讃岐国(さぬきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。現在の香川県。上国。
国名
古事記に見る神代の呼称は「飯依比古」と云い、伊予之二名島の顔の一つとされた。
国名の表記として、「讃岐」のほか「讃伎」「賛支」とも表記されたことが木簡から分かっている[1]。
高松藩の藩儒、中山城山[注 2]によってまとめられた地誌である『全讃史』(1828年(文政11年)に成立)には「四国内の他の国よりも緯[注 3]が狭いために『狭緯(さぬき)』と称した」とされ、この名称と文字が時を経るに転じて『讃岐』となったと記されている[2][3]。
現在でも香川県の地域区分として「東讃」「中讃」「西讃」という名称が使用されている。
沿革
律令制において、讃岐国造の領域であった現在の香川県の四国部分と、おそらく塩飽諸島を範囲として成立した。江戸時代に小豆島と直島諸島が備前国から譲られた。
平安時代初期には真言密教を興すことになる空海が讃岐国那珂郡に生まれた。平安末期には瀬戸内海水運を握っていた平家が屋島を根拠地の一つとしていたが、源義経の奇襲に敗れて滅んだ。室町時代には細川氏が讃岐に根を張る南朝方を白峰合戦で破ると、讃岐阿波を中心として細川一族が四国を管轄した。
近代以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(395村・293,628石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。
- 香川郡(49村・40,353石余) - 高松藩
- 三野郡(37村・30,106石余) - 丸亀藩、多度津藩
- 豊田郡(46村・20,655石余) - 丸亀藩
- 大内郡(34村・14,642石余) - 高松藩
- 那珂郡(46村・28,630石余) - 幕府領(倉敷代官所)、高松藩、丸亀藩
- 寒川郡(27村・21,919石余) - 高松藩
- 鵜足郡(30村・29,034石余) - 高松藩、丸亀藩
- 山田郡(33村・29,364石余) - 高松藩
- 三木郡(20村・17,491石余) - 高松藩
- 多度郡(24村・17,314石余) - 丸亀藩、多度津藩
- 阿野郡(36村・31,576石余) - 高松藩
- 小豆島(所属郡なし/9村・9,037石余) - 幕府領(倉敷代官所)、美作津山藩
- 塩飽島(所属郡なし/1村・2,613石余) - 自治領(高松藩預地)
- 直島・男木島・女木島(所属郡なし/3村・888石余) - 幕府領(高松藩預地)
- 1868年(慶応4年)
- 1871年(明治4年)
- 1872年(明治5年)1月25日 - 小豆島西部が北条県から香川県(第1次)に移管。全域が香川県(第1次)の管轄となる。
- 1873年(明治6年)2月20日 - 名東県の管轄となる。
- 1875年(明治8年)9月5日 - 香川県(第2次)の管轄となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により愛媛県の管轄となる。
- 1888年(明治21年)12月3日 - 香川県(第3次)の管轄となる。
国内の施設
国府
国府は阿野郡に存在した。現在の坂出市府中町(北緯34度17分36.97秒 東経133度55分06.25秒 / 北緯34.2936028度 東経133.9184028度 / 34.2936028; 133.9184028 (讃岐国府跡))において、2012年度(平成24年度)に中心施設が見つかっている[4]。
神社
- 延喜式内社
- 『延喜式神名帳』には、大社3座3社・小社21座の計24座が記載されている(「讃岐国の式内社一覧」参照)。大社3社は以下に示すもので、いずれも名神大社である。
- 総社・一宮以下
- 『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[5]。
三宮以下は不詳[6]。一説に、多和神社(さぬき市志度、北緯34度19分17.97秒 東経134度09分54.49秒 / 北緯34.3216583度 東経134.1651361度 / 34.3216583; 134.1651361 (多和神社(一説に讃岐国三宮)))では讃岐国三宮であると伝える。
要塞
- 屋島城(高松市屋島東町、北緯34度21分14.76秒 東経134度6分19.21秒)
白鳳7年(667年)白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた大和朝廷が日本本土防衛のため築いた。
地域
郡
『和名抄』には、小豆郡を抜いた11郡(刈田郡含む)が掲げられている。
江戸時代の藩
人物
国司
※日付=旧暦
讃岐守
讃岐介
- 紀長谷雄(892年(寛平4年)5月23日-897年(寛平9年)5月25日)従五位上→従四位下
- (権介)源頼家(1198年(建久9年)1月13日-1199年(建久10年)1月20日)従五位上→正五位下
守護
鎌倉幕府
室町幕府
戦国時代
戦国大名
- 十河氏:在地の土豪で、阿波の三好氏と結び、勢力を拡大した。三好氏没落後、長宗我部元親に領土を奪われるが、豊臣秀吉により十河城周辺のみを安堵された。
- 讃岐香川氏:讃岐守護代。鎌倉景正の子孫で讃岐西半分を支配したが、長宗我部元親に降伏し従ったため、秀吉により改易された。
- 長宗我部元親:土佐の戦国大名。香川氏を従えさせ、1580年頃には讃岐の大半を平定、1584年には十河城を落とし讃岐を完全に平定(離島部を除く)(異論あり)したが、翌年の豊臣秀吉の四国侵攻により土佐一国のみ安堵される。
豊臣政権
武家官位としての讃岐守
江戸時代以前
- 阿波守護細川家(讃州家)
- 細川詮春:南北朝時代の武将。阿波守護細川家(讃州家)初代当主
- 細川持常:室町時代の守護大名。室町幕府相伴衆、阿波・三河守護。讃州家4代当主
- 細川成之:室町時代から戦国時代の守護大名。阿波・三河・讃岐守護。讃州家5代当主
- 細川義春:室町時代から戦国時代の守護大名。阿波・三河・讃岐守護。讃州家6代当主
- 細川持隆:戦国時代の武将。阿波守護。讃州家7代当主
- 細川真之:戦国時代、安土桃山時代の武将。讃州家8代当主
- 細川頼春:鎌倉時代後期から南北朝時代の武将、室町幕府管領細川家(京兆家)の祖。阿波・伊予・備後・日向・越前守護
- 河野通堯:南北朝時代の守護大名。伊予守護
- 山名義幸:南北朝時代の守護大名。丹後・出雲・隠岐守護
- 小田持家:室町時代の武将。常陸小田氏当主
- 十河一存:戦国時代の武将。三好長慶の弟。
- 宗晴康:対馬の守護大名・戦国大名。宗氏第16代当主
- 細川元勝:安土桃山時代の武将。京兆家16代
江戸時代
讃岐国の合戦
脚注
注釈
出典
参考文献
関連書籍
関連項目
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外部リンク
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