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この項目では、2019年9月に東京急行電鉄から商号を変更した会社について説明しています。
- 同社が2019年9月まで運営していた鉄軌道事業およびこれを継承した子会社については「東急電鉄」をご覧ください。
- 1947年から1954年まで同社が母体として運営していたプロ野球球団「東急フライヤーズ」については「北海道日本ハムファイターズ」をご覧ください。
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東急株式会社(とうきゅう、英: TOKYU CORPORATION[4])は、東京都渋谷区に本社を置き、不動産事業、交通事業、ホテル・リゾート事業、生活サービス事業を手がける東急グループの中核をなす事業持株会社である[5]。
略称は「東急株」(とうきゅうかぶ。東急電鉄の略称「東急」との区別のため、株式会社の略称である「株(かぶ)」を入れている)。大手私鉄の東急電鉄や東急百貨店、東急ホテルズなどを傘下に持つ。純然たる持株会社ではなく、直営で不動産賃貸業などを展開している[2](総合不動産事業を展開する関連会社の東急不動産とは棲み分けがされている[6])。このため、社名にホールディングスとは入っておらず、あくまでも東急グループの中核企業かつ統括会社という位置付けである。
大手私鉄グループの中では、連結売上高は近鉄グループホールディングスに次ぐ2位、連結総資産は阪急阪神ホールディングスに次ぐ2位である[7]。
旧社名は東京急行電鉄株式会社(とうきょうきゅうこうでんてつ)。2019年9月2日に現社名に変更した。現在は東急電鉄の略称となった「東急」の名称は、東京急行電鉄時代からの略称でもある(「東京急行」→「東急」、2006年まで東京急行電鉄本体が「東京急行」を対外的に使用していた)。
概説
渋沢栄一が東京府荏原郡(現在の東京都区部南西部=品川区、目黒区、大田区および世田谷区の一部)の宅地開発とその住民のための交通網と生活基盤整備のために創設した田園都市株式会社を源流とする企業である。東急グループ各社の統括の他、東急不動産などとともに東急グループの拠点である渋谷の開発を戦前から行なってきたほか、他のグループ外企業とともに空港(仙台空港、富士山静岡空港)のコンセッション事業に共同参画しており、公式サイト[2] では事業内容を「不動産事業」としている。
旧社名の「東京急行電鉄」が示すとおり、かつては東京都南西部から神奈川県東部において路線を展開して鉄軌道事業を行っていたが、2019年10月1日に同事業を「東急電鉄株式会社」に会社分割方式で分社化している[9][10](詳細後述)。「東急電鉄」の名称は、2006年1月1日から当時の東京急行電鉄が「東京急行」に代わって使用を開始した公式な通称による[注釈 1]。この名残で、証券コードにおける業種分類では、現在でも「陸運業」に分類されている。
ただし、東急グループ全体として見た場合には、鉄軌道事業の収益に比べて不動産事業やホテル事業などそれ以外の収益がはるかに上回っており、連結決算で見た東急グループ全体の営業収益(売上高に相当)は毎年1兆円を超える。グループ企業には、路線バスなど交通、不動産開発、小売業、ホテル・リゾートなどに232社5法人が名を連ねる(2020年3月末現在)[5]。東急株式会社は、分社化以前から東急グループの事業中核会社(事業持株会社)=統括会社として認識されており、「東急本社」あるいは旧社名の「東京急行電鉄」に由来する「電鉄本社」と表現されることが多かった。
1947年から1972年まで、プロ野球チームの「東急(急映・東映)フライヤーズ」(北海道日本ハムファイターズの前身)を所有していた。1964年まで、映画製作・配給を手掛ける東映(旧・東横映画)は東急グループの傘下であった[注釈 2]。また、かつてグループ企業に日本エアシステム(JAS、現・日本航空株式会社)があったことから、同社の株式移転などにより設立されたJALグループの持株会社である株式会社日本航空の筆頭株主だったが、2009年12月から2010年1月までに同社株を売却し、資本関係は解消している。
東京証券取引所一部上場で、日経225(日経平均株価)の構成銘柄である。女性活躍推進に優れている企業を選定・発表している経済産業省と東京証券取引所との共同企画である「なでしこ銘柄」に第一回(2012年度)から6年連続で選定されている[11]。
鉄軌道事業の分割
2019年3月27日に行われた取締役会において、経営体制の最適化を目的として鉄道事業の分社化[注釈 3]を次回株主総会に諮ることを決議した[12]。源流企業である田園都市株式会社の創立101周年の記念日[注釈 4] に当たる2019年9月2日に商号を「東急株式会社」に変更した。同年10月1日をもって鉄軌道事業を「東急電鉄株式会社」(4月25日に「東急電鉄分割準備株式会社」として設立、9月2日付で商号変更、英: TOKYU RAILWAYS Co., Ltd.)に分割され、鉄軌道事業においても「東京急行電鉄」の商号・呼称は用いられなくなる。なお、東急株式会社の英文社名には引き続き「TOKYU CORPORATION」を用いるほか、分社後の東急株式会社には直営で東急沿線を中心とした不動産事業・その他事業が残り、引き続き事業会社としての機能を有するため、他の大手私鉄の持株会社(西武HD・相鉄HD・近鉄GHD・阪急阪神HD・京阪HD)とは違い、純然たる持ち株会社を意味する「ホールディングス」等の名称は用いないことにしている[9][13]。これにより、大手私鉄で「東京」を冠するのは東京地下鉄(東京メトロ)のみ、「急行」がつくのは京浜急行電鉄(京急・京急電鉄)のみとなった[注釈 5]。
東急と五島家
1943年に東京急行電鉄が刊行した『東京横浜電鉄沿革史』によると、東急の“創設者”は東急の母体企業“田園都市創設者”という表現で渋沢栄一となっている[14]。また、渋沢の子である渋沢秀雄も田園都市株式会社の取締役支配人、及び東急電鉄の常任監査役などをつとめていた。
しかし、東急の事実上の“創業者”は五島慶太と認識されている。これは、東急の源流企業である田園都市株式会社を実質的に経営していた小林一三(現在の阪急電鉄の創業者)がその子会社である目黒蒲田電鉄に、当時、鉄道省の高級官吏であった五島慶太を経営陣に招聘し、それ以降、五島慶太を中心に、同社が東京横浜電鉄、東京急行電鉄と変遷し、現在の東急グループが形成されたからである。
とは言え、東武鉄道の根津家(根津嘉一郎)や西武鉄道の堤家(堤康次郎)[15][注釈 6][注釈 7] とは異なり、五島は資本による会社支配は行わなかった[注釈 8]。つまり五島家の東急の持株比率は低く、個人株主では国際興業の小佐野賢治が筆頭であった。また、五島慶太の後継者五島昇も資本による会社支配を行わなかったことから、五島慶太・昇父子の経営者としての手腕や、パーソナリティでグループが結束を保ってきた歴史を有する。五島昇の後継者として目された昇の長男五島哲は、本田技研工業を経て東急取締役に就任し、東急建設社長を務めたが、五島昇に望まれながらも東急本社の社長には就任せずに他界した。現在、東急グループの経営陣に五島家出身者はいない。
社紋
現在の社紋は目黒蒲田電鉄時代から数えて4代目、東京急行電鉄時代から数えて2代目にあたる。大東急が成立した1943年(昭和17年)5月1日に制定された先代社紋は杉浦非水による考案で、中央には鉄道を表すレールの断面を、会社の飛躍を表す羽根をその両側に配置し、羽根が束縛を意味する円を突き破る姿は会社の更なる発展を意味している[16][17]。
現在の社紋は創立50周年を記念して1973年(昭和48年)5月に制定された。中央の楕円は地球を、白抜きの逆三角形は東急の「T」の図案化であるとともに「三角錐体論」による三角錐体の俯瞰図を表し、その先端部が楕円の円周に接することで事業網が各地に拡大していく様を表現している。下部にある3本の弓状の弧は楕円を含めて三角錘体論の構成要素である東急グループの交通・開発・流通・健康産業の4部門を指し、外側に向かって広がっていく形はグループの成長、拡大、発展を表している[16]。
この社紋は東急グループの統一マークとしての側面もあり、上部の文字を「TOKYU CORPORATION」とする東急株式会社社紋の他にもグループ各社の英名を組み込んだバリエーションがある。また、それら各社社紋の他に文字を「TOKYU GROUP」としたグループ統一マークがある[16]。
沿革
2019年の再編までの歴史の詳細については東急電鉄#歴史を参照
歴代経営陣
※出身校の空欄は最終在籍大学不明。
住宅開発事業
東急沿線での住宅開発は主に東急不動産が担っている。東急沿線のみならず、沿線外の地域でも住宅開発を行っている。
主な自社開発ブランド
- マンション「DRESSER(ドレッセ)」
- 一棟まるごとリノベーションマンション「DRESSER Reno(ドレッセリノ)」
- 一戸建て住宅「NEUE(ノイエ)」
- 賃貸住宅「STYLEO(スタイリオ)」
- シニア向け住宅「Wellna(ウェリナ)」、「Wellna Care(ウェリナケア)」
東急沿線
- 多摩田園都市
- ジェネヒルあざみ野(横浜市青葉区荏子田・すすき野地区、2003年から)
- イデアリーナ(横浜市青葉区あざみ野南地区、2007年から)
- ノイエあざみ野(2008年から)
- ノイエたまプラーザ(2008年から)
東急沿線外
主要グループ企業
テレビ番組
脚注
注釈
- ^ 同じく関東の大手私鉄京浜急行電鉄(略称:京急)も、かつて公式通称は「京浜急行」だったが、現在は「京急電鉄」となっている。
- ^ 当時東映のオーナーだった大川博と東急側との間に溝ができ、東映側が独立した。大川の没後、東急派の岡田茂が東映の取締役を務めるなど、東急との関係は部分的に残った。
- ^ その後、鉄道業界においては2026年に南海電気鉄道が鉄道事業の分社化をする予定である。
- ^ 田園都市株式会社から分離し子会社となった目黒蒲田電鉄の設立日は1922年(大正11年)9月2日である。
- ^ かつては京阪神急行電鉄(阪急)も該当、準大手含むと北大阪急行電鉄(北急・北大阪急行)も該当。
- ^ 堤家は、国土計画(後のコクド、株式非上場、2006年プリンスホテルに吸収合併され解散)を名義株(株式の虚偽記載)により支配し相続税を払わず、そのコクドの子会社であった西武鉄道の株の過半数を、これも名義株を使い実効支配することにより西武鉄道グループを私物化していた。
『西武事件「堤家」支配と日本社会』吉野源太郎、日本経済新聞社、2005年5月20日。
『西武争奪-資産2兆円をめぐる攻防』安西巧、日本経済新聞社、2006年4月20日。
- ^ 「コクド株や西武株を信頼出来る人々に、分散して持たせておいて、後で義明の元に全部戻してもらったのであった」「堤康次郎は選挙に金を注ぎ込まなければならないと考えた。陸運局の公聴会を利用して、選挙民を動員して公聴会に連れて行き、その謝礼という名目で金を渡した」株式の名義株(虚偽記載)の方法や選挙における買収の方法が西武の専属弁護士によって具体的に書かれている。 - 中島忠三郎『西武王国–その炎と影』サンデー社、2004年12月10日
- ^ 五島は資本による会社支配は行わなかったため、ファミリー企業(同族経営企業)ではなかったが、池上電鉄、玉川電鉄、京浜電鉄、京王電軌などの会社を、あたかも札束(資本)をもって白昼強盗を働くように買収し「強盗慶太」と異名を頂戴した。 - 『私の履歴書』第一集 P20、日本経済新聞社1957年2月10日
- ^ 後の岡山医専、現・岡山大学医学部
- ^ 東京帝国大学法学部独法を首席卒業、五島慶太の同級生でもあった。同期で仏法を首席卒業した芦田均は後の総理大臣。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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