キンモクセイは、日本のバンド[注 1]。略称は「キンモク」。
概要
1998年に結成された神奈川県相模原市出身の5人組バンド[3][注 2][5]。幾多のメンバーチェンジを経て、2001年10月にシングル「僕の行方」でデビュー[6]。2002年にリリースした「二人のアカボシ」のヒットでNHK『紅白歌合戦』への出場経験もあるが、2008年に一旦活動を休止[5][7]。以後は個人で音楽活動を続け、5人全員が集まったのは2011年に東日本大震災の被災地支援アルバムの新曲を録音した1日だけだった[5]。そして2018年9月中旬、本格的に活動を再開することを発表した[注 3][5]。2023年5月10日、長らくベースを担当していた白井が脱退を公表。キンモクセイのメンバー脱退は約23年ぶりとなった。キンモクセイは今後メンバー4人で活動を継続するとしている。
「キンモクセイ」というバンド名の由来は、ボーカルの伊藤が幼い頃から家の前にあったキンモクセイの香りが好きだったから。その香りを嗅ぐと昔の記憶が蘇って懐かしい気分になり、自分たちが作っている音楽もそういう懐かしい感じということで命名した[4]。
1970年代の歌謡曲やニューミュージックなどの音楽をこよなく愛し、そこに色々な要素を取り入れて、懐かしいが新しい”キンモクサウンド”を作り出している[2][4][8]。歌詞については情景描写がテーマで、「一つでも多くの情景を誰かと共感してみたい」という気持ちが、言葉数の多さや細かいディテールの多さに表れている[2]。
5人編成時のメンバーの内、伊藤、後藤、白井の3人は神奈川県相模原市出身で、伊藤と白井は神奈川県立相武台高等学校、後藤は神奈川県立新磯高等学校と3人とも市内の高校を卒業している[注 4]。また佐々木は相模原市のすぐ隣の東京都町田市出身で張替も相模原に住んでいた時期があり、メンバー曰く「ほぼ相模原」[5][9]。
来歴
メンバー
- ボーカル、ギター、キーボード、作詞・作曲担当[3]。楽曲のほとんどを手がける。
- ニックネームは「イトシュン」「イトスン」「スン」など。車が好き。既婚。
- 活動休止中はソロでの活動や楽曲提供を行っていた[5]。
- 2015年、メンバーの佐々木と共にお笑いコンビ・どきどきキャンプの佐藤満春を中心に結成されたトイレをテーマにしたバンド「サトミツ&ザ・トイレッツ」[注 9]に参加[18]。メンバーは山田稔明(GOMES THE HITMAN)、佐々木良(キンモクセイ)、伊藤俊吾(キンモクセイ)、伊藤健太(ex. ゲントウキ)、森信行(ex. くるり)[18]。
- コーラス、ギター、シンセサイザー、デザイン、作詞・作曲担当[3]。CGやカメラなど様々な分野に才能を発揮し、プロモーションビデオやグッズの製作を手がけたり、ウェブサイトの運営などを行っている。本職はギターではあるが、ライブでは曲によりドラムを担当する場面もある。
- ニックネームは「良さん(ちゃん)」、「Mr.フツウ」など。
- 2008年の活動休止と同時に3ピースバンド「pogs(ポグス)」を結成[19]。バンドメンバーは、ボーカル&ギターの佐々木、ベースの伊藤健太(ex. ゲントウキ)、ドラムの吉澤響(セカイイチ)という3人[19]。
- 2015年、前述の通り「サトミツ&ザ・トイレッツ」[注 9]にメンバーの伊藤と参加[18]。
- リードギター担当[3]。
- ニックネームは「ゴックン」。
- 2000年12月31日まで、東京ディズニーランド/トゥモローランド・テラス・ステージにレギュラーで出演していた。
- 2008年の活動休止と同時に、メンバーの白井、張替と共に、ラジオDJ・バカボン鬼塚(ボーカル)とラジオディレクター・村上雄信(ギター)を迎えた5人編成のバンド「YOUNGER GENERATION」を結成[20]。
- 活動休止中は、2008年から馬場俊英のコンサートでバックバンドのメンバーとして活動。
- ドラムス担当[3]。キンモクセイ以前から音楽活動をしており、CRACKPOT、esrevnoc等のバンドでサポートメンバーとして活動していた。
- ニックネームは「ハリー」「ハリー・スター」[注 10]。メンバー一物静かだが、スティックを持つと一変する。小学生の頃からドラムを叩いており、その日の気分で演奏も変えられる。イギリスが大好きで、ドラムにはユニオン・ジャックが描かれている。代官山で自らがデザインしたTシャツを委託販売していたこともある。
- 2008年の活動休止と同時に、メンバーの後藤、白井と共に、ラジオDJ・バカボン鬼塚とギタリスト村上雄信を迎えた5人編成のバンド「YOUNGER GENERATION」を結成[20]。
- 活動休止中は、カーネーションなど他のアーティストをサポートしたり、小貫早智子との楽曲制作ユニット・HALIFANIEのメンバーとしてYUKIやJUJUなどへの楽曲提供を行ったりしていた。
元メンバー
- ドラムス担当。
- 2000年7月まで参加。
- コーラス担当。
- 2000年7月まで参加。
- ベース担当[3]。脱退前まではバンドのリーダーであり、運営を行っていた[3]。
- ニックネームは「しらいちゃん」「リーダー」。
- 2008年の活動休止と同時に、メンバーの後藤、張替と共に、ラジオDJ・バカボン鬼塚とギタリスト村上雄信を迎えた5人編成のバンド「YOUNGER GENERATION」を結成[20]。
作品
シングル
アルバム
配信
- セレモニー (2019年10月1日)
- 都市と光の相対性 (2019年12月11日) - アルバム「ジャパニーズポップス」の先行配信
- Smile (2023年10月20日)
DVD
- 大感謝祭〜キンモクセイのPV、など〜 (2006年10月4日)
- ベスト・コンディション・ツアー THE FINAL (2008年4月23日)
インディーズ
- 爆発激者 (デモテープ、2000年)
- 追い風は来ないか (デモテープ、2000年)
- キンモクセイの約18分 (アルバム、2001年)
参加作品
- 活動休止後初の新曲「アシタ」を収録
タイアップ一覧
ヘビーローテーション/パワープレイ
ラジオ
放送年
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曲名
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ラジオヘビーローテーション/パワープレイ
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収録作品
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2019年
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セレモニー
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FM横浜「Tresen」エンディングテーマ
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配信「セレモニー」
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文化放送 12月度「プラスチューン」
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NHK紅白歌合戦出場歴
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。(総合、BS2、BS-hi、ラジオ第1 2002年12月31日)
脚注
注釈
- ^ 公式サイトなどでは「ポピュラーミュージックグループ」を自称している[3][4]。
- ^ 結成当時は、佐藤大(ドラムス)と杉浦愛子(コーラス)を含めた6人組であった。2000年7月に現在のメンバー構成となる。
- ^ メンバー各自のTwitterでも、活動休止中の文字が消えた。
- ^ なお、この2校は現在統合され同じ高校(神奈川県立相模原弥栄高等学校)となっている。
- ^ ライブにはゲストとしてタレントの前田健や歌手の河口恭吾が参加した。
- ^ 初めは公式ファンクラブ「お楽しみ会」会報2007年12月号に別紙を挟む形で発表され、その後公式HPにて正式に発表した。
- ^ あくまでこの曲を録音するためだけの再集結であり、本格的な活動再開ではないことが佐々木のサイトにて語られている[12]。
- ^ 当初はソロで弾き語りの活動をしていた伊藤個人への出演依頼だったが、『相模原』ということもあってキンモクセイとして活動するかどうか決着をつけるいい機会だと思い、メンバー一人ひとりに連絡したことがきっかけだった[5]。
- ^ a b 「小学校でうんちをできない子供がいる」という、佐藤が主張し続けている問題を音楽の力で解決するべく結成されたバンド。佐藤は小学校での上演を視野に入れたトイレにまつわる劇を創作中で、音楽を通じて排泄の大切さを伝えていくために賛同してくれる知り合いのアーティストを招集した。
- ^ リンゴ・スターからとったものであると考えられる。
- ^ 番組エンディングテーマ(2001年12月〜2002年1月)
出典
関連項目
外部リンク
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伊藤俊吾 (Vocal&Guitar&Keyboard) - 佐々木良 (Guitar&Synthesizer&Chorus) - 後藤秀人 (Lead Guitar&Chorus) - 張替智広 (Vocal&Drums) 佐藤大 (Drums) - 杉浦愛子 (Chorus) - 白井雄介 (Bass) |
シングル | |
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アルバム |
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映像作品 |
1.大感謝祭〜キンモクセイのPV、など〜 - 2.ベスト・コンディション・ツアー THE FINAL
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関連項目 | |
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