第7飛行隊(だい7ひこうたい、JASDF 7th Fighter Squadron)は、かつて航空自衛隊飛行教育集団第4航空団隷下にあった戦闘機部隊。F-86F飛行隊として1960年(昭和35年)に松島基地で新編され、1977年(昭和52年)に閉隊した。
概要
第7飛行隊はF-86F飛行隊として、1960年(昭和35年)2月1日に、宮城県松島基地第5航空団隷下として新編された。第5航空団は宮崎県新田原基地への移動が予定されていたが、第7飛行隊は松島基地に残ることとなり、同年7月1日に第4航空団隷下に編入された。第7飛行隊は第5飛行隊とともに要撃戦闘任務を行い、所属機には空対空ミサイル用ランチャーを主翼内側に装着した機体が多く配備されていた[1][2]。
1973年(昭和48年)8月23日に第1航空団臨時松島派遣隊が解隊されると、第7飛行隊はその跡を継いで戦闘訓練飛行隊に改編され、飛行教育集団隷下に編入された。国産高等練習機T-2の配備が始まると、第7飛行隊で行っていた戦闘機操縦課程教育も移行され、第7飛行隊は1977年(昭和52年)6月30日に閉隊した[1]。
沿革
歴代運用機
脚注
出典
- ^ a b c d e イカロス出版 JWing No.121 2008年9月号 52頁 「集まれ!日本の戦闘機部隊 航空自衛隊、過去の戦闘機部隊」
- ^ イカロス出版 Jwing No.31 2001年3月号 34頁 「僕らの航空自衛隊の50年。これがすべての戦闘機部隊、すべての戦闘機だ!」櫻井定和
- ^ イカロス出版 JWing No.184 2013年12月号 21頁 「戦競2013 戦競、偉大なるその軌跡」松崎豊一
- ^ 大日本絵画 月刊モデルグラフィックス2月号別冊 戦競1988 航空自衛隊昭和63年度航空総隊戦技競技会 68頁-70頁 「戦競史 航空総隊戦技競技会28年の歩み」
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