1971年ドイツグランプリ (1971 German Grand Prix) は、1971年のF1世界選手権第7戦として、1971年8月1日にニュルブルクリンクで開催された。
背景
前年のドイツGPはコースの安全性の問題からホッケンハイムリンクで開催されたが、路面を再舗装し、追加のランオフエリアが設置され[2]、一部のコーナーの再設計[3]に加え、バリアとキャッチフェンスが設置されたことにより安全性を向上させ、2年ぶりのF1開催にこぎ着けた[2]。レース距離は12周に短縮された[4]。
ブラバムのロン・トーラナックは、バーニー・エクレストンへのチーム売却をほぼ完了させた。新たにオーナーとなるエクレストンは既に翌年の構想を練っていた。ティレルに端を発したインダクションポッドは、新たにマーチも採用した[3]。
エントリー
前戦イギリスGPが終わった後、CSI(国際スポーツ委員会)[注 1]はジャン=ピエール・ベルトワーズに対し、1月10日に行われたブエノスアイレス1000kmレース(英語版)の事故[注 2]の責任を改めて問われ、事故の日から8ヶ月間のライセンス停止処分を科した。したがって、ベルトワーズは実質的に2ヶ月間の出場停止処分が新たに科せられたことになる[5]。マトラはベルトワーズの出場停止が解けるまでクリス・エイモン1台のみ参加する。BRMは亡くなったペドロ・ロドリゲスの後任として、ビック・エルフォード(英語版)を起用した。フェラーリはアメリカのレースがなかったマリオ・アンドレッティも参加する[2]。マーチはアンドレア・デ・アダミッチとナンニ・ギャリのためにアルファロメオエンジンを搭載した711を2台用意した。これにより、フォード・コスワース・DFVエンジン搭載の711を走らせるのはロニー・ピーターソンのみとなった。ロータスは従来の72Dのみを走らせる[3]。マクラーレンは、コスワースの工場が休暇中だったことによりジャッキー・オリバーのDFVエンジンを用意できず、デニス・ハルムとピーター・ゲシンの2台が参加する[4]。ヨアキム・ボニエは自身のチーム(英語版)でボニエ自身とこの年のル・マン24時間レースを制したヘルムート・マルコがマクラーレン・M7Cを走らせるつもりであったが、マルコ用のM7Cは利用可能なパーツが不足したため、ボニエ用のM7Cのみで参加する[3]。サーティースはディーター・クエスターにTS7を走らせる予定であったが実現しなかった[3]。
エントリーリスト
- 追記
予選
観客はジャッキー・スチュワートとジャッキー・イクスのポールポジション争いを期待していたが、両者はその予想の上を行く走りを練習中から見せ、スチュワートがイクスに0.2秒差でポールポジションを獲得した。スチュワートのタイムは7分19秒0で、2年前にイクスがポールポジションを獲得したタイムより23秒速く、3番手以下はフロントローの2人より3秒以上遅かった[3]。2列目はジョー・シフェールとクレイ・レガツォーニ、3列目はフランソワ・セベールとデニス・ハルムが占め、ロニー・ピーターソン、エマーソン・フィッティパルディ、ティム・シェンケン、アンリ・ペスカロロがトップ10に入った[2]。ヘルムート・マルコはヨアキム・ボニエのマシンを走らせたが、最初のラップで燃料が切れたためタイムを記録できなかった[2]。
予選結果
- 追記
- 22台が決勝進出
- ^1 - マルコはボニエのマシンを走らせた[2]
決勝
レース当日は大観衆が集まり、スタートを前にグラハム・ヒルとレイネ・ウィセルがマシンに問題を抱えたため、グリッドには20台のマシンが並んだ。
スタートでジャッキー・イクスがリードを奪ったが、すぐにジャッキー・スチュワートがリードを取り戻し、クレイ・レガツォーニ、デニス・ハルム、ジョー・シフェール、ロニー・ピーターソン、フランソワ・セベールがイクスを追う[2]。イクスは2周目にウィッパーマンコーナーでスピンオフし、ガードレールに激突した[2][11]。レガツォーニはイクスを避けようとしてコース外に逃れた。これにより、スチュワートはハルムを抜いたシフェールを大きく引き離した。レガツォーニは3位でコースに復帰し、やはりハルムを抜いたピーターソンが4位となった。ハルムはすぐにマリオ・アンドレッティとセベールにも抜かれ、セベールはすぐにアンドレッティを抜いて5位に浮上した。セベールはその後ピーターソン、レガツォーニに抜かれて3位となっていたシフェールを抜き、そしてレガツォーニも抜いて2位に浮上する注目すべき走りを見せた[2]。
スチュワートはレースを支配し、ティレルは2度目の1-2フィニッシュを達成した[12]。3連勝で今季5勝目を挙げたスチュワート[13]は獲得ポイントを51とし、リタイアに終わったイクスに対し32点の差を付け、2度目のドライバーズチャンピオンを確実なものとした[3]。レガツォーニは3位、アンドレッティはピーターソンを抜いて4位でフィニッシュした[2]。ティム・シェンケンは6位で初入賞を果たし[14]、ブラバムはようやく今季初のポイントを獲得した。マイク・ボイトラーはスタート/フィニッシュライン直後の南カーブでパンクしてしまい、コースをショートカットしてピットに戻ったため失格となった[3]。
レース結果
- 優勝者ジャッキー・スチュワートの平均速度[7]
- 184.191 km/h (114.451 mph)
- ファステストラップ[17]
- ラップリーダー[18]
- 太字は最多ラップリーダー
- 達成された主な記録
ギャラリー
第7戦終了時点のランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。
脚注
注釈
- ^ 1978年に国際自動車スポーツ連盟(FISA)に改編され、1993年に国際自動車連盟(FIA)へ吸収された。
- ^ ベルトワーズがマシンを止めたところにイグナツィオ・ギュンティが突っ込み、ギュンティが亡くなった。この件に対し、フランス自動車競技連盟(英語版)(FFAS)はベルトワーズに3ヶ月間のライセンス停止を科している。
出典
参照文献
外部リンク