鉄道連隊(てつどうれんたい、旧字体:鐵道󠄁聯隊󠄁)は戦地における鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊に従事する連隊。本項目では、日本陸軍が保有した鉄道連隊について説明する。
概要
日清戦争後に中国大陸など占領地への軍用資材補給を円滑に実施する必要が日本陸軍内で強調され、ドイツ帝国陸軍の先例に倣い、1896年(明治29年)に鉄道大隊(2個中隊・電信1中隊・材料廠)が編成された[1]。
義和団の乱では、臨時鉄道隊を編成して1900年(明治33年)から翌年まで義和団によって破壊された津楡鉄道(現・京哈線)修理などに従事し、日露戦争では、京義線建設の監督、安奉線軽便鉄道(現・瀋丹線)の建設・輸送任務、新奉線軽便鉄道(現・京哈線)の建設等、各地で鉄道の建設、物資・人員の輸送などに従事した[2][3]。
日露戦争後の1907年(明治40年)に鉄道連隊に昇格し、太平洋戦争まで活躍した。日中戦争以前は近衛師団隷下の交通兵旅団に属していた。
1940年(昭和15年)7月の平時編成表によると、鉄道連隊の編制は連隊長(大佐)の下に連隊本部(57人)、3個大隊(大隊本部5人、3個中隊=1個中隊107人)、材料廠(23人)の合わせて1091人。ただし、鉄道第二連隊には、このほかに練習部、幹部候補生隊、下士官候補生隊が付設されていた。
部隊沿革
鉄道第一連隊
- 終戦時所在 - 中国湖南省株州
- 最終連隊長 - 岩井恭三中佐
※作業場跡は現在千葉公園になっている。園内にはトンネルや橋脚の遺構が残っている。材料廠の建物は千葉経済学園内に現存する。
鉄道第二連隊
- 終戦時所在 九州
- 最終連隊長 越川外次郎中佐
※鉄道連隊正門は、現在、千葉工業大学に残されており、国の登録有形文化財になっている。
鉄道第三〜二十連隊
三〜二十連隊については、ほとんど第一連隊か第二連隊を母体に、1934年(昭和9年) - 1945年(昭和20年)に編成された。以下、連隊名(編成完了年・編成地→終戦時)を記す。(吉田釧「鉄道連隊銘々伝」『鉄道兵回想記』所収などにより作成)
連隊長等
鉄道第一連隊
- 鉄道大隊長
- 吉見精 工兵中佐:1896年10月16日 -
- 井上仁郎 工兵少佐:1901年2月19日 - 1906年7月11日
- 土屋喜之助 工兵中佐:1906年7月11日 - 1907年10月9日
- 鉄道連隊長
- 土屋喜之助 工兵中佐:1907年10月9日 - 1908年8月29日
- 武内徹 工兵大佐:1908年8月29日 - 1910年11月30日
- 渡辺兼二 工兵大佐:1910年11月30日 - 1913年3月4日
- 山田陸槌 工兵大佐:1913年3月4日 - 1915年2月15日
- 岡野友次郎 工兵大佐:1915年2月15日 - 1917年8月6日
- 宮田勇太 工兵大佐:1917年8月6日 - 1918年5月
- 鉄道第一連隊長
- 宮田勇太 工兵大佐:1918年5月 - 1919年4月15日
- 静間知次 工兵大佐:1919年4月15日[5] - 1920年7月16日[6]
- 松井順 工兵大佐:1920年7月16日[6] - 1921年7月20日
- 中村正一 大佐:1921年7月20日 - 1923年8月6日
- 作田徳次 工兵大佐:1923年8月6日 - 1924年12月15日[7]
- 梅戸綽 工兵大佐:1924年12月15日[7] - 1929年8月1日
- 高屋庸彦 工兵大佐:1929年8月1日 - 1930年8月1日[8]
- 榎本武臣 大佐:1930年8月1日 - 1931年8月1日
- 内田荘一 大佐:1931年8月1日 - 1933年4月21日
- 成沢清 大佐:1933年4月21日 - 1934年8月1日
- 野口正義 大佐:1934年8月1日 - 1935年8月1日
- 根上清太郎 工兵大佐:1935年8月1日 - 1937年8月2日[9]
- 佐藤質 大佐:1937年8月2日 - 1937年12月1日
- 富岡初次郎 中佐:1940年8月1日 - 1944年2月14日
- 岩井恭三 中佐:1944年2月14日 -
鉄道第二連隊長
- 鳴瀧紫麿 工兵大佐:1918年8月1日[10] - 1919年8月10日
- 関正一 工兵大佐:1919年8月10日[11] - 1923年2月4日
- 新原貞次郎 大佐:1923年2月4日 - 1928年8月10日
- 井上乙彦 大佐:1928年8月10日 - 1930年8月1日
- 池田茂藏 大佐:1930年8月1日 - 1934年3月5日
- 安達克己 工兵大佐:1934年3月5日[12] - 1936年3月28日
- 木村經廣 大佐:1936年3月28日 - 1938年7月15日
鉄道第五連隊長
- 青村常次郎:38年4月 - 40年9月
- 鎌田銓一 大佐:1940年9月30日 - 1941年10月18日[13]
- 早瀬秀夫
- 佐々木万之助:開戦時
鉄道第九連隊長
- 今井周大佐:41年9月23日〜44年2月14日
- 越川外治郎:44年2月14日〜45年2月19日
- 津島悟已郎:45年2月19日〜
車両
鉄道連隊が敷設した路線
鉄道連隊は戦地のみならず国内各地でも訓練を兼ねて鉄道建設を請け負っていた。その際、鉄道事業者は土地を用意し、材料費を負担するだけでよかったため、重宝された。
内地
また、千葉県内には鉄道連隊の演習用の路線があった。戦後一部は新京成線に転用された。詳しくは鉄道連隊演習線を参照。
外地
ギャラリー
-
演習に用いられた橋脚(千葉公園)
-
ウィンチ台とされる鉄道連隊の遺構(千葉公園)
-
旧鉄道第二連隊正門(千葉工業大学)
脚注
- ^ 千葉県の鉄道史. 千葉県企画部交通計画課. (1980). pp. 37
- ^ a b c d e f g h “鉄道連隊の歴史”. www.city.narashino.lg.jp. 習志野市. 2019年6月6日閲覧。
- ^ 竹内正浩 (2010-9-10). 鉄道と日本軍. 筑摩書房. pp. 128. ISBN 978-4480065698
- ^ 『官報』第1807号、大正7年8月10日。
- ^ 『官報』第2008号、大正8年4月16日。
- ^ a b 『官報』第2388号、大正9年7月17日。
- ^ a b 『官報』第3696号、大正13年12月16日。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』221頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』236頁。
- ^ 『官報』第1800号、大正7年8月2日。
- ^ 『官報』第2408号、大正9年8月11日。
- ^ 『官報』第2151号、昭和9年3月6日。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』404頁。
- ^ 伊賀市史 第3巻 通史編(近現代) 第四節 交通・通信の発達
参考文献
- 岡本憲之・山口雅人『実録 鉄道連隊 知られざるその使命を解き明かす』(イカロス出版、2009年) ISBN 978-4-86320-146-0
- 新人物往来社戦史室 編『日本陸軍兵科連隊』(新人物往来社、1994年) ISBN 4-404-02144-5
- 佐山二郎『工兵入門 技術兵科徹底研究』(光人社NF文庫、2001年) ISBN 4-7698-2329-0
- 第三章 工兵の作戦 鉄道作戦 p68~p86、第五章 工兵器材解説 鉄道器材 p283~p317
- 高橋 昇『軍用自動車入門 軍隊の車輌徹底研究』(光人社NF文庫、2000年) ISBN 4-7698-2267-7
- 長谷川三郎(元鉄道五連隊第三大隊長、少佐)『鉄道兵の生い立ち』(三交社、1984年) ISBN 4-87919-801-3
- 坂田 要『津田沼鉄道第十七聯隊』(文芸社、2006年) ISBN 4-286-02078-9
- 松代守弘「戦線の輸送を支えた鉄路の工兵 陸軍鉄道部隊」
- 椎橋俊之「「SL甲組」の肖像 第32回 鉄道聯隊 鉄道兵かく戦えり」
- 『絵はがき 写真に残された明治~大正~昭和』(船橋市郷土資料館、2005年3月23日)
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 吉原矩編 『燦たり鉄道兵の記録 : 極光より南十字星』 全鉄会本部、1965年
- 吉原矩ほか 『日本工兵物語』 原書房、1980年
- 吉原矩 『日本陸軍工兵史』 九段社、1958年
- 熊谷直 『軍用鉄道発達物語』 潮書房光人社、 2013年
鉄道連隊を描いた作品
関連項目
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- 1:国土では無い租借地及び委任統治領も含む。
- 2:「外地」という概念は共通法上は用いられていなかった。
- 3:共通法上第1条では内地に包含されていた。だがその一方で、法的特例措置を設ける権限が1943年まで与えられていた。
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