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びんの耳ぎわから生えた側面の髪である[1][2]

浅井長政。側面の髪が鬢。

概要

鬢は頭髪の部位であり、側面の耳ぎわ部分から生えるものを指す[1][2]。現代的にはおおよそ「サイド」の前寄り部分にあたる。かつての日本では男性が頭頂を刈り上げさかやきを作るスタイルが存在した。その場合、鬢はさかやきの横の髪がある領域として明確に観察できる(右図参照)。鬢のうち前縁部は小鬢と呼ばれ、しばしば刈り上げられた(#小鬢)。

鬢のヘアスタイルは容貌に大きく影響するため、様々な鬢の作り方が存在する。灯籠鬢は江戸中期に流行した鬢のスタイルである。かつては制裁として片方の鬢髪を落とす風習があった(片鬢剃り)。古くは御成敗式目の第34条に登場する[3]

「鬢」の語はすくなくとも平安時代末期には登場している。『玉葉』には「其鬢不正、月代太見苦、面色殊損」とある[注 1]

小鬢

小鬢こびんは頭の左右前側面、こめかみあたりの髪である[4]出額でびたいとも[4]

小鬢は鬢の前縁部分であり[4]、現代的にはサイドの一部にあたる。江戸時代の男性はたいてい小鬢を剃っていたが、一部の武士は小鬢を残していた[5]。かつては制裁として片方の小鬢を落とす風習があった(片小鬢かたこびん)。古くは太平記(14世紀頃)に「小鬢」の語が登場している[6][7]

小鬢 (将棋)

将棋における小鬢は玉の囲いで玉の斜め前の部分を指す。玉の斜め前に歩などの守り駒がいない状態を「コビンがあいている」と表現する。 また、角行での斜めから相手の玉や飛車を攻めることを「こびん攻め」と称する。

脚注

注釈

  1. ^ 安元2年7月8日の条

出典

  1. ^ a b "日本髪は、前髪、鬢(びん)(左右の側面の髪)、髱 ... 、髷 ... の四つの部分から構成されている" pp.13-14 より引用。鈴木. (1993). 江戸時代の髪形 : 髪形の変遷にみられる日本人の美意識. 山野研究紀要, 1 巻 1 号 p. 11-17.
  2. ^ a b "鬢(びん)(両耳の前部にある生え際の髪)" 以下より引用。鈴木. (1995). 結髪の用具「笄と釵」 : 女性風俗垂髪とのかかわりあい. 山野研究紀要, 3巻.
  3. ^ "可㆑剃‐㆓除片方之鬢髮㆒也。" 御成敗式目 より引用。
  4. ^ a b c "此所ヲ京阪ニ出額ト云 デビタヒ 江戸ニテ小鬢ト云 コビン" 喜田川 1837, p. コマ番号21 (リンク) より引用。
  5. ^ "工商ハ必ズ剃ル武士ニハ稀ニ出額ヲ剃サル人アリ" 喜田川 1837, p. コマ番号21 (リンク) より引用。
  6. ^ "小鬢のはづれ小耳の上、三太刀まで被切ければ" 太平記 第32巻 より引用。
  7. ^ "菊池甲を落されて、小鬢を二太刀切れたり。" 太平記 第33巻 より引用。

参考文献

  • 喜田川, 守貞『守貞謾稿 巻9』国立国会図書館デジタルコレクション、1837起稿。 

関連項目

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