藤原 忠信(ふじわら の ただのぶ)は、平安時代中期の公卿。藤原北家魚名流、中納言・藤原山蔭の曾孫で、伊勢守・藤原祐之の次男[1]。官位は従三位・美濃守。三乃三位と号す[2]。
経歴
一条朝初頭の永延2年(988年)皇太后・藤原詮子の皇太后宮亮を務めていた。その後、美濃守を務めたのち、正暦4年(993年)12月10日に従三位に昇叙されて公卿となるが[3]、その夜に夫妻共々出家[4]。『一代要記』によれば、10日、治国により叙位、翌11日年来の宿願により出家し、「即ち薨じた」[5]。この年、61歳[1]。最終官位は前美濃守従三位。
官歴
系譜
『尊卑分脈』、『公卿補任』による
脚注
出典