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この項目では、1993年の地震について説明しています。能登半島付近で発生したその他の地震については「能登半島地震」をご覧ください。 |
能登半島沖地震(のとはんとうおきじしん)は、1993年(平成5年)2月7日22時27分に石川県の能登半島沖合で発生した地震である。この地震を、消防庁は能登半島沖地震、旧国土庁は能登沖地震と呼称した[注 1][注 2]。
概要
本震
- 発生 : 1993年(平成5年)2月7日[1]22時27分43.7秒(JST)
- 震源
- 震央 : 能登半島沖、北緯37度39.4分、東経137度17.8分
- 震源の深さ : 約25km
- 地震の種類 : 直下型地震
- 地震の規模
- 各地の震度(震度3以上を観測した地点)
津波
22時37分、気象庁は当時の津波予報区分で、6区(新潟県から能登半島の輪島までの沿岸)と、10区(能登半島の輪島の西から福井県までの沿岸)に津波注意報を発表し、22時41分には、5区(東北の日本海沿岸)にも津波注意報を発表した。6区と10区にあたる石川県輪島市において、最大26cmの津波を観測した後、23時30分に津波注意報は解除された。
余震
地震発生から3ヶ月程、震度1〜震度3の体に感じる余震が観測された。最大余震は、2月16日1時51分に発生したM5.0の地震で、新潟県上越市で震度3の揺れを観測した。
被害
この地震による被害は、震源地に近かった石川県珠洲市に集中し、被害総額は約42億円となった。主な被害は次の通りである。
- 負傷者 : 29名
- 住宅全壊 : 1棟[1]
- 住宅半壊 : 20棟
- 一部破損 : 1棟
- 道路被害 : 142箇所
- 水道断水 : 2355箇所
- その他被害 : 珠洲市正院町飯塚にある火宮神社が倒壊、さらに同市正院町正院にある須受八幡神社の鳥居も倒壊した。また観光名所である見附島も被害を受け、東側(島の後方)の一部が大きく崩落した。
類似の構造の地震
脚注
注釈
- ^ 『国土庁長官官房水資源部「日本の水資源-その開発、保全と活用の現状-」』などで「能登沖地震」の表記が使用された。
- ^ 『平成5年版消防白書』・『平成6年版消防白書』などで「能登半島沖地震」の表記が使用された。
- ^ 珠洲市に当時は気象庁が設置する震度計が無かったが、震源地から南西に45km離れた同市宝立町柏原にある石川県小屋ダム管理事務所が設置する強震計では246ガルを記録。また建造物等損傷の程度を考慮すると、震源地に最も近い同市木ノ浦地区においては現行の震度階級で“震度6弱”を観測した可能性がある。
出典
外部リンク
その他
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1910年 - 1919年 |
- 喜界島(1911年、M8.0)
- 日高沖(1913年、M7.0)
- 桜島(1914年、M7.1)
- 秋田仙北(1914年、M7.1)
- 石垣島北西沖(1915年、M7.4)
- 十勝沖(1915年、M7.0)
- 宮城県沖(1915年、M7.5)
- 明石海峡(1916年、M6.1)
- 静岡(1917年、M6.3)
- 択捉島沖(1918年、M8.0)
- 大町(1918年、M6.1+M6.5))
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