1996年日本グランプリ (1996 Japanese Grand Prix) は1996年のF1世界選手権第16戦として10月13日に鈴鹿サーキットで決勝レースが開催された。
概要
年間スケジュールにおいてオーストラリアGPが開幕戦に移動したため、日本GPは1977年以来となるシーズン最終戦として開催された。
ウィリアムズに所属するデイモン・ヒル、ジャック・ヴィルヌーヴ両名によるドライバーズチャンピオン争いは、ヒルが9ポイントリードして最終戦を迎えた。ヴィルヌーヴが逆転チャンピオンとなるには優勝(10ポイント)かつヒルが無得点以外に無かった。ヴィルヌーヴが優勝しヒルが6位(1ポイント)の場合、合計88ポイントで並ぶが、優勝回数の差(ヒル7勝、ヴィルヌーヴ5勝)でヒルがチャンピオンとなる。ヒルはすでにウィリアムズ離脱が決定しており、悲願のタイトルまであと1ポイントという状況で日本GPを迎えた。
予選
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決勝
展開
グリッド上でスタートを待つ間に予選8位のデビッド・クルサード(マクラーレン)がエンジンストールし、フォーメーションラップがやり直しとなった。クルサードは最後尾にまわり、決勝は1周減算して52周で行われる。
仕切り直しのスタートでは、ポールシッターのヴィルヌーヴの加速が鈍く、ヒル、ゲルハルト・ベルガー(ベネトン)、ミカ・ハッキネン(マクラーレン)、ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)、エディ・アーバイン(フェラーリ)に抜かれて6番手にまで後退、ヴィルヌーヴにとっては痛恨の、ヒルにとっては圧倒的有利な情勢となった。S字コーナー手前でジャン・アレジ(ベネトン)がスピンし、バリアに激突して早々とリタイアした。
3周目、2位のベルガーがシケインでヒルのインを狙うが、追突してフロントウィングを損傷した。ヒルのマシンへの影響が懸念されたが、ダメージもなく走行を続けた。
ヴィルヌーヴはアーバインの後方に詰まっていたが、12周目のシケインでオーバーテイクに成功し4位に浮上した。続けて3位のシューマッハに迫り、14周目にピットインしてポジションアップを狙ったが、シューマッハも翌周ピットインしてヴィルヌーヴの前に戻った。
19周目、1・2位のヒル、ハッキネンが同時にピットイン。ヒルは首位を守ってコースに復帰するが、ハッキネンはシューマッハにかわされ、3位に後退した。ヒルと4位ヴィルヌーヴの間にはホームストレート1本分ほどのギャップがある。
31周目、シューマッハ、ハッキネン、ヴィルヌーヴの3者が同時にピットインし、2回目のタイヤ交換を行った。ヴィルヌーヴはフロントウィングを調節したため若干タイムロスし、ポジションは変わらず。ヒルは34周目に無難にタイヤ交換を済ませ、トップを堅持した。
ヴィルヌーヴは33周目にこのレースのファステストラップを記録し、チャンピオンを諦めない姿勢をみせた。しかし、37周目の1コーナーを通過したところで突然右リアタイヤが外れ、2コーナーのサンドラップに突っ込んだ。タイヤは勢いよくフェンスを飛び越えたが、幸運にも観客席への被害は免れた。ヴィルヌーヴはマシンを降り、この瞬間ヒルのワールドチャンピオンが決定した。ルーキーチャンピオンの可能性は潰えたが、ヴィルヌーヴはすっきりした表情で観客の拍手に応えた。
ヒルはシューマッハの追撃をかわして残り周回を走り切り、今季8勝目のチェッカーフラッグを受けた。亡き父グラハム・ヒルに続く、親子2代でのチャンピオン獲得はF1史上初となる。ウィニングランを終えてピットでマシンを降りると、苦楽を共にしてきたジョージー夫人と熱い抱擁を交わした。
結果
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エピソード
脚注
- ^ a b “1996 Japanese Grand Prix” (英語). Formula1.com. 2012年2月15日閲覧。
- ^ a b “日本GP 1996”. ESPN F1. 2012年2月15日閲覧。