ヨースト・レーシング (Joest-racing ) はドイツのレーシングチームである。日本のメディアではイェストとする表記もある[1]。スポーツカーレースの強豪チームのひとつであり、自動車メーカーのワークス活動を代行することもある。
概要
1978年に元ポルシェのワークスドライバーであったラインホルト・ヨースト(英語版)によってヴァルト=ミヒェルバッハに設立された。以降耐久レースをメインに活動。
1985年のル・マン24時間レースには独自にモトロニックのセッティングを施したポルシェ・956Bを使用してポルシェ・ワークスに打ち勝つ[2]などル・マン24時間レースで15勝を挙げており[3]、ル・マンに参戦するチームの中でも有力な存在である。
また1988年のル・マン24時間レースにはワークスシャシーのポルシェ・962Cであったシリアルナンバー962-004を譲り受けて参戦[4]したり、1989年のル・マン24時間レースには準ワークスとして参戦[5]するなどポルシェから深い信頼を得ていった。この時期にはブルン・モータースポーツ、クレマー・レーシングと並んでポルシェの三強と並び称される事もあった。
1991年からIMSA GTPに本格参戦、開幕戦デイトナ24時間レースで優勝を記録した。
その後もワークス・ポルシェと密接な関係を保ち、ポルシェがIMSA用に開発してお蔵入りしてたTWRポルシェWSC-95(モノコックはTWR製)を、ヨーストが拝借。1996年と1997年のル・マンを連覇してみせた。
翌1998年、必勝を期すポルシェはヨースト陣営をワークスに取り込み、水冷フラット6+6速シーケンシャルの最新コンポーネンツを搭載した2台をLMP1-98として参戦させている。(結果は2台ともリタイア)[6]。
1998年にアウディと契約して以後はアウディの事実上のセミワークスチームとなり、アウディのプロトタイプレーシングカーの開発やレースオペレーションに深く関わり、R8でル・マンを連覇するなど耐久レースにおいての強さを見せつけていた。2003年にはベントレーのスピード8(ベースはR8ではあるが)でル・マンを制覇するなど使用車両に関係なく強さを発揮するなど「耐久王」の名にふさわしい活躍をしていたが、2016年にアウディが同年度をもってプロトタイプレーシング活動からの撤退を発表し、およそ20年近くに渡る両者の関係に終止符が打たれた。
2017年中盤に、それまでユナイテッド・スポーツカー選手権のPクラスにDPi車両で参戦していた北米マツダは、2018年からは従来のスピードソースに代わり、ヨーストにオペレーションを委託する旨を発表した。これによりヨーストは、約2年ぶりにプロトタイプレーシングの世界に復帰することになった。マシンはライリー・マルチマティック製LMP2をベースにしたマツダ・RT24-Pで[7]、心臓部には英国AER製直4ターボを収める[8]。しかし2020年3月、北米マツダは同月のセブリング12時間レースを最後にヨーストとの関係を終了することを発表している[9]。
2021年は、アメリカのスポーツカーメーカーであるグリッケンハウスが、新たに開発するル・マン・ハイパーカー「SCG 007」でFIA 世界耐久選手権(WEC)に参戦するのに際し、レーシングチームのサポートを行う[3]。
歴史
脚注
- ^ "日本の名レース100選バックナンバー". オートスポーツweb. 2017年3月30日閲覧。
- ^ 『Gr.Cとル・マン』p.63。
- ^ a b “WEC:ヨースト・レーシング、グリッケンハウスLMHへのサポートで「モチベーションにあふれている」”. オートスポーツ. (2021年1月7日). https://www.as-web.jp/sports-car/660047?all
- ^ 『Gr.Cとル・マン』、71頁。
- ^ 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』、112頁。
- ^ 「レーシングオン アーカイブズ」第13巻、三栄書房、2019年2月7日。
- ^ “新プロトタイプ「マツダRT24-P」、LAオートショーでアンベイル”. http://mzracing.jp/news/7232
- ^ [1]
- ^ “IMSA:新型コロナによる中断がマツダ・ヨーストからの体制変更を「より良い形にした」とティンクネル”. オートスポーツ. (2020年7月1日). https://www.as-web.jp/sports-car/595796?all
参考文献
外部リンク