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かつて千葉県安房郡にあった「船形町」とは異なります。 |
舟形町(ふながたまち)は、山形県の北部にある人口約5千人の町。
地理
最上川に東の最上町から流れる小国川が合流する地点にできた町。
歴史
舟形町が初めて歴史に登場するのは、8世紀に行われた大野東人の東征である。東人が通った道に「避翼(さるはね)」の地名があり、この頃に多賀城から現在の秋田県内陸南部を通って秋田城へ向かうルートとして登場した。
延喜式の兵部省「諸国駅伝馬条」には、庄内地方を経由して日本海沿岸を秋田城へ向かう官道に、「避翼駅 駅馬十二疋、伝馬一疋・船六隻」の記述が出てくる。この駅亭は水駅と思われ、現在の富田地内の最上川沿いにあったと推定されている。なお、「さるはね」は「猿跳」とも表記され、その地名は猿羽根峠に残っている。
江戸時代には、参勤交代路としても使われた羽州街道の宿場町として発達した。ここから猿羽根峠を越えて村山地方へ向かい、東は最上街道で仙台藩へ、西は舟形街道を通って庄内藩・出羽三山へと通じる交通の交差点であった。新庄藩の藩境であったことから、口留番所が置かれ、人や物資の監視を厳しく行った。
富田は、最上川水運の港のひとつとして繁栄し、新庄藩と天領の境界にも位置していたため、その対岸の堀内には新庄藩の舟番所が設置されていた。
明治時代になると、舟形町・最上町・尾花沢市を中心とした地域に、当時岐阜県・宮城県と並んで「日本三大亜炭田」と呼ばれた「最上炭田」が発見され、町内でも多くの炭鉱で亜炭の採掘が行われ、舟形駅や長沢駅から亜炭が運び出された。
行政
- 町長:
- 星川皦太郎: 旧舟形村村長 (1954年12月 - 1958年12月)
- 澤内甚助 副町長: 旧堀内村村長
- 奥山与市郎 (1958年12月 - 1962年11月)
- 星川五郎兵衛 (1962年11月 - 1964年2月)
- 奥山与市郎 (1964年2月 - 1968年2月)
- 澤内甚一郎 (1968年2月 - 1976年2月)
- 沼澤長吉 (1976年2月 - 1980年2月)
- 澤内甚一郎 (1980年2月 - 1988年2月)
- 沼澤長吉 (1988年2月 - 1992年2月)
- 鈴木勝治 (1992年2月 - 2004年2月)
- 伊藤和昭(2004年2月 - 2008年2月)
- 奥山知雄(2008年2月 - 2016年2月)
- 森富広(2016年2月 -)
- 出典:[1]
経済
郵便局
- 舟形郵便局(集配局)
- 長沢郵便局
- 堀内郵便局
- 長者原簡易郵便局
姉妹都市・友好都市
地域
人口
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舟形町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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舟形町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 舟形町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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舟形町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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8,397人
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1975年(昭和50年)
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8,033人
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1980年(昭和55年)
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8,028人
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1985年(昭和60年)
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7,920人
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1990年(平成2年)
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7,806人
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1995年(平成7年)
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7,546人
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2000年(平成12年)
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6,996人
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2005年(平成17年)
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6,671人
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2010年(平成22年)
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6,164人
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2015年(平成27年)
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5,631人
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2020年(令和2年)
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5,007人
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総務省統計局 国勢調査より
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教育
- 健康福祉
- 学校
- 社会教育
交通
空港
鉄道路線
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
- 主要地方道
- 一般県道
- 山形県道187号芦沢停車場実栗屋線
- 山形県道318号新庄長沢尾花沢線
- 山形県道330号福寿野熊高線
路線バス
観光ほか
出身有名人
脚注
外部リンク
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