フョードル・グリゴリエヴィチ・オルロフ伯爵(ロシア語: Фёдор Григо́рьевич Орло́в、1741年2月19日 - 1796年5月28日(グレゴリオ暦))は、ロシア帝国の軍人。オルロフ家出身。
生涯
大ノヴゴロド総督グリゴリー・イヴァノヴィチ・オルロフ(ロシア語版)の息子として生まれ、七年戦争に参戦して頭角を現した[1]。兄のグリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ、アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフとともに皇帝ピョートル3世を廃位して殺害した1762年の宮廷クーデター(ロシア語版)に関与したことで元老院の主検察官(英語版)に任命された[1]。1768年から1774年までの露土戦争ではグリゴリー・スピリドフ(英語版)提督の部下として参戦、1770年のチェシュメの海戦(英語版)でオスマン艦隊の戦列を突破した[1]。このことを記念して、ツァールスコエ・セローでチェシュメの柱(英語版)が建てられた[1]。1775年に引退、1796年に死去した[1]。
家族
生涯未婚であったが、5人の庶子があり、女帝エカチェリーナ2世は彼らを貴族に叙し、嫡出と認めた[1]。
脚注