賀茂 光栄(かも の みつよし)は、平安時代中期の貴族・陰陽家。丹波権介・賀茂忠行の孫で、陰陽頭・賀茂保憲の長男。官位は従四位上・右京権大夫。
経歴
暦博士・天文博士・大炊頭・主計頭などを歴任、一説には陰陽允を歴任したというが可能性は低い。一条朝初頭の長徳4年(998年)大炊権頭から大炊頭に昇任されるが、職務に堪えられるかどうかはわからないが、一道(陰陽道)の長であることを以て任ぜられたという。長保2年(1000年)弟の前内蔵允・賀茂光国に暦道を習伝させるよう命ぜられている[1]。
祖父・父に同じく抜群の腕を持つ陰陽師であったという。父・保憲は家学であった陰陽道のうち暦道を光栄に、天文道を愛弟子の安倍晴明に譲り、陰陽道の二大宗家「安賀両家」が成立した。光栄はなぜ賀茂氏の家学である陰陽道を分割してまで安倍氏に宗家の地位を与えたのか疑問に思っていたらしく、晴明と争論したという[2]。
三条朝の長和4年(1015年)6月7日卒去。享年77。
官歴
系譜
- 父:賀茂保憲
- 母:不詳
- 妻:弓削仲宣の娘
- 生母不明の子女
登場する創作作品
脚注
- ^ 『権記』長保2年7月9日条
- ^ 『続古事談』
- ^ a b 『九条家本延喜式裏暦』
- ^ a b 『御堂関白記』長徳4年具注暦
- ^ 『権記』
- ^ a b 『小右記』
参考文献