1888年のホワイトチャペル殺人事件の捜査の際に、ロンドンのホワイトチャペルにあるゴールストン・ストリート (英: Goulston Street) で落書きが発見された。落書きは書き写されたものが伝わっており、その内容は"The Juwes are the men that will not be blamed for nothing"やその変形である。一般にはユダヤ人を非難する意図があると解釈されている。落書きの意味や、切り裂きジャックの犯行との関係が1世紀以上議論されている。
1888年9月30日の早朝にエリザベス・ストライドとキャサリン・エドウッズが殺害されると、警察は被疑者や目撃者、証拠を探すため、犯行現場の近隣を捜索した。午前3時頃、ホワイトチャペルのゴールストン・ストリートの108番地から119番地にあるモデル住宅のスラムの吹抜階段で、ロンドン警視庁のアルフレッド・ロング (英: Alfred Long) 巡査が汚れたエプロンの断片を発見した。その断片は血の染みが付いており、後にキャサリン・エドウッズが身につけていたエプロンの一部であると確認された。エプロンの断片が落ちていた場所の上の方に、白色のチョークで書かれた問題の落書きがあった。落書きが書かれていたのは壁もしくは門口の黒い煉瓦でできたわき柱だったという[1]。
内容の揺らぎ
ロングは検死陪審に、落書きは"The Juwes〔ママ〕are the men that will not be blamed for nothing"という内容だったと述べた[2]。アーノルド (英: Arnold) 警視もロング巡査の説明に同意する内容の報告書を書いた[3]。ロング巡査より少し後に現場に到着したロンドン市警察のダニエル・ハルス (英: Daniel Halse) 刑事も落書きを書き残しているが、"The Juwes〔ママ〕are not the men who will be blamed for nothing"という異なる内容だった[4]。市の測量士のフレデリック・ウィリアム・フォスター (英: Frederick William Foster) も落書きを記録しているが、こちらは"The Juws〔ママ〕are not the men To be blamed for nothing"という内容だった[5]。ロングの記録による複写は、ロンドン警視庁のチャールズ・ウォーレン(英語版) (英: Charles Warren) 総監から内務省へ送付された報告書に添付された[6]。スワンソン (英: Swanson) 警部が記した落書きについての概略報告では"The Jewes〔ママ〕are not the men to be blamed for nothing"という内容になっていた。しかし、スワンソンが実際に落書きを見たことがあったかは定かではない[7]。
落書きの消去
1888年8月31日にメアリー・アン・ニコルズが殺害されてから、度重なる殺人事件は「レザー・エプロン」 (英: Leather Apron、直訳すると「革のエプロン」) と呼ばれるユダヤ人の仕業であるという噂が流布していた。この噂により反セム主義の示威運動が勃発した。ユダヤ人のジョン・パイザー (英: John Pizer) には売春婦に対して暴力を振るうという悪評があり、靴工だったことから「レザー・エプロン」というあだ名が付けられていた。パイザーは逮捕されたが、殺人事件が起きたときのアリバイが確認されて釈放された[8]。
トーマス・アーノルド(英語版) (英: Thomas Arnold) 警視も犯行現場を訪れて落書きを目にした。アーノルドは後に、11月6日の内務省への報告書で、巷にはユダヤ人に対する強い感情が既に存在することから、この落書きで暴動が起きる可能性があると主張した。宗教上の緊張は既に高まっており、暴動に近いものも今までに数多く発生していた。アーノルドはウォーレン警視総監に助言を求めつつ、スポンジを持って立っていた男に落書きを消すように命じた。落書きを覆い隠して写真撮影の準備の時間を用意したり、落書きの部分だけ取り外したりすることが考えられたが、アーノルドとウォーレン (直接現場へ来ていた) はそのような行為は危険すぎると判断した。後にウォーレンは、落書きをすぐに消すのが望ましいと考えていたと述べた[9]。
歴史家のフィリップ・サグデン(英語版) (英: Philip Sugden) によれば、この落書きは事件の手掛かりとして少なくとも3通りに解釈でき、どの解釈もあり得るが、証明することはできないという。第1の解釈は、落書きは殺人者が書いたものではないというものである。エプロンの断片は落書きの近くで偶然に落としてしまったか、意図的に近くに置いたと考えられる。第2の解釈は、落書きの内容を額面通りに受け取るというものである。つまり、ユダヤ人が犯人で、その人物がユダヤ人に罪があるという意味で落書きを書いたということである。第3の解釈は、サグデンによればスコットランドヤードやユダヤ人に最も支持されていたもので、チョークの落書きはユダヤ人に罪を着せて、警察に真犯人を追跡させなくするために書いたというものである[13]。
ホワイトチャペルのウォルター・デュー(英語版) (英: Walter Dew) 刑事は、落書きは事件と無関係で、殺人者には繋がらないものと考えていた[14]。一方で、スコットランドヤードのヘンリー・ムーア (英: Henry Moore) 警部とロバート・アンダーソン (英: Robert Anderson) 警部の両名は、落書きは殺人者が書いたものと考えていた[15]。
解釈
著述家のマーティン・ファイドーは、落書きにコックニーの話し方で共通に見られる特徴である二重否定が含まれていることを言及している。落書きを標準的な英語に直すと"Jews will not take responsibility for anything" (直訳すると「ユダヤ人には何事にも責任をとらない」) となり、その地域でユダヤ人商人に不当な扱いを受けたと考えていた人が落書きを書いた可能性があるという説を提唱した[16]。歴史家のフィリップ・サグデンは、"Jews" (日: ユダヤ人) を"Juwes"と書いたのは、それが落書きを書いた人物の方言に原因がある可能性を指摘した[17]。
ホワイトチャペル殺人事件と同時代に、記者兼作家のロバート・ドンストン・スティーブンソン(英語版) (英: Robert D'Onston Stephenson) がある説を提案している。この人物は恐らくオカルトや黒魔術に関心があったと言われている。スティーブンソンは1888年12月1日のポール・モール・ガゼット(英語版)で"One Who Thinks He Knows"と署名した記事を書いた。その記事の中でスティーブンソンは、全体的な文の構成、二重否定、二重定冠詞 ("the Juwes are the men"の箇所)、珍しい綴りの誤りから、切り裂きジャックは恐らくフランス人であるという結論を出した。スティーブンソンは、無教育のイングランド人やユダヤ人が"Jew"の綴りを間違えるということは起こりにくいと主張し、綴りの間違え方がフランス語の"juives"に似ていると指摘した。一方で、容疑からフランス語を話すスイス人やベルギー人を除外したのは、スイス人やベルギー人の国民性はこの種の犯罪とは逆であるが、フランスでは売春婦の殺害が長い間習慣的に行われており、フランス人独特の犯罪のように思われるためと述べた[18]。この主張に対して、フランス語を母語とする人物からポール・モール・ガゼットの編集者に反論の手紙が送られ、その内容が12月6日に同紙で掲載された[19]。
^Evans and Rumbelow, p. 132; Evans and Skinner, Jack the Ripper: Letters from Hell, pp. 23–24
^ロング巡査の検死審問での証言、1888年10月11日 (出典: Evans and Skinner, The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook, pp. 213, 233; Marriott, pp. 148–149, 153 and Rumbelow, p. 61)
^Sugden, Philip (2002). The Complete History of Jack the Ripper. Carroll & Graf Publishers. pp. 498-499
^ホールス刑事の検死審問での証言、1888年10月11日 (出典: Evans and Skinner, The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook, pp. 214–215, 234 and Marriott, pp. 150–151)
^Evans and Skinner, Jack the Ripper: Letters from Hell, p. 25
^チャールズ・ウォーレンからゴドフリー・ラシントン (英: Godfrey Lushington) 内務事務次官への書簡、1888年11月6日、HO 144/221/A49301C (出典: Evans and Skinner, The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook, pp. 183–184)
^Sugden, Philip (2002). The Complete History of Jack the Ripper. Carroll & Graf Publishers. p. 499
^Begg, p. 157; Marriott, pp.59–75; Rumbelow, pp.49–50
^チャールズ・ウォーレンからゴドフリー・ラシントン内務事務次官への書簡、1888年11月6日、HO 144/221/A49301C (出典: Begg, p. 197 and Marriott, p. 159)
^例: ロンドン市警察のヘンリー・スミス (英: Henry Smith) 本部長の回顧録である"From Constable to Commissioner"のp. 161 (出典: Evans and Skinner, Jack the Ripper: Letters from Hell, p. 27)
^ロング巡査の検死審問での証言、1888年10月11日 (出典: Evans and Skinner, The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook, p. 214 and Marriott, p. 154)
^ abスワンソン警部の報告、1888年11月6日、HO 144/221/A49301C (出典: Evans and Skinner, The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook, pp. 185–188)
Begg, Paul (2003). Jack the Ripper: The Definite History. London: Pearson Education. ISBN0-582-50631-X
Evans, Stewart P.; Rumbelow, Donald (2006). Jack the Ripper: Scotland Yard Investigates. Stroud, Gloucestershire: Sutton Publishing. ISBN0-7509-4228-2
Evans, Stewart P.; Skinner, Keith (2000). The Ultimate Jack the Ripper Sourcebook: An Illustrated Encyclopedia. London: Constable and Robinson. ISBN1-84119-225-2
Evans, Stewart P.; Skinner, Keith (2001). Jack the Ripper: Letters from Hell. Stroud, Gloucestershire: Sutton Publishing. ISBN0-7509-2549-3
Fido, Martin (1987). The Crimes, Detection and Death of Jack the Ripper. London: Weidenfeld and Nicolson. ISBN0-297-79136-2
Marriott, Trevor (2005). Jack the Ripper: The 21st Century Investigation. London: John Blake. ISBN1-84454-103-7
Rumbelow, Donald (2004). The Complete Jack the Ripper. Fully Revised and Updated. Penguin Books. ISBN978-0-14-017395-6
Sugden, Philip (2002). The Complete History of Jack the Ripper. Carroll & Graf Publishers. ISBN0-7867-0276-1