Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

原田次郎

原田 次郎
生誕 1894年11月10日
日本の旗 日本 佐賀県
死没 (1989-12-20) 1989年12月20日(95歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1915年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

原田 次郎(はらだ じろう、1894年明治27年)11月10日[1] - 1989年平成元年)12月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将功四級[2]

経歴・人物

佐賀県出身[1][2]1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校第27期卒業、同年12月に陸軍歩兵少尉に任官[1][3]1926年(大正15年)陸軍大学校第38期卒業[1][2]

1936年(昭和11年)8月に第2師団参謀を経て、1938年(昭和13年)3月に陸軍歩兵大佐に進み、同年7月に第2師団参謀長に発令される[2]。ついで、1940年(昭和15年)12月に陸軍士官学校教授部長に転じ、1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進む[1][2]

大東亜戦争に入ると、同年8月に第17歩兵団長(支那派遣軍第13軍第17師団)に任ぜられ、1942年(昭和17年)11月に保定幹部候補生隊長、1944年(昭和19年)1月に独立混成第30旅団長(南方軍第14軍)を経て、同年6月に陸軍中将・第100師団長(第14方面軍第35軍)に親補され、ミンダナオ島で米上陸軍相手に第32特別根拠地隊などの海軍部隊も統一指揮して抵抗を続けた[1][2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

勲章

脚注

  1. ^ a b c d e f g 福川 2001, 601頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 371頁.
  3. ^ 外山 1981, 369頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  5. ^ 『官報』第5634号「叙任及辞令」1945年10月22日。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
Kembali kehalaman sebelumnya