柿崎 颯馬(かきざき そうま、1999年12月1日 - )は、神奈川県平塚市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投左打。
経歴
平塚市立吉沢小学校1年次に兄と姉がプレーしていた少年野球チームで野球を始める。小学6年次には横浜DeNAベイスターズJr.[注 1]に選出され、第7回NPB12球団ジュニアトーナメントに出場した[1]。
平塚市立土沢中学校在学時には横浜緑リトルシニアに在籍し、第8回全日本中学野球選手権大会ジャイアンツカップでベスト4進出を果たした[2]。チームの一年後輩には後にチームメイトとなる岡本哲弥がいた[3]。
中学卒業後は桐蔭学園高等学校に進学。2学年上には後にチームメイトとなる海老根拓弥が、2学年下には横浜DeNAベイスターズでプレーする森敬斗がいた[4]。1年夏からベンチ入りを果たし[5]、2年夏には主に3番・中堅手でスタメン入りした[6]。2年次に出場した公式戦6試合では長打4本を含む9安打、9打点の活躍を見せた[7]。3年春には遊撃手としても出場した[8]。主将として挑んだ夏の選手権大会では、3回戦で破れ甲子園出場は叶わなかった[9]。
プロ注目選手としてドラフト指名も有力視されていたが、プロ志望届を提出せず、社会人野球・JFE東日本に入団したものの、なかなか芽が出ず野球をやめることも考えていた。しかし、夢であるプロ野球選手を諦められず、小学生時代に所属していたベイスターズJr時代のコーチ[注 2]で、2021年当時、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の神奈川フューチャードリームスでヘッドコーチを務めていた林裕幸に連絡を取り、入団テストを受験[10]。2022年1月24日に練習生契約として神奈川に加入したことが発表された。背番号は31[12]。
シーズン序盤の4月19日に選手契約へと変更し[13]、以降シーズンを通して43試合に出場、打率.311 打点12という成績[14]を残した。シーズンオフの10月29日には2023シーズンのキャプテンに就任することが発表された[15]。
2023年4月13日、横浜DeNAファームとの交流戦1回表の守備でセンターに抜ける打球に飛びつき負傷、翌14日には練習生契約への変更が発表された[16]。5月9日、約1か月ぶりに選手契約へと変更されることが発表された[17]。5月16日、復帰5戦目の埼玉武蔵ヒートベアーズ戦では9回に自身BCリーグ初となる3点本塁打を記録するなど4打数3安打3打点の大活躍を見せた[18]。その好調のままにシーズンを終え、打率.330(南地区2位)、本塁打8本(南地区2位タイ)、打点33、OPS.976の好成績をマークした[19]。10月11日、リーグのベストナイン・二塁手部門に選出された[20]。
2024年1月10日、選手兼任で野手コーチに就任することが発表された[21]。打率.353(リーグ4位)、本塁打2本、打点37、OPS.909の好成績で、10月11日、リーグのベストナイン・指名打者部門に選出された[22]。シーズン終了後の10月17日に現役引退とコーチの退任による退団が発表された[23]。
詳細情報
独立リーグでの打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2022
|
神奈川
|
43 |
160 |
135 |
18 |
42 |
8 |
2 |
0 |
54 |
12 |
1 |
1 |
1 |
1 |
22 |
- |
1 |
34 |
4 |
.311 |
.408 |
.385 |
.793
|
2023
|
53 |
219 |
188 |
37 |
62 |
13 |
3 |
8 |
97 |
33 |
2 |
1 |
1 |
1 |
24 |
- |
5 |
29 |
2 |
.330 |
.417 |
.559 |
.976
|
2024
|
55 |
224 |
207 |
36 |
73 |
18 |
4 |
2 |
105 |
38 |
0 |
0 |
0 |
0 |
12 |
- |
5 |
33 |
4 |
.353 |
.402 |
.507 |
.909
|
通算:3年
|
151 |
603 |
530 |
91 |
177 |
39 |
9 |
10 |
264 |
83 |
3 |
2 |
2 |
2 |
58 |
- |
11 |
96 |
10 |
.334 |
.409 |
.498 |
.907
|
背番号
脚注
注釈
- ^ 2011年大会は球団譲渡に伴い、新球団名(横浜DeNAベイスターズ)で参加。ユニホームは横浜ベイスターズ時代のものを使用した。
- ^ タウンニュース[10]では林をベイスターズJr時代の監督であると紹介しているが、実際には林はコーチであり、当時の監督は平松政次である[11]。
出典
関連項目
外部リンク