台形の車体を持ち、車体前面中央部には曲面の張り出しがあり、ここに操縦席がある。張り出し部分には操縦手用の視察窓を備えていた。
装甲厚は、前面と側面が20 mm 、後面が15 mm である。この装甲板は、当時入手可能な最高の物で、もともとは軍艦「クリストフォロ・コロンボ」のために用意されていた、テルニのアンサルド工場によって供給された、高品質バナジウム鋼であった。
車体上面には2 名用の旋回式の単砲塔を備える。砲塔は、プロトタイプである1917年型(modello 1917)はオープントップで円錐台状の、改良型である1918年型(modello 1918)は密閉式で半球状の形状をしていた。高仰角による発射が可能な砲塔には、トリノ工廠製 M1913 17口径 65 mm 砲(山砲=山岳榴弾砲)を備えていた。
この砲は、元々は、山砲として開発され、山岳部隊に配備され、第一次世界大戦で活躍し、山砲としては70 mm 砲にとって代わられたため、1926年からは歩兵部隊に回され配備された。旧式ではあったが、軽量で悪条件での信頼性が高いため、歩兵に好まれ、近接支援兵器として、第二次世界大戦でも活躍した。この砲には、徹甲弾、榴弾、榴散弾、が用意されており、砲口初速は320~355 m/s程で、有効射程6.8 km先までの投射能力があった。後には、対装甲目標用に、成形炸薬弾も用意されたが、砲身の短さと砲口初速の低さから、その場合の有効射程はわずか500 m程であった。
車体全周を囲むように機関銃が配置されており、車体の四隅と中央部左右、及び車体後面(後方機関銃は1918年型で追加されたもの)の7箇所にフィアット レベリ M1914 6.5 mm 重機関銃が装備された。車体左右側面に開口した銃眼穴(ガンポート)には、1918年型では装甲蓋が設けられた。武装類は、座った状態か、中腰で膝を曲げ(たままにな)ることなく立ったままで扱うことができた(人間工学的に優れていた)。
鈍重ではあったものの、FIAT2000は、世界初の実用戦車であるイギリスのマーク I 戦車と比較して、車体上面に旋回砲塔を備える点(これは参考にしたリトル・ウィリーの影響と考えられる)や、戦闘室と機関室が区画化され分離している点や、サスペンションを備えている点や、前輪駆動方式など、数々の新機軸を盛り込んでおり、先進的な戦車であった。
イタリア本国に引き揚げられた車輛(2号車)は、1924年以後は第8重砲兵連隊の所属とされつつ、戦車開発に関するテストに時折用いられたのみで、予備兵器として保管されていたが、1934年には軍事パレードに出場させるために再整備され、前部左右角の機銃を40口径 37 mm 半自動砲(おそらく、フィアット3000B(1930年型)の主武装である、ヴィッカース=テルニ 40口径 37 mm 砲のこと)に換装してパレードに登場している。