1967年イギリスグランプリ (1967 British Grand Prix) は、1967年のF1世界選手権第6戦として、1967年7月15日にシルバーストン・サーキットで開催された。
レースは80周で行われ、ロータスのジム・クラークがポール・トゥ・ウィンで優勝、ブラバムのデニス・ハルムが2位、フェラーリのクリス・エイモンが3位となった。
レース概要
前戦フランスGPで1-2体制を築いたが、2台ともトランスミッションの問題によりリタイアに終わったロータスは問題の解決に努め、2週間後の本レースに間に合うように改良を行った。エースのジム・クラークは前戦フランスGPの時点でわずか10点と出遅れ、彼はジャック・ブラバム(16点)、ペドロ・ロドリゲス(12点)、クリス・エイモン(11点)を下回り、ランキング首位のデニス・ハルムは22点を獲得していた。この年の有効ポイントはシーズンを2つに分け、前半6戦のうちベスト5戦と後半5戦のうちベスト4戦の合計で争われた。フォード・コスワース・DFVエンジンを搭載したロータス・49は明らかに最速のマシンであり、ロータスには優勝への期待がかかった[2]。ホンダはベルギーGPで壊れたエンジンの代替が東京から届き[3]、同時に点火プラグを日本特殊陶業(NGK)からチャンピオンに変更した[4]。
クラークとグラハム・ヒルのロータス勢は予選で再び1-2番手となり、4-3-4グリッドのフロントローの残りを占めたブラバム勢より約1秒速かった。ブラバムはハルムよりわずかに速く3番手となった。ヒルは練習走行の終わりにサスペンションの問題が発生し、マシンを大きく損傷してしまったので、全てが順調とは言えなかった。2列目はダン・ガーニー(イーグル)、エイモン(フェラーリ)、ジョン・サーティース(ホンダ)、3列目はクーパーのヨッヘン・リントとロドリゲス、ブルース・マクラーレン(前戦に引き続きイーグルの2台目を借用[5])、マイク・スペンス(英語版)(BRM)が占めた[2]。東京から送られてきたホンダの新しいエンジンは水漏れやオイル漏れがひどく、やむを得ず前線基地のイギリスで組み直されたエンジンに、吸気弁が開いている時だけ噴射される定時方式の燃料噴射装置を強引に取り付けざるを得なかった[6]。
ヒルのマシンは徹夜で修理された。スタートでクラークはヒルをリードし、ブラバムは2周目にヒルを抜いて2位に浮上するが、クラークから引き離されていく。スタートで出遅れたハルムだったが、9周目に4位まで順位を戻す。ヒルはブラバムを抜き、ロータスの1-2体制が築かれた。新車49に慣れていたヒルは29周目にクラークからリードを奪ったが、55周目にリアサスペンションのトラブルで減速し、修理のためにピットインして再びコースに復帰したが、10周後にエンジンが壊れてリタイアした。しかし、ロータスの準備スキルに疑いようはなく、クラークは2位のハルムに13秒の差を付けて優勝した[2]。エイモンはブラバムのすぐ後方の位置を保ち続け、残り5周でブラバムを抜いて3位表彰台を獲得した[7]。サーティースは6位で開幕戦南アフリカGP以来の入賞を果たした[3]。
地元出身のデビッド・ホッブズがバーナード・ホワイト・レーシング(英語版)のBRMでF1デビューを果たし[8]、同じく地元出身で、F2のスタードライバーであったアラン・リース[注 1]がクーパーの3台目を走らせた[注 2][8][2]。
エントリーリスト
結果
予選
決勝
- ファステストラップ[1]
- ラップリーダー[12]
第6戦終了時点のランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。
脚注
注釈
- ^ 後にマーチとアロウズの共同創設者となる。両者ともチーム名に共同創設者の頭文字を組み合わせた。
- ^ リースはF1世界選手権に3戦参加しているが、F1マシンで走ったのは本レースのみである(残る2戦はドイツGPでF2マシンを走らせた)。
出典
参照文献
外部リンク