紀元前655年(きげんぜん655ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元99年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前655年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
できごと
中国
- 晋の献公が勃鞮を派遣して蒲を攻撃させた。重耳は翟に逃れた。
- 斉の桓公・魯の僖公・宋の桓公・陳の宣公・衛の文公・鄭の文公・許の僖公・曹の昭公・周の世子鄭が首止で会合した。諸侯は首止で盟を交わしたが、鄭の文公は盟に参加せずに逃げ帰った。
- 楚の鬬㝅於菟が軍を率いて弦を滅ぼし、弦子は黄に亡命した。
- 晋軍が虞に道を借りて虢を攻撃した。虞公は宮之奇の諫言を聞き入れなかった。
- 晋が虢を滅ぼし、虢公丑が王都に逃れた。
- 晋軍が虢からの帰途に虞を襲撃し、虞公と井伯を捕らえた。
誕生
死去
脚注