吉田 健一郎(よしだ けんいちろう、1913年 - 1991年)は、日本の外交官。外務省賠償部長、駐ハンガリー特命全権大使、駐シンガポール特命全権大使、駐ニュージーランド特命全権大使。
人物・経歴
愛媛県出身。1933年第一高等学校文科甲類卒業[1]。1936年東京帝国大学法学部政治学科卒業[2]、外務省入省。1948年連絡調整中央事務局第一部連絡課長[3]。1949年連絡調整中央事務局第一部総務課長[4]。同年外務省政務局情報部文化課長[5]。1952年在ロスアンゼルス日本政府在外事務所所長[6]。1952年在ロサンゼルス日本国総領事館総領事[7]。同年外務省情報文化局第一課長[8]。外務省情報文化局外務参事官を経て、1957年外務省アジア局賠償部調整課長[9]。同年外務省アジア局賠償部長[10]。1959年外務省アメリカ局外務参事官[11]。同年在オーストラリア日本国大使館参事官[12]。1962年外務省大臣官房審議官[13]。同年特命全権公使ハンガリー国駐箚[14]。1964年特命全権大使ハンガリー国駐箚[15]。1967年特命全権大使シンガポール国駐箚[16]。1969年特命全権大使ニュー・ジーランド国駐箚[17]。1983年勲二等旭日重光章受章[18]。1991年叙正三位[19]。
家族
父は岐阜県知事や四日市市長などを務めた内務官僚の吉田勝太郎。妻の貞子は日興證券の創業者の遠山元一の長女[20][21][22]。
出典
- ^ 卒業生氏名
- ^ 東京帝国大学卒業生氏名録
- ^ 官報昭和23年本紙第6532号 175頁
- ^ 官報昭和24年本紙第6643号 51頁
- ^ 官報昭和24年本紙第6719号 73頁
- ^ 官報昭和27年本紙第7524号 157頁
- ^ 在ロサンゼルス日本国領事館の100年在ロサンゼルス日本国領事館
- ^ 官報昭和28年本紙第8070号 424頁
- ^ 官報昭和32年本紙第9044号 359頁
- ^ 官報昭和32年本紙第9154号 59頁
- ^ 官報昭和34年本紙第9709号 162頁
- ^ 官報昭和34年本紙第9757号 56頁
- ^ 官報昭和37年本紙第10606号 706頁
- ^ 官報昭和39年本紙第11239号 15頁
- ^ 官報昭和39年本紙第11239号 15頁
- ^ 官報昭和42年本紙第12263号 16頁
- ^ 官報和44年本紙第12772号 18頁
- ^ 官報昭和58年号外第29号 15頁
- ^ 官報平成3年本紙第560号 11頁
- ^ 『現代の系譜 日本を動かす人々』、東京中日新聞出版局、1965、p172
- ^ 歴代大使・総領事在シンガポール日本大使館
- ^ 『信毎年鑑』信濃每日新聞社, 1963, p471
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全権公使 |
- 開設1953
- 島静一1953-1956臨時代理公使
- 武野義治1956臨時代理公使
- 島津久大1956-1958
- 昇格1958
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全権大使 | |
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