荒木田 久老(あらきだ ひさおゆ、延享3年11月21日(1747年1月1日)[1] - 文化元年8月14日(1804年9月17日)[1])は、江戸時代中期から後期にかけての伊勢神宮祠官、国学者[2]。初名は正恭[1]、後に正董[1]と名乗った。通称は弥三郎、主税(ちから)、斎(いつき)など[1]。号を五十槻と称し[1]、家号を五十槻園(いつきのその)と称した。
生涯
伊勢国度会郡に生まれる[1]。実父は外宮権禰宜橋村正身(はしむらまさのぶ)で[1]、自身は二男にあたる[1]。明和2年(1765年)江戸で賀茂真淵に師事し[1]、国学や和歌などを学び、特に『万葉集』を研究した。『万葉考槻之落葉』『祝詞考追考』『日本紀歌之解』『続日本紀歌之解』『竹取翁歌解』などの研究書を著している。1775年(安永4年)内宮権禰宜の荒木田(宇治)久世の養子となり[1]、荒木田久老と名乗る[1]。なお、晩年は伊勢国の県門として本居宣長の学派と対立した。
脚注
参考文献
関連項目
- ^ 関隆治・編『國学者著述綜覧』森北書店、1943年、8頁。