(昭和20年)5月16日、ペナン沖海戦で沈没。
- ^ 1945年(昭和20年)4月7日、アメリカ潜水艦ガビラン」と「チャー」の雷撃で沈没。
出典
参考文献
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『昭和19年11月1日~昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030020100。
- 『昭和20年2月10日~軍艦大淀戦闘詳報』。Ref.C08030578500。
- 『昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030103000。
- 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。Ref.C08051772000。
- 『1945年に於けるボルネオ方面の作戦』。Ref.C14061130000。
- 『1.1945年春に於ける南西方面の一般情勢』。Ref.C14061154300。
関連項目
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