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西海フェリー沈没事故

西海フェリー沈没事故
西海フェリー沈没事故の位置(大韓民国内)
出港地 蝟島
出港地
蝟島
目的地 格浦港
目的地
格浦港
西海フェリー沈没事故 (大韓民国)
日付 1993年10月10日 10時10分
座標 北緯35度37分44秒 東経126度22分10秒 / 北緯35.62889度 東経126.36944度 / 35.62889; 126.36944座標: 北緯35度37分44秒 東経126度22分10秒 / 北緯35.62889度 東経126.36944度 / 35.62889; 126.36944
関係者 乗客乗員362人
死者 死者行方不明者292人
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西海フェリー沈没事故
各種表記
ハングル 서해훼리호 침몰 사고
漢字 西海훼리號沈沒事故
発音 ソヘフェリホ チンモル サゴ
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西海フェリー沈没事故(ソヘフェリーちんぼつじこ)は、1993年10月10日10時10分頃、韓国全羅北道扶安郡蝟島朝鮮語版(ウィド)東方沖の黄海で発生した転覆沈没事故である。群山西海フェリー会社所属「西海フェリー号」(110トン、定員は乗務員14人、乗客207人の合計221人)[1]の乗客乗員362人中、死者行方不明者は292人。乗客は蝟島の住民や釣り客などであった[1]

状況

西海フェリーは午前9時40分頃、蝟島を出発し約15km東に離れた格浦(キョクポ)港に向かったが、途中にある小島臨水島(イムスド)付近で10時10分頃に沈没した。現場は混乱し、同日午後11時30分までに判明した生存者は68人と報道されたが90人が救出されたという報道もあった[2]。10月12日午前11時までに判明した生存者は67人と報道された[3]

当時、蝟島の気象は北西の風毎秒10~14m、波高2~3mの悪天候であった。定員221人の2倍近い362人を乗船させる過積載、航海士未搭乗に伴う甲板長の代理業務、船長の乱雑な操船、避難誘導係は2名のみ、船に取り付けられた救命ボート4台のうち1台しか動作しなかったことなども被害の拡大に繋がった。

10月18日、金泳三大統領交通相李啓謚朝鮮語版及び海運港湾庁長(次官級)の2人を更迭した[4]

脚注

  1. ^ a b 韓国でフェリーが沈没、50人死亡 なお70人以上不明か 読売新聞 1993年10月11日 東京朝刊1頁
  2. ^ 51人死亡、約100人不明 乗客定員オーバーか 韓国フェリー沈没 朝日新聞 1993年10月11日朝刊 27頁
  3. ^ 韓国のフェリー事故 65遺体収容、なお100人不明 読売新聞 1993年10月12日 東京夕刊19頁
  4. ^ フェリー沈没事故で韓国交通相を更迭/金泳三大統領 読売新聞 1993年10月18日 東京夕刊2頁

参考文献

関連項目

外部リンク

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