順徳府(じゅんとくふ)は、中国にかつて存在した府。モンゴル帝国時代から民国初年にかけて、現在の河北省邢台市一帯に設置された。
概要
1262年(中統3年)、モンゴル帝国により邢州が順徳府に昇格した。1265年(至元2年)、順徳府は順徳路総管府と改められた。元のとき、順徳路は中書省に属し、録事司と邢台・沙河・南和・任・内丘・唐山・鉅鹿・平郷・広宗の9県を管轄した[1]。
1368年(洪武元年)、明により順徳路は順徳府と改められた。順徳府は北直隷に属し、邢台・沙河・南和・任・内丘・唐山・鉅鹿・平郷・広宗の9県を管轄した[2]。
清のとき、順徳府は直隷省に属し、邢台・沙河・南和・任・内丘・唐山・鉅鹿・平郷・広宗の9県を管轄した[3]。
1913年、中華民国により順徳府は廃止された。
脚注
- ^ 『元史』地理志一
- ^ 『明史』地理志一
- ^ 『清史稿』地理志一