2016年東京オリンピック構想(2016ねんとうきょうオリンピックこうそう)は、2016年の夏季オリンピックを東京都に招致する構想。国際オリンピック委員会(IOC)へ2016年大会開催の立候補を申請したが、招致は実現しなかった。
東京都知事の石原慎太郎が提唱し、招致活動が進められていた。実現すれば、日本の夏季オリンピックでは1964年の東京オリンピック以来52年ぶり、日本では長野市(長野県内各地)で1998年冬季オリンピックが開催されて以来18年ぶり、21世紀になってからは日本での初開催となるはずであった。また、アジアでは初の夏季五輪の2回開催を目指していたが、2009年にコペンハーゲンで行われたIOC総会の開催都市の第2回目の投票で最少得票数だったため落選、招致に失敗した。その後、2011年の東京都知事選挙で4選を果たした石原が、2020年のオリンピックへの立候補を表明、石原の都知事退任後も新都知事の猪瀬直樹に引き継がれ、2006年から2013年と7年越しの東京招致を実現している。
これまでの活動
2006年
2007年
2008年
- 1月10日 - 25項目から成る申請ファイルをIOCに提出。
- 6月4日 - IOC理事会による1次選考を東京・マドリード・シカゴ・リオデジャネイロの4都市が突破、東京がトップの評価を得た。
2009年
- 1月26日 - 東京ミッドタウンホールにて、「TOKYO MOVE UPトークスペシャル」(主催 / TOKYO MOVE UP PROJECT実行委員会)が開催される。
- 2月12日 - IOCに詳細な開催計画を示した立候補ファイルを提出した。また、東京五輪招致委員会は政府の財政保証を得たと発表した[2]。報道によると、日本の五輪招致では初の財政保証となる[3]。
- 2月24日 - 招致委員会が発表した財政保証の件について、日本政府は質問主意書への答弁書にて、債務を保証する措置を講じたい旨の意思表示であるとして、財政保証の締結を否定している。また、本件の国会議決の必要性は、財政保証の締結ではない為否定している[4][5]。
- 3月16日 - 東京都オリンピック招致委員会が日本体育大学と連携協定(東京五輪招致支援)を締結。
- 3月18日 - 東京五輪招致を国が支援する国会決議案が自民、公明、民主の賛成多数で可決される[6]。日本政府による財政保証については、与党が当時の最大野党であった民主党へ配慮したこともあり、具体策には触れていない内容であった[7]。
- 4月16日 - 国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会による現地調査が都内のホテルで始まり、招致委員会が立候補ファイル(開催計画書)に関する説明と、「環境対策」「世界一コンパクトな大会」「1964年東京五輪の施設の再利用」などのアピールをおこなった。また冒頭の歓迎式では麻生太郎首相が政府として全面的に支持すると訴え、「必要な資金は手当てする」と国の財政保証を約束するアピールをおこなった[8]。
- 4月17日 - 国際オリンピック委員会 (IOC) 評価委員会による現地調査2日目は、競技会場や予定地の視察が行われた。当初、道路渋滞が懸念されていたが、警視庁との協力で渋滞に巻き込まれることなく、時間通りに終了することが出来た。最初に訪れた晴海の東京オリンピックスタジアム建設予定地では、東京大学との協力で、最先端技術を駆使し、特殊なゴーグルを装着すると目の前にスタジアムが現れ、目線の移動と共に、スタジアムの視点も変わるといった技術に、評価委員会のメンバーは驚きを見せた。その後は、メディアセンター・レスリング・フェンシングの会場となる東京ビッグサイトを視察し、東京の都市模型などを見学したほか、都内の競技会場を視察した。
- 4月18日 - 国際オリンピック委員会 (IOC) 評価委員会による現地調査3日目はパラリンピックなどに関する説明を行った。また、夕方には迎賓館赤坂離宮で麻生首相主催による晩餐会が、石原東京都知事による乾杯の言葉により始まった。
- 4月19日 - 国際オリンピック委員会 (IOC) 評価委員会による現地調査4日目は、治安などに関する説明を行った。また、夕方には評価委員会のナワル・ムータワキル委員長らが記者会見を開き、東京について、「質の高い計画で、非常にコンパクトだと感じた。すべての関係者にとって優しい計画だ」「東京のコンセプトに感銘した」「老若男女の根強い支援を感じた」など、高評価を得た。
- 4月20日 - 国際オリンピック委員会 (IOC) 評価委員会が東京における現地調査の全日程を終え、離日。
- 6月17日 - 6月18日 - IOC委員に対してプレゼンテーションを行い、世論の支持が高まったことや、治安の良さ、財政の補償などをアピールし、シカゴと共に高評価を得た。
- 8月14日 - 9月4日まで、メッセージフラッグキャンペーンを実施。メッセージの第1弾は漫画家の高橋陽一。
- 9月2日 - IOC評価委員会が、投票時に参考となる評価報告書を作成し、東京は半径8km以内にほとんどの競技会場を集約させたコンパクトな会場計画や、犯罪率の低い治安の良さ、政府による確実な財政補償、環境面などで評価された。一方、世論の支持やメインスタジアム周辺の輸送面、選手村の規模などに懸念があるとされた。
- 9月11日 - 無料ウェブコミック配信サイト『MiChao!』にて、マラソンコースがどのように造られていくのかを描いた漫画「2016への挑戦 -Run to the World!-」(作画:岩田やすてる)が配信された。配信期間は約1ヶ月。
- 9月26日 - 石原都知事がコペンハーゲンへ出発。
- 9月28日 - 平野博文内閣官房長官が、「東京は(五輪開催によっておきる)環境負荷を減らすための独自の構想を提示している。地球環境の大切さを訴えるのにも良い機会になる」との判断により、「鳩山由紀夫首相がIOC総会へ出席する」ことを正式発表。尚、国内の公務が多忙な為、1泊3日の強行日程で半日程度滞在し、開催地結果発表前に帰国。
- 10月2日 - デンマークの首都コペンハーゲンで行われた第121次IOC総会で、各都市の最終プレゼンテーションが行われた。その後、ロゲ会長や立候補都市を抱える国の委員以外のIOC委員による投票が行われ、東京は2回目の投票で落選した(第3位)。
- 最終プレゼンテーションのプレゼンターと投票結果は次のとおり。(役職は当時の者も含む)
- 2010年
開催概要
欧米の大都市が複数回のオリンピックを開催している事を踏まえ、世界的に成熟した都市として東京でもオリンピックの複数回開催を実現し、21世紀の都市文明の模範を示す事を図っている。メインスタジアムを中央区晴海地区に置き、すべての競技会場がほぼ半径8km圏内のコンパクトオリンピックを目指す。
- 正式名称:第31回オリンピック競技大会
- 英文名称:The Games of the XXXI Olympiad
- 競技数:26競技
- コンセプト
-
- 平和に貢献する 世界を結ぶオリンピック・パラリンピック
- 世界で唯一、戦後60年間一貫して平和を貫いてきた日本で開催することで、平和の尊さを世界に訴える。
- 次代の世界を担う若者たちが主役となるオリンピック・パラリンピックを通じて、世界平和を希求する日本人の心を伝える。
- 世界最高の環境 ヒーローたちの檜舞台
- 世界の都市の中で最も先駆的な取り組みをしている東京から、地球環境の大切さを世界に発信。
- コンパクトな計画の下、参加するすべての選手が自己最高記録を出せる世界最高の檜舞台を用意。
- 開催時期
- 2016年7月29日から8月14日までの17日間
- (第98回全国高等学校野球選手権大会の大会時期も重ならない様なスケジュールが取られる)
- メイン競技場と選手村
- 晴海埠頭に新設予定で常設8万人、仮設2万人を収容
- 選手村は、有明地区で収容人員は18,500人
- 競技施設・会場
- 都心の半径8km圏内に殆どの競技施設が点在する
- その他関連施設
-
- 選手村 - 江東区有明に建設
- 国際放送センター(IBC)・メインプレスセンター(MPC)- 東京ビッグサイトに建設
- 帝国ホテル - IOC本部
- 費用
- 招致経費55億円
- 大会組織委員会予算2,943億円
- 施設の整備費用4,965億円(国からの補助金を想定、都の負担は453億円)[12]
国内候補地決定までのいきさつ
- 2005年1月、JOC会長の竹田恒和が、2016年、2020年のオリンピック開催に向けて努力していきたいと年頭挨拶
- 2005年9月、東京都、福岡市がそれぞれ、オリンピック招致を表明
- 2006年4月、東京都、福岡市がJOCに立候補意思表明書を提出
- 日本では、当初東京、福岡のほか札幌にも立候補の意向があったが、その後札幌市は財政問題から立候補見送りを表明、東京と福岡による一騎討ちの招致合戦となった。2006年6月末から、JOC委員、および各競技団体による現地視察が行われ、同年8月30日、JOCの選定委員会(55人)の投票で、東京都が33票を獲得し、22票の福岡市を抑え最終候補都市を東京に決定した。
- 最終候補決定のおよそ1ヶ月前となる7月23日、東京と福岡の大学生達が国内の招致機運を高めようと「日本にオリンピックを呼ぼう!シンポジウム」を開催した。企画したのは、東京五輪招致の支援団体「2016年東京オリンピックを望む学生の会」(久保田成代表、大学生約140人)と、福岡五輪招致を応援する市民団体「維新の志」(佐伯岳大代表、大学生ら約30人)。学生の会が「五輪招致への関心が低い。次世代を担う若者たちで五輪の素晴らしさを考えよう」と維新の志に協力を呼び掛け、共催が実現した。シンポジウムには、福岡市と東京都の招致担当者や、ソウルオリンピックの野球銀メダリスト、プロ野球東京ヤクルトスワローズ監督の古田敦也(プロ野球オールスターゲーム延期の為欠席)、スポーツジャーナリストの金子達仁、東京オリンピックで“東洋の魔女”と呼ばれた全日本女子バレーボール元主将の河西昌枝らが参加。この五輪やスポーツの魅力について語り合うという初の試みは、マスコミの注目を集めた。
- 「東京オリンピック招致大使」には、星野仙一、有森裕子、山下泰裕、クルム伊達公子、野口健、古田敦也のアスリートのほか、みのもんた、萩本欽一が任命され、テレビCMも作られた[13]。
- 2009年7月、東北新社グループの協力を得た招致委員会は、CS放送局「スター・チャンネル」「スーパー!ドラマTV」「ファミリー劇場」「クラシカ・ジャパン」「ヒストリーチャンネル」「ザ・シネマ」の6チャンネルで計250回の宣伝放送を行うことを発表した[14]。
招致構想の変遷
招致構想の初期では代々木公園・神宮外苑の再開発を行い、国立霞ヶ丘競技場の建替えもしくは大規模な改修、明治神宮国際オリンピックドーム(仮称)の建設などが計画されていた。国内候補地選定では競技団体から意見を聞かずに競技施設を配置したため、バレーボール、トライアスロン、射撃の関係者から反発があがった。
基本計画書ではこれらの意見を踏まえた変更がなされ、半径10kmから半径8kmへとさらに「コンパクト」になったが、新設施設が倍増したため競技施設整備費は2,850億円から3,250億円と増加した。
なお、基本計画書は、ロンドンオリンピックの実施競技をもとに計画されている。
2006年時点で石原慎太郎は、8割以上(の会場)が「既存施設のリニューアル」で対応できると、候補地ライバルだった福岡に対するアドバンテージを語っていた[15]。石原はグランドデザインの総監督を建築家の安藤忠雄に要請した。安藤は代々木体育館など、1964年の東京五輪で使用された施設を補修して使うことを提案したという[16]。
経費を巡るトラブル
東京都は、2016年大会の落選後も2020年東京オリンピック構想による2020年大会の誘致を目指していたところ、2012年になって、2016年大会の招致費の経理書類が保存期間であるにもかかわらず紛失していたことが明らかになった(帳簿が焼却された経緯がある1998年長野オリンピック#大会運営費にまつわる問題も参照)。
招致委員会は2010年3月、東京都議会において、約150億円にものぼる招致活動費(うち東京都の分担金は18億円)の事情について喚問を受けた[17]。2009年10月には、この約150億円の招致活動費のうち、3分の1を超える約53~54億円については電通と委託契約を結び、ほぼ100%近くが入札なしの随意契約だったことが都議会決算特別委員会で明らかになっていた[18]。
事業内容の検証が不可能となる懸念が出ており、2020年大会の招致機運に悪影響を及ぼす可能性が出ていた[19]。
しかし、結果的に2020年大会の招致に成功し、東京の56年ぶりのオリンピック開催が決定した(2020年夏季オリンピックの開催地選考も参照)。
役員一覧
[20][21]
脚注
関連項目
外部リンク
|
---|
1950年代の著書 |
灰色の教室 - 太陽の季節 - 処刑の部屋 - 日蝕の夏 - 理由なき復讐(改題前:喪失)- 黒い水 – 北壁 – 透きとおった時間 – 婚約指輪 - 狂った果実 - 青春にあるものとして - 若い獣 - 完全な遊戯 - 海の地図 - 価値紊乱者の光栄 - 月蝕 - 亀裂 - 夜を探がせ – 乾いた花(改題前:渇いた花) - 男の掟 – 鱶女 - ファンキー・ジャンプ - 殺人教室
|
---|
1960年代の著書 |
青年の樹 - これが恋愛だ - 南米横断一万キロ - 挑戦 - 見知らぬ顔 - 青い糧 - 汚れた夜 - 死んでいく男の肖像 - 雲に向かって起つ - 禁断 - 断崖 - 狼生きろ豚は死ね・幻影の城 - 日本零年 - 密航 - てっぺん野郎青雲編 - 死の博物誌 - 石原慎太郎文庫 - 行為と死 - てっぺん野郎昇竜編 - 銀色の牙 - 傷のある羽根 - 終幕 - 青春とはなんだ - 命の森 - 星と舵 - おゝい、雲! - 砂の花 - 人魚と野郎 - 大いなる海へ - 還らぬ海 - 飛べ、狼 - 孤独なる戴冠 - 青い殺人者 - 野性の庭 - 黒い環 - 青春との対話 - 巷の神々 – 待伏せ - 怒りの像 - 祖国のための白書 - 野蛮人のネクタイ - プレイボーイ哲学 - 鎖のついた椅子 - スパルタ教育
|
---|
1970年代の著書 |
慎太郎の政治調書 – 化石の森 - 慎太郎の第二政治調書 - 男の世界 - 野蛮人の大学 - 真実の性教育 - 信長記 - 酒盃と真剣 - 石原慎太郎短編全集 - 新和漢朗詠集 - 男の海 - 対極の河へ - 息子をサラリーマンにしない法 - 風の神との黙約 - 真の革新とはなにか - 伯爵夫人物語 - 大いなる手との黙約 - 情熱のための航海 - 光より速きわれら - 刃鋼 - 暗闇の声 - 嫌悪の狙撃者 - 型破りで勝つ! - 戦士の羽飾り - 一点鐘
|
---|
1980年代の著書 |
亡国 - 大いなる海へ - 秘祭 - バカでスウェルな男たち - 暗殺の壁画 - 流砂の世紀に - 現代史の分水嶺 - 拝啓息子たちへ - 生還
|
---|
1990年代の著書 |
不思議な不思議な航海 - わが人生の時の時 - 時の潮騒 - 光速の時代に - 十代のエスキース - 来世紀の余韻 - 三島由紀夫の日蝕 - 禁断の島へ - 遭難者 - かくあれ祖国 - 風についての記憶 - わが人生の時の会話 - 亡国の徒に問う - 肉体の天使 – 弟 - “父”なくして国立たず - 法華経を生きる - 国家なる幻影 - 聖餐
|
---|
2000年代の著書 |
この日本をどうする - いま魂の教育 - 生きるという航海 - 僕は結婚しない - 東京の窓から日本を - わが人生の時の人々 - 老いてこそ人生 - 日本よ - 惰眠を貪る国へ - 息子たちと私 - 日本よ、再び - 石原愼太郎の文学 - 東京の窓から世界を - オンリー・イエスタディ - 私の好きな日本人 - 火の島 - 生死刻々
|
---|
2010年代の著書 |
声に出して詠もう和漢朗詠集 - 真の指導者とは - 再生 - 新・堕落論 我欲と天罰 - 平和の毒、日本よ - 石原愼太郎の思想と行為
|
---|
共著 |
新旧の対決か調和か - 人間の原点 - いかに国を守るか - エベレスト - 闘論 - 「NO」と言える日本 - それでも「NO」と言える日本 - 断固「NO」と言える日本 - 「No」と言えるアジア - 宣戦布告「NO」と言える日本経済 - 「アメリカ信仰」を捨てよ - 勝つ日本 - 永遠なれ、日本 - 人生への恋文 - 日本の力 - 生きる自信
|
---|
映画 | |
---|
テレビドラマ |
深夜のメス - 幽霊と宝石と恋 - 見知らぬ顔 - この情報を買ってくれ - 分身 - 降霊 - 怒りの果実 - これが恋愛だ - 密航 - 殺人キッド - 青年の樹 - 死んでゆく男の物語 - 喪われた街 - 夜を探せ - 闇から来る - アラスカ物語 - 青い糧 - 断崖 - 雲に向って起つ - 夜の道 - 喪われた街 - 小さき斗い - 有馬稲子アワー 喪われた街 - てっぺん野郎 - 青春とはなんだ - おゝい雲! - 人魚と野郎 - おおい雲 - 恐怖の人喰い鱶 鱶女 - 太陽の季節 - 狂った果実2002 - 弟
|
---|
政治 | |
---|
活動・事件 | |
---|
政治組織 | |
---|
家族 | |
---|
カテゴリ | |
---|