ダッカ (ベンガル語 : ঢাকা [ˈɖʱaka] 英 : Dhaka 、旧名Dacca)は、バングラデシュ の首都 [ 1] でありダッカ県 の首府を兼ねる。世界有数のメガシティ であり、2016年 の人口推計によると、近郊を含む都市圏人口 はバングラデシュ最大の[ 2] 1,623万人であり、世界第16位である[ 3] 。
バングラデシュ中央部に位置し、ブリゴンガ排水路によってドレッショリ川 に通じる同国の商業 ・工業 ・文化 ・教育 の中心地であるダッカは、「モスクの街」としても知られる[ 4] 。ジュート ・綿 加工や食品加工などの製造業 が行われ、特にまた高品質なモスリン 生産の地としても有名である。街中には約40万台と言われるリキシャ が毎日行き交う事でも知られる[ 5] 。
ダッカの歴史は9世紀 以前に遡るが、ダッカが都市として繁栄したのはムガル帝国 の統治下で17世紀 にベンガル 州の州都となったことによる。当時の名は「ジャハーンギールナガル」といった。1765年 からイギリス の支配にあるイギリス領インド帝国 に組み込まれ、19世紀 にはコルカタ に次ぐベンガル地方 第二の都市にまで発展した。1947年 にパキスタンとして独立 後は東パキスタン の首都となった。1971年 にバングラデシュとして独立以後も引き続き首都となり、現在に至る。
ダッカのストリートマーケットの風景
現代のダッカは、バングラデシュの政治・文化・経済活動の中心地である[ 6] 。 都市のインフラストラクチャー は国中で最も発達しているが、それでも急激な人口増加には追いつかず、公害 や交通渋滞 または公共サービスの不足などの問題に直面している。そのような中でも近年は交通機関や情報網および公共事業などで近代化が促進されている。ダッカは外資を呼び込んで商業や貿易の拡大を図っているが、これがまた人口の流入を促進する要因となり、結果的にダッカを世界一急激な人口増加都市にしている[ 7] [ 8] 。こうした負の要素は、早々に改善できるものではなく、2013年、世界各都市の医療、文化・環境、教育、インフラを数値化した「世界で最も住みやすい都市」のランキングでワースト2位になった(1位は内戦状態のダマスカス )[ 9] 。
歴史
ラールバーグ城 (英語版 ) 。17世紀中期にシャーイスタ・ハーン が建設した。
現在のダッカがある地域が市街地化された最初の時期は7世紀 であり、8世紀 には仏教 国のカーマルーパ (英語版 ) 王国、次いでパーラ朝 の統治下にあった。そして9世紀 からはヒンドゥー のセーナ朝 がこの場所を治めた[ 10] 。12世紀 になり、女神 ダケーシュワリー (英語版 ) を祀る寺院がバッラーラ・セーナ (英語版 ) によって建立されると、これにちなみ都市は「ダッカ」と呼ばれるようになった[ 11] 。当時のダッカ周辺はベンガラ (Bengalla) と呼ばれ、市街には小規模な市(Lakshmi Bazar, Shankhari Bazar, Tanti Bazar, Patuatuli, Kumartuli, Bania Nagar, Goal Nagar)がいくつか立った。セーナ朝の後には、ダッカはデリー・スルターン朝 が送り込んだテュルク 人やパシュトゥーン人 による為政が続いたが、勃興したムガル帝国 が1608年 に当地を支配した[ 12] 。
ムガル帝国のベンガル州都となったダッカでは、都市の開発と人口増加が始まった[ 13] [ 14] [ 15] 。行政担当を担当した初代知事イスラーム・ハーン (英語版 ) [ 16] は、皇帝ジャハーンギール にちなんでこの都市の名をジャハーンギールナガル(「ジャハーンギールの都」の意)と定めた。シャーイスタ・ハーン 将軍の頃[ 14] [ 15] 、都市は19×13kmの市域に約100万人を抱えるまでに発展した[ 17] 。
アシャーン・マンズィル (英語版 ) 。ダッカ・ナワーブ家 (英語版 ) の邸宅だったが、現在は博物館 として利用されている。
1765年 、イギリス東インド会社 は徴税権(ディーワーニー・ライト、Diwani right)を獲得し、1793年 にはベンガルの貴族階級(ナワーブ 、Nawab)はベンガルやビハールまたオリッサの州や都市に対する利権を放棄することを強いられ、イギリスはこれら地域を支配する行政権をも手中にした。この期間、コルカタ の人口が増加した事と対照的に、この地区の都市からは市民の流出が続いた[ 18] が、実質的な発展は続き、近代化も行われた。現代的な都市給水網は1874年 に導入され、電力供給も1878年 に始められた[ 19] [ 20] 。その一方、ダッカ駐屯地 (英語版 ) が都市近郊に設けられ、イギリスとベンガルの軍が駐留することになった[ 15] 。
1905年 のベンガル分割令 が発布され、ダッカは新設された東ベンガル、アッサム州の首府とされたが、この法令は1911年 に撤回された[ 13] [ 14] [ 15] 。1947年 、インドが分離独立 すると、ダッカは東パキスタン の首府となった。しかし、このインド分割に端を発する住民間の対立が激しくなり[ 15] 、ヒンドゥーの多くがインドへ移住、逆にムスリムの流入が増えた。ダッカは地方行政府であったため、政治的な抗議活動や暴力行為が頻発するようになった[ 15] 。さらに、パキスタンの公用語 をウルドゥー語 のみに統一した事がこれらに拍車をかけ、ベンガル語運動 が沸き起こった。この運動では、パキスタン警察が平和的なデモを行っていた学生ら多数を殺害する事件も起きた[ 21] 。この事件を記念するのがショヒド・ミナール で、事件が起きた2月21日 は国際母語デー となっている。1950年代 から1960年代 にかけて、ダッカは政治活動の温床であり続け、ベンガル人による自治を要求する運動は高まりを見せた[ 22] 。
バングラデシュ国会議事堂
1970年 、大型台風のボーラ・サイクロン がダッカ及び周辺を襲い、約50万人が死亡した[ 23] 。市域の半分が水没し、数百万人が水の被害を受けた[ 24] 。中央政府の民族差別的かつ不充分な救援は、民衆に怒りを沸き立たせ、1971年 3月7日にはベンガル人政治家のムジブル・ラフマン が呼びかけスフワルディー広場 (英語版 ) で民族主義の集会が開かれた[ 15] [ 21] 。集会には約100万人が集まり、これが3月26日に行われたバングラデシュ独立宣言に繋がった[ 21] 。これに対しパキスタン軍 は「サーチライト作戦 (英語版 ) 」を敢行して対抗し、何千人もの逮捕・拷問そして殺害を行った[ 25] 。争乱は9ヶ月に渡る血みどろの戦闘に発展し、バングラデシュ‐インド連合軍 (Mitro Bahini ) の前にパキスタン軍は降伏 し、バングラデシュ独立戦争 が終戦した[ 26] 。
ダッカは新生国家バングラデシュの首都となり、国中の農村地域から出稼ぎ労働者を受け入れる形で急速に人口を増やし大規模な都市拡張を見せた[ 27] 。これに伴い商業や産業も発展し、インフラストラクチャーの整備にも着手され始めた[ 28] 。不動産取得がブームとなって市域が拡大し、ウットラ (英語版 ) 地区、モハマドプール (英語版 ) 地区、ボシュンドラ、ミルプール (英語版 ) 、モティジール (英語版 ) などの地区が開発された[ 29] 。
一方、このような人口増加は窃盗など犯罪 件数の増加にも繋がっている[ 1] 。生活環境の改善も人口の増加に追い付かず、
2019年 には北郊に存在したスラム 街で火事が発生。2000戸が焼失し、10000人以上が焼け出された[ 30] 。
2024年 7月、市内で学生のデモと警官隊が衝突、次第に規模が大きくなった。警察発表では、同月19日の数十万人が参加したデモにおいて警官2人が撲殺 され、少なくとも150人の警官が入院、さらに150人が応急処置を受けた。多数の交番や多くの政府庁舎もデモ隊により放火 、破壊された。政府は同月20日に夜間外出禁止令を発出した[ 31] 。
地理
ダッカは、バングラデシュの中央部北緯23度42分0秒 東経90度22分30秒 / 北緯23.70000度 東経90.37500度 / 23.70000; 90.37500 、ガンジス川 ・ブラマプトラ川 ・メグナ川が構成するガンジスデルタ (英語版 ) のほぼ中央[ 32] 、下流域に当たるブリゴンガ川 (英語版 ) の東岸に位置する。面積は153.84平方キロメートル[ 33] 。地質は完新世 から鮮新世 時代に堆積された層であり、海抜は2-12m程度と低く[ 32] 、雨季 の激しい降雨やサイクロンによってダッカはしばしば洪水に見舞われる運命にある[ 34] 。
市は8つの主要な区 (thana):ラールバーグ (英語版 ) 、コートワーリー (英語版 ) 、ストラプル (英語版 ) 、ラムナ (英語版 ) 、モティジール (英語版 ) 、パルタン (英語版 ) 、ダンモンディ (英語版 ) 、モハマドプル (英語版 ) 、テージガーオン (英語版 ) と、16の地区:グルシャン (英語版 ) 、ミルプール (英語版 ) 、パラビ (英語版 ) 、シャー・アリー、トゥラグ、サブジバーグ (英語版 ) 、カントンメント (英語版 ) 、デムラ (英語版 ) 、ハジャリバーグ (英語版 ) 、シャームプル (英語版 ) 、バッダ (英語版 ) 、カフルール (英語版 ) 、カムランギルチャール (英語版 ) 、キルガーオン (英語版 ) 、ウットラ (英語版 ) に分けられる。市には総計130の小区と725モッハラ (南アジア等で用いられる町割りの単位)がある[ 35] 。ダッカ都市圏は1463平方キロメートルの広さがあり、ガーズィープル県 (英語版 ) 、タンガイル県 (英語版 ) 、ムンシガンジ県 (英語版 ) 、ラジバリ県 (英語版 ) 、ナラヤンガンジ県 (英語版 ) 、マニカガンジ県 (英語版 ) と接している[ 35] 。
ダッカの都市風景
気候と環境
ダッカは気温が高く、降雨も頻繁な多湿の熱帯性気候 であり、ケッペンの気候区分 ではサバナ気候 に該当する。都市にはモンスーン が通過し、年平均気温は25℃(77°F )、月平均気温は1月に18℃(64°F )、8月で29℃(84°F )となる[ 36] 。年間降水量1,854mmのうち80%は5月から9月の間に記録される[ 36] 。交通渋滞や産業廃棄物などの影響で大気や水質の汚染が進み、これらは健康や居住環境等に悪影響を及ぼす深刻な問題となりつつある[ 37] 。周辺の沼沢地や湿地 などは、多階層ビルなど不動産開発によって破壊に直面しており、このような自然の生息地が破壊される現状は環境汚染と相まって、生物の生存多様性を著しく脅かしている[ 38] 。
ダッカの気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
31.1 (88)
34.4 (93.9)
40.6 (105.1)
42.2 (108)
41.1 (106)
36.7 (98.1)
35.0 (95)
36.1 (97)
36.7 (98.1)
37.2 (99)
34.4 (93.9)
30.6 (87.1)
42.2 (108)
平均最高気温 °C (°F )
25.4 (77.7)
28.1 (82.6)
32.5 (90.5)
33.7 (92.7)
32.9 (91.2)
32.1 (89.8)
31.4 (88.5)
31.6 (88.9)
31.6 (88.9)
31.6 (88.9)
29.6 (85.3)
26.4 (79.5)
30.6 (87.1)
日平均気温 °C (°F )
19.1 (66.4)
21.8 (71.2)
26.5 (79.7)
28.7 (83.7)
28.7 (83.7)
29.1 (84.4)
28.8 (83.8)
29.0 (84.2)
28.8 (83.8)
27.7 (81.9)
24.4 (75.9)
20.3 (68.5)
26.1 (79)
平均最低気温 °C (°F )
12.7 (54.9)
15.5 (59.9)
20.4 (68.7)
23.6 (74.5)
24.5 (76.1)
26.1 (79)
26.2 (79.2)
26.3 (79.3)
25.9 (78.6)
23.8 (74.8)
19.2 (66.6)
14.1 (57.4)
21.5 (70.7)
最低気温記録 °C (°F )
6.1 (43)
6.7 (44.1)
10.6 (51.1)
16.7 (62.1)
14.4 (57.9)
19.4 (66.9)
21.1 (70)
21.7 (71.1)
21.1 (70)
17.2 (63)
11.1 (52)
7.2 (45)
6.1 (43)
降水量 mm (inch)
7.7 (0.303)
28.9 (1.138)
65.8 (2.591)
156.3 (6.154)
339.4 (13.362)
340.4 (13.402)
373.1 (14.689)
316.5 (12.461)
300.4 (11.827)
172.3 (6.783)
34.4 (1.354)
12.8 (0.504)
2,148 (84.567)
平均降水日数 (≥0.1 mm)
1
1
3
6
11
16
12
16
12
7
1
0
86
% 湿度
46
37
38
42
59
72
72
74
71
65
53
50
57
平均月間日照時間
279
226
217
180
155
90
62
62
90
186
240
279
2,066
出典1:Weatherbase (normals, 30 yr period)[ 39]
出典2:Sistema de Clasificación Bioclimática Mundial (extremes),[ 40] BBC Weather (humidity and sun)[ 41]
都市行政
ダッカの自治は1864年8月1日から始まり、1978年には都市自治体 に昇格された[ 42] 。2011年には行政サービス向上のため、市役所が南北に分割され、市長も南北それぞれに置かれることとなった[ 43] 。市長職は民選で、任期は5年である。ダッカ教育委員会 (英語版 ) は公立学校と、イギリス系学校やマドラサ を除くほとんどの私立学校を管掌する[ 44] [ 45] 。イギリス系学校は独立した組織であるのに対し、バングラデシュのマドラサはすべて中央委員会が管轄している[ 46] 。
ダッカ市警 (英語版 ) (DMP) は1976年に設立され、12の警察署に6,000の人員を配置した[ 47] 。その後都市の急速な膨張に対応し、警察署は33箇所、人員は23,000人まで拡張され、さらに18の警察署新設に取り掛かっている。
ダッカ市の選挙区からは10名の国会議員が選出され、アワミ連盟 とバングラデシュ民族主義党 が二大政党の位置を占める。ラムナ区には行政事務局があり、政府省庁のほとんどがここに集まっている。バングラデシュ最高裁判所 とダッカ高等裁判所 (英語版 ) も市内にある。大統領宮殿 (英語版 ) (Bangabhaban) はインド総督 の公邸として建てられ東パキスタンの知事 も利用したが、現在はバングラデシュ大統領 が使用している[ 48] 。バングラデシュ国会議事堂 は建築家ルイス・I・カーン の設計[ 21] で、一院制 の国会が開催される。バイトゥル・ムカッラム (英語版 ) は、メッカ のカアバ を模して建設された国立のモスク である[ 49] 。歴史的建造物としては、バラ・カトラ宮殿 (英語版 ) 、ラールバーグ・フォート (英語版 ) 、フスアニ・ダラン (英語版 ) 、アッシャン・モンジル (英語版 ) などがある[ 50] 。
交通渋滞 や人口増加へ対応し、中央政府は周辺部の都市化 とダッカ市域外に工場やビルを建設する場合に10年間の所得税 免減制度を導入した[ 51] 。チッタゴン とは違いダッカには下水道が敷設されているが、その恩恵を受けるのは人口の25%に止まり、30%は浄化槽 を利用している[ 52] 。上水道は市内住居の2/3にしか普及していない。固形廃棄物は年間970万トン発生する。個人および行政によって都市部における収集体制は確立し、集められたごみは低地や沼沢地に埋め立てられている[ 37] [ 52] 。
経済
カルワン・バザール (英語版 ) 。ダッカにある主要ビジネスセンターのひとつ。
ダッカはバングラデシュの商業の中心地である[ 53] 。そこでは現代的な消費財や高級品を取扱う市場を担う中産階級の人口が増えている[ 14] [ 54] 。 歴史的に、ダッカには地方から多くの出稼ぎ者が集まり[ 55] 、行商や露天商、小規模の商店、ホーカーセンター 、人力車 業、または雇われ人として働いた[ 55] [ 56] 。特に人力車には約40万人が就業した頃もあった[ 57] 。人口の半分は家政婦や民間企業で働き、そのうち約80万人は繊維 工業関連に従事している。しかし失業率は23%と高い状態にある[ 58] 。2008年のダッカ市総生産 (GMP) は780億ドルであり[ 59] 、年間の成長率は6.2%となった。GMPは2025年までに2150億ドルまで成長すると予想される[ 59] 。一人あたり平均所得は500ドルと見積もられる。48%の家計が貧困線 を下回っており[ 60] 、このうちの大きな割合を職を求めて農村部から移り住んだ家族が占め[ 54] 、彼らは1日の支出が10ドル未満の生活を送っている[ 61] 。
ダッカの商業的中心地は、モティジール (英語版 ) 、ニューマーケット (英語版 ) 、グルシャン (英語版 ) 、ファームゲート (英語版 ) などがあり、主要工業地帯ではテズガオン (英語版 ) やハザーリーバーグ (英語版 ) がある[ 62] 。ボシュンドラ-バリダラは、5年間を目処に高度技術産業や企業および大型ショッピングモールなどの建設を含む経済開発地区である[ 54] 。ダッカには2箇所の自由貿易地域 が設定されており、衣類や織物などの製品輸出が奨励されている。そこには413の企業が進出しているが、雇用はほとんどが女性を対象としている[ 63] 。市内にはダッカ證券取引所 (英語版 ) があり、多くの多国籍企業 が軒を連ねている。またバングラデシュの財閥も事務所を構える。主な財閥はBeximco Group 、Summit Group 、Navana Group 、Zaman Group of Industries 、Rahimafrooz がある。さらにマイクロクレジット を創始し、ノーベル平和賞 を受賞したグラミン銀行 もダッカに拠点を置いている[ 64] 。NGOのBRAC もダッカが本拠になる[ 65] 。都市開発によって大幅な建築ブームが起き、新しい高層ビルや超高層建築物 は都市の景観を大きく変貌させている[ 54] 。金融業、銀行、製造業、電気通信 業やサービス業が大きく伸び、観光業やホテル またレストラン のダッカ経済の重要な要素となっている[ 55] 。
人口統計
1972年から2001年までのダッカの都市発達状況を表した動画。これはインドを撮影したTerra-MODIS 30kmの画像のうち、バングラデシュ部分をTerra-MODIS 1km相当まで拡大し、Landsat-1-MSSのダッカ1972年12月28日画像に重ね合わせている。ダッカ市街が現在の姿まで拡大する時期は1989年2月13日Landsat-5-TMの画像で確認でき、さらに続けて2001年1月29日Landsat-7-ETM+画像までが表示される[ 66] 。
ダッカ市当局が管轄する領域では、その人口は約700万人である。より広範な都市圏までを対象とすると、2008年現在の人口は1,280万人となる[ 2] 。人口成長率は4.2%となり、アジアの中でも高い数値を示す都市のひとつである[ 55] 。この人口増加は農村部から都市への流入が主体であり1960年代から70年代までは増分の60%を占めた。近年は都市圏の面積拡大も要因となり、1980年代までのこのために100万人が増加している[ 55] 。ファーイースタン・エコノミック・レビューによると、ダッカの人口は2025年までに2,500万人に到達すると予測される[ 67] 。
その後、2050年には世界3位の3519万人、2075年に4245万人、2100年の人口予測では5425万人を数える世界8位の超巨大都市となる予測が出ている[ 68] 。
識字率は62.3%と見積もられる[ 35] 。都市にはバングラデシュ中のあらゆる民族が居住している。旧市街には「Dhakaia」と呼ばれる長年同地に住む集団がおり、特有の習慣と方言を維持している。1万5千から2万人程度の規模で、ロヒンギャ 族、サンタル族 (英語版 ) 、ガロ族 、チャクマ族 (英語版 ) 、メンディ族の人々が市内には住んでいる[ 69] 。中国 系の人口も多く、また企業の管理職としてインド 人や韓国 人も居住している。
ほとんどすべてのダッカ居住者は国語 であるベンガル語 を話し、一部の区域ではベンガル語の方言に当たるチッタゴン語 やシレット語 も見られる。英語 を話す者も多く、それは特にビジネス用として習得された。
ダッカの宗教はイスラム教 が支配的であり、スンナ派 が主流を占める。しかし少数ながらシーア派 やアフマディーヤ の人々も増加傾向にある。ヒンドゥー教 徒が2番目に多く仏教 やキリスト教 は少数派である。
文化
星型の飾りで知られるスター・モスク (英語版 ) (タラ・マスジド)
バングラデシュの中で最も人口が多い都市として、ダッカは多様な文化的生活の場となっている。祝日である独立記念日 (英語版 ) (3月26日)、国際母国語の日 (英語版 ) (2月21日)、戦勝記念日 (英語版 ) (12月16日)には、市内中で様々な催しが行われる。ダッカの人々はシャヒド・ミナール やナショナル・モニュメント(戦没者慰霊塔 (英語版 ) )で解放戦争の国民的英雄を偲ぶために集まり、数々の催し物が併催される。学校や大学でも催しやフェスティバル、コンサートなどが開かれ、階層に関わり無く多くの市民が参加する[ 70] 。
新年の祝いポヘラ・ボイシャク (英語版 )
ドケッショリ寺院 (英語版 ) のドゥルガー・プジャ祭り[ 71] 。
毎年4月14日の「ポヘラ・ボイシャク (英語版 ) 」はベンガルの正月であり、街中でお祝いが行われる[ 70] 。女性は民族衣装のサリー やサルワール・カミーズ を[ 1] 、男性は西洋風の格好や伝統的なルンギー を身に纏い、Shahbag 通りやラムナ・パーク (英語版 ) 、またはダッカ大学 の構内などに集まって、新年を祝う。このような熱気は、ムスリムのイード・アル=フィトル やイード・アル=アドハー 、ヒンドゥーのドゥルガー・プージャ (英語版 ) といったお祭りでも市内中で見られる光景である[ 14] 。
長い間、ダッカと言えばさまざまな品を売る道端の露天商や小規模の店舗が連想された[ 72] 。近年は、富裕層や拡大する中間階層を相手にするショッピング・モールやシネマコンプレックス 、ホテルやレストランなどの出店が目立つ[ 73] 。料理の系統では、インド料理 や南アジア料理 (英語版 ) に加え、ヨーロッパ料理 や中華料理 などのレストランや食堂も立ち並び[ 54] 、さらに多国籍の料理やファーストフードなども街中では馴染み深いものになっている[ 1] 。その一方でダッカ特有の料理であるGlasseyやビリヤニ (Hajir Biriani, Fakhruddin Biriani)、ママ・ハリム(Mama Halim)やBorhani等も根強い人気を誇り、観光客にも振舞われる。ダッカ伝統の軽食にDhakai Bakarkhani があり、それはムガル帝国 時代のデリー の王室で称賛された良質で美味しい料理として知られる[ 74] 。
ポップミュージック やロックバンド の知名度も急上昇しているが、伝統的な音楽 (英語版 ) の人気も根強い[ 75] 。国民的な詩人カジ・ノズルル・イスラム や作家ラビンドラナート・タゴール も高い知名度を誇る[ 76] 。市内のベイリー・ロード (Baily Road) 一帯は「Natak Para」(Theater Neighborhood、劇場街)と呼ばれ、映画館が集まり[ 77] 、ここでは西欧やインドの映画や音楽が人気である[ 78] 。
「Natak Para」周辺はまた、古くからの伝統的なベンガルのサリーを製造販売する小さな手工芸の店が軒を連ね、ジャムダニ (英語版 ) 復興の地としても知られる。ペルシアやムガル朝に起源があるジャムダニはすべて家内製工業の手作業で織られ、伝統的な高い品質を誇るが、中程度の長さを仕上げるために3ヶ月を要するなど生産に時間がかかることから少しずつ衰退しつつある[ 79] 。
バングラデシュ国営放送局 (英語版 ) は国中で受信できるラジオの第一放送局であり、ベンガル語と英語で多様な番組を放送する。近年は特にFM放送で民営の放送が行われるようになった。テレビ放送ではバングラデシュ・テレビジョン (英語版 ) が国内を網羅し、こちらもベンガル語と英語が使われる。ケーブルテレビや衛星放送も、Ekushey Television 、Channel I 、ATN Bangla 、RTV 、NTV やスター などが視聴されている。バングラデシュの出版社はほとんどが本社をダッカに置いており、ベンガル語の日刊紙ではプロトム・アロProthom Alo とザ・デイリー・イッテファク (英語版 ) が刊行物の中ではよく知られている。英語版での日刊紙では、ザ・デイリー・スター (英語版 ) とザ・インディペンデント (英語版 ) が多く読まれている[ 80] 。
電話回線は急速な需要増に対応できず、また故障も多い[ 1] 。携帯電話 も人気だが料金が高いこともあり[ 1] 普及率は低く、個人所有の電話回線のうち占有率は10%未満に止まる[ 55] 。
交通
ダッカにはリキシャがあふれる
ダッカおよびその都市圏では、その交通手段は道路利用である[ 32] 。自転車タクシー や三輪タクシー (ベビータクシー)等が都市の主要な移動方法であり[ 1] 、これらを合わせたリキシャの数1日当たり40万台は、世界最多を誇った[ 54] [ 56] 。ただし、政府の承認を得たリキシャは8万5千台に止まり、多くは無許可営業である[ 55] [ 81] 。費用が安く公害も発生させないこれらリキシャは、しかし深刻な交通渋滞 を引き起こす[ 32] 元凶と見なされ、市内には立ち入りを制限している区域もある[ 1] 。バスの運行は国営のバングラデシュ道路交通公社 (英語版 ) (BRTC) と民営の会社とがある。スクーター やタクシー 、自家用車などは中産階級を中心に一般化しつつある。深刻な大気汚染 [ 32] もあり、政府は圧縮天然ガス (英語版 ) で駆動する2サイクルエンジンを搭載した「グリーンタクシー」の試験導入に踏み切っている[ 82] 。
船着場
ダッカ市内の舗装道路は総延長1,868kmであり[ 83] 、これらは高速道路や鉄道とリンクして国中の他の地域と接続している。コルカタ やアガルタラ とは、BRTCが運行する定期高速バスがある[ 84] 。
ブリゴンガ川 の船着場には多数の大型汽船が集結し、内陸地方都市や外海のチッタゴンへ貨客を輸送する。
コムラプール駅 (英語版 ) 、エアポート駅 およびカントンメント駅は、バングラデシュ鉄道 が網羅する周辺および国中を繋ぐ鉄道の主要駅である[ 85] 。バングラデシュ鉄道はコルタカとの間で定期列車の運行もおこない、また両都市は国際列車 (マイトリー・エクスプレス (英語版 ) :友情急行)[ 86] でも繋がっている。ブリガンガ川岸にあるショドル・ガット港 (英語版 ) [ 1] は川を遡上したり他の港へ向かう旅客や物資の基点となっている[ 87] 。航空では、国内のチッタゴン 、シレット 、コックスバザール 、ジョソール県 、ボリシャル 、サイドプル (英語版 ) や、国外の空港と結ばれ、シャージャラル国際空港 [ 88] はバングラデシュで規模及び発着数で一位にあり[ 89] 、バングラデシュの国内外航空機発着数の約52%を担う。
高速バスや軌道交通の整備が計画されており、2004年から2024年までの期間を対象としたUrban Transportation Policyが策定され、立案されたダッカ都市交通戦略計画 (STP)では自動車交通の鉄道転換を通じて、渋滞や大気汚染または温室ガス排出削減などの効果を狙っている[ 32] 。2016年にはダッカメトロ の建設が開始され、2022年に6号線 が部分開業した[ 90] 。
教育
ダッカ大学 のカールゾン・ホール (英語版 ) 。ベンガル解放闘争 (英語版 ) 当時、大学は若者や知識層の政治活動を支える中心的役割を果たした。
ダッカには多くの学校、大学などが集中している。学校教育は旧宗主国のイギリス式にあたる[ 1] 4段階で行われ、小学校(5学年)、中学校(5学年)、高等学校(2学年)、大学がある[ 91] [ 92] 。中学校終了後にSecondary School Certificate (SSC)、高校終了後にHigh School Certificate (HSC) という試験があり、その後の進路が決まる[ 91] [ 92] 。教育は主にベンガル語で行われるが、英語も一般に使われる。イスラム教徒のほとんどは宗教的理由のために、定時制や場合によっては全科目を宗教学校で子供たちに履修させる場合もあり、ここではベンガル語とアラビア語が用いられる[ 91] 。
ノボシアター(プラネタリウム ) [ 93]
ダッカには53の大学がある。ダッカ・カレッジ (英語版 ) はイギリス領インド帝国 時代の1840年に設立された、最も古い高等教育機関である。独立後、ダッカには多くの公立・私立大学が設立され、学士・修士から博士課程までさまざまな教育が行われるようになった[ 94] 。その中でも最大規模を誇る[ 95] ダッカ大学 は3万人の学生と1,300人の教職陣を抱える公立大学であり、18の研究所に70の学部・学科・研究所がある[ 96] 。著名な高等教育機関としては、ジャハンギルナガル大学 (英語版 ) とバングラデシュ工科大学 (英語版 ) (BUET) も知られる。医学系教育機関ではダッカ医科大学 (英語版 ) とソリムッラー医科大学 (英語版 ) がよく知られている[ 97] 。ダッカの各大学構内はしばしば政治的対立を生む場所ともなり[ 98] 、抗議活動や抗争、警察 による武力介入、学生や政治結社による混乱などがもたらされる場合もある[ 99] [ 100] 。
メディアや通信
郵便事業
バングラデシュの郵便はバングラデシュ郵便局 (英語版 ) が国中を管轄する公式な運営体であり、経営はダッカから行われている[ 101] 。
新聞や刊行物
ダッカはバングラデシュの主要新聞や出版社が拠点を置いている[ 102] 。新聞は広く読まれ、その中にはデイリー・イッティファク (英語版 ) 、デイリー・アザド (英語版 ) 、Manabzamin 、デイリー・ジャナカンタ (英語版 ) のような国内でも古くから発行されたものもある[ 103] 。他にデイリー・プロトム・アロ (英語版 ) も読まれるが、第3位のAmar Desh 紙は2010年6月に政府の命令で閉鎖された[ 104] 。英語新聞ではザ・デイリー・スター (英語版 ) [ 105] 、ザ・インディペンデント (英語版 ) などがある。週刊新聞や雑誌ではウィークリーホリディ (英語版 ) やザ・スター (英語版 ) などがあり、他にもフォーラム (英語版 ) やアイス・トゥデイ (英語版 ) などが有名である。
通信社
バングラデシュの国家通信組織は、国営バングラデシュ通信(Bangladesh Sangbad Sangstha, BSS)[ 106] が担っており、政治や外交問題、社会時事、財政、スポーツ、文化、法律、議会活動などについて全国のニュースを扱う。BSSは全国紙、ラジオ、テレビ放送、政府刊行物などをBSSは扱う[ 107] 。初の民営通信社は1970年3月に設立されたイースタン・ニュース・エージェンシー (ENA)である。この他に、民間の通信社には1988年にダッカで創立され、アメリカ合衆国 AP通信 のアンカーであるUnited News of Bangladesh (UNB) 社がある。
テレビ、ラジオ放送
国営のテレビ放送局BTV はダッカのランプラー (英語版 ) に拠点を置く[ 108] 。この他に、ダッカから放送されるテレビには、Diganta TVのベンガル語バージョン、RTV、ATN Bangla 、Channel I 、NTV 、Ekushey Television 、Banglavision などがある。公営ラジオ局はSher-e-Bangla Nagor にあるラジオ・バングラデシュ (BB )である[ 109] 。ダッカ拠点の民営ラジオ局では、Radio Foorti 、Radio Today 、Radio Amar などが知られる。
スポーツ
Sher-e-Bangla Mirpur Stadium で開催されたバングラデシュ対インドのクリケット 試合。
ダッカでは、クリケット とサッカー が高い人気を誇る2大スポーツであり、これはバングラデシュ中にも言える[ 110] 。チームの多くは学校や大学または私立のクラブ単位であり、都市対抗または国際大会が行われる。モハメダン・スポーティングクラブ (英語版 ) とアバハニ・リミテッド・ダッカ はサッカーとクリケットの2大クラブで、ライバル関係にある[ 111] 。
ダッカは、1954年に初めて行われたクリケットのテストマッチ 開催地であり、この時はインドと対戦した[ 112] 。バングラデシュ国立競技場 は、以前はクリケットの主要な試合会場として使われたが、現在はサッカー専用となっている[ 112] 。しかし、2011年のクリケット・ワールドカップ では開会式および6試合が予定されている[ 113] 。スポーツの振興や支援を行うバングラデシュ・スポーツ庁 (英語版 ) はダッカに拠点を置いている。ダッカには、他にもSher-e-Bangla Mirpur Stadium 、Dhanmondi Cricket Stadium やOuter Stadium Ground がある[ 114] 。ダッカ大学のグラウンドは、インターカレッジの会場として用いられた[ 115] 。
主な名所
読書案内
Ahmed, Sharifuddin (1991年). Dhaka: Past, Present and Future . The Asiatic Society, Dhaka. ISBN 978-9845123358 . OCLC 300099217
Karim, Abdul (1992年). History of Bengal, Mughal Period (I) . Rajshahi
Pryer, Jane (2003年). Poverty and Vulnerability in Dhaka Slums: The Urban Livelihood Study . Ashgate Publishing. ISBN 0-7546-1864-1 . OCLC 123337526 OCLC 243482310 OCLC 50334244 OCLC 50939515
Rabbani, Golam (1997年). Dhaka, from Mughal outpost to metropolis . University Press, Dhaka. ISBN 9840513745
Sarkar, Sir Jadunath (1948年). History of Bengal (II) . Dhaka
Taifoor, S.M. (1956年). Glimpses of Old Dacca . Dhaka
出典
^ a b c d e f g h i j k l m n “バングラデシュ情報 ” (PDF). JICA. 2010年10月9日 閲覧。
^ a b “Statistical Pocket Book, 2008 ” (PDF). Bangladesh Bureau of Statistics. 2009年4月19日時点のオリジナル よりアーカイブ。2009年8月15日 閲覧。
^ 世界の都市圏人口の順位(2016年4月更新) Demographia 2016年10月29日閲覧。
^ “everything about our city ”. Dhaka City. 2010年5月8日 閲覧。
^ Lawson, Alastair (2002年10月5日). “Dhaka's beleaguered rickshaw wallahs” . BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/2300179.stm 2009年9月19日 閲覧。
^ “Price Information of Essential Commodities ” (php) (Bangla). National Web Portal, Government of Bangladesh. 2009年2月27日 閲覧。
^ http://www.worldbank.org.bd/WBSITE/EXTERNAL/COUNTRIES/SOUTHASIAEXT/BANGLADESHEXTN/0,,contentMDK:21384826~pagePK:141137~piPK:141127~theSitePK:295760,00.html
^ “Danger in Dhaka, the fastest-growing city” . BBC News . (2010年7月7日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/10542218.stm
^ “世界一住みやすい都市は3年連続でメルボルン、最下位はダマスカス” . ロイター (ロイター通信社). (2013年8月29日). http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE97S00G20130829?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0 2014年2月9日 閲覧。
^ Hasna Jasimuddin Moudud (2001). South Asia: Eastern Himalayan Culture, Ecology and People . Dhaka: Academic Press and Publishers. ISBN 9840801651
^ Nagendra K. Singh (2003). Encyclopaedia of Bangladesh (Hardcover) . Anmol Publications Pvt Ltd. p. 19. ISBN 8126113901
^ Taru Bahl & M.H. Syed (2003). Encyclopaedia of the Muslim World . Anmol Publications PVT. p. 55. ISBN 8126114193
^ a b “Dhaka ”. Encyclopedia Britannica (2009年). 2007年4月23日 閲覧。
^ a b c d e Chowdhury, A.M. (2007年4月23日). “Dhaka ”. Banglapedia. 2007年4月23日 閲覧。
^ a b c d e f g Roy, Pinaki (2008年7月28日). “Golden past of olden Dhaka ”. The Daily Star. 2009年3月21日 閲覧。
^ Francis Bradley Bradley-Birt (1906). The Romance of an Eastern Capital . Smith, Elder, & Co. p. 264
^ M. Atiqullah and F. Karim Khan (1965). Growth of Dacca City: Population and Area (1608–1981) . Social Science Research Project, University of Dacca Press. p. 6
^ M. Atiqullah and F. Karim Khan (1965). Growth of Dacca City: Population and Area (1608–1981) . Social Science Research Project, University of Dacca Press. p. 7. "With the growth of Calcutta (founded by Job Charnock in 1690), the business centres started moving to Calcutta followed by flight of capital and labour force from Dacca. By 1800, Calcutta became a city of 500 thousands, (Ghosh, 1950 pp 53–54) and Dacca declined to 2000 thousands, the population of 160 years before. 訳:コルタカ(1690年にジョブ・チャーノックが創立)の発展に伴い、商業の中心がコルタカに移り始め、ダッカから資本や労働力の移動が続いた。1800年までには、コルタカは50万都市(Ghosh, 1950 pp 53–54)まで成長し、ダッカの人口は160年前に相等する200万人まで減少した。"
^ H Furumai, F Kurisu & H Katayama (2008). Southeast Asian Water Environment 2: Selected Papers from the Second International Symposium on Southeast Asian Water Environment . IWA Publishing. p. 205. ISBN 1843391244
^ Mohammad Atiqullah & Fazle Karim Khan (1965). Growth of Dacca City: Population and Area, 1608–1981 . University of Dacca. p. 10
^ a b c d Richards, John (2002年). “Calcutta and Dhaka: A tale of two cities” . Inroads. http://findarticles.com/p/articles/mi_qa4014/is_200201/ai_n9028755/pg_2 2006年9月27日 閲覧。
^ The Feminist Review Collective (28 Mar 1991). Feminist Review (Issue 37) . Routledge. p. 40. ISBN 0415065364
^ “Timeline: Major tropical cyclones” . BBC News. (2008年5月5日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/special_report/7384545.stm 2009年3月17日 閲覧。
^ Srivastava, H. N.; G. D. Gupta (2006). Management of natural disasters in developing countries . Centre for Science & Techonlogy of the Non-Aligned and other Developing Countries. p. 14. ISBN 8170354250
^ Archer Blood. “Transcript of Selective Genocide Telex ” (PDF). Department of State, United States. 2009年2月27日 閲覧。
^ Sheren, Syeda Momtaz. “War of Liberation, The ”. Banglapedia: National Encyclopedia of Bangladesh. 2009年3月21日 閲覧。
^ “BANGLADESH: Jobless rural poor rush to the cities ” (PHP). IRIN : UN Office for the Coordination of Humanitarian Affairs. 2009年3月21日 閲覧。
^ United Nations Human Settlements Program, United Nations Human Settlements Program (2007). Enhancing Urban Safety and Security: Global Report on Human Settlements 2007 . Earthscan. p. 184. ISBN 184407479X
^ “Improved System for Disaster Mitigation and Environmental Management in Bangladesh ” (PDF). Regional United Nations Centre for Regional Development. 2009年3月17日 閲覧。
^ “スラム街で火災、1万人以上が家を失う バングラ首都 ”. CNN (2018年8月19日). 2021年7月11日 閲覧。
^ “バングラで学生デモ激化、今週115人死亡 夜間外出禁止令に軍配備 ”. AFP (2024年7月20日). 2024年7月20日 閲覧。
^ a b c d e f “バングラデシュ国ダッカ都市交通網整備事業準備調査(フェーズ2)環境社会配慮助言委員会WG事前配布資料 ” (PDF). JICA. 2010年10月1日 閲覧。
^ “Area, Population and Literacy Rate by Paurashava ” (PDF). Bangladesh Bureau of Statistics (2001年). 2008年12月17日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年9月29日 閲覧。
^ Hough, Michael (2004). Cities and natural process . Routledge. pp. 64–65. ISBN 0415298555
^ a b c Banglapedia (2006年9月27日). “Dhaka Division ”. 2009年2月11日 閲覧。
^ a b “Weatherbase: Historical Weather for Dhaka, Bangladesh ”. weatherbase.com. 2008年12月15日 閲覧。
^ a b Lawson, Alistair (2002年10月30日). “Dhaka 'winning' waste disposal battle” . BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2377629.stm 2006年9月27日 閲覧。
^ Mondal, M. Abdul Latif (2006年9月27日). “Our Cities: 15th Anniversary Special” . The Daily Star. http://www.thedailystar.net/suppliments/2006/15thanniv/ourcities/ourcities28.htm 2006年9月27日 閲覧。
^ “Weatherbase: Historical Weather for Dhaka, Bangladesh ”. Weatherbase. February 23, 2013 閲覧。
^ “Bangladesh - Dacca ” (Spanish). Centro de Investigaciones Fitosociológicas. February 23, 2013 閲覧。
^ “Average Conditions - Bangladesh - Dhaka ”. BBC. February 23, 2013 閲覧。
^ Dhaka City Corporation. “City Corporation ” (PHP). 2009年2月27日 閲覧。
^ Hasan Jahid Tusher (18 October 2011). “Dhaka set to split into two” . The Daily Star . オリジナル の13 February 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150213005705/http://archive.thedailystar.net/newDesign/news-details.php?nid=206982 12 February 2015 閲覧。
^ “East Pakistan Intermediate and Secondary Education Ordinance, 1961 (East Pakistan Ordinance No. XXXIII of 1961) ”. Ministry of Law, Justice and Parliamentary Affairs, Bangladesh. 2009年3月31日 閲覧。
^ “Education Board Bangladesh ”. Ministry of Education, Intermediate and Secondary Education Boards, Bangladesh. 2009年3月31日 閲覧。
^ “THE MADRASAH EDUCATION ORDINANCE, 1978 (ORDINANCE NO. IX OF 1978). ”. Ministry of Law, Justice and Parliamentary Affairs, Bangladesh. 2009年3月31日 閲覧。
^ “History of the DMP ”. Dhaka Metropolitan Police. 2008年9月30日 閲覧。
^ “Bangabhaban ”. en:Banglapedia . 2010年10月9日 閲覧。
^ “Baitul Mukarram-the National Mosque of Bangladesh ”. Bangladesh Embassy, Bhutan. 2009年3月31日 閲覧。
^ Marika McAdam (2004). Bangladesh . Lonely Planet. pp. 46–52. ISBN 1740592808
^ “Town planning for Bangladesh : Vision 2020 ”. The Daily Star (2008年11月8日). 2008年12月15日 閲覧。
^ a b Mondo, M. Abdul Latif (2006年9月27日). “Our Cities: 15th Anniversary Special ”. The Daily Star. 2006年9月27日 閲覧。
^ “Dhaka ”. Encyclopedia Britannica. 2007年4月23日 閲覧。
^ a b c d e f Lawson, Alistair (2002年6月1日). “Good times for bourgeois Bangladeshis” . BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2018535.stm 2006年10月2日 閲覧。
^ a b c d e f g McGee, Terry (2006年9月27日). “Urbanization Takes on New Dimensions in Asia's Population Giants ”. Population Reference Bureau. 2006年9月27日 閲覧。
^ a b “Does Dhaka need rickshaws?” . BBC News. (1998年7月20日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/136074.stm 2006年9月27日 閲覧。
^ Robert Cervero (2000). Informal Transport in the Developing World . UN-HABITAT. p. 39. ISBN 9211314534
^ Dhaka City Corporation. “Economy ” (PHP). 2009年2月27日 閲覧。
^ a b “Global city GDP rankings 2008-2025 ”. Pricewaterhouse Coopers. 2013年5月31日時点のオリジナル よりアーカイブ。2009年12月13日 閲覧。
^ “Asian City Development Strategies: Dhaka ” (PDF). Fukuoka Conference 2000, Cities Alliance. 2009年1月24日 閲覧。
^ Rizwanul, Islam; M. Muqtada (1986). Bangladesh, selected issues in employment and development . International Labour Organisation, Asian Employment Programme (ARTEP). p. 33. ISBN 9221057690
^ “Dhaka City State of Environment ” (PDF). Regional Resource Center for Asia and the Pacific, 国際連合環境計画 (2005年). 2009年1月24日 閲覧。
^ “Dhaka clothes factories to reopen” . BBC News. (2006年6月6日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/5052738.stm 2006年9月27日 閲覧。
^ “Poverty Alleviation: Yunus calls for major reforms in World Bank ”. The Daily Star (2007年11月5日). 2010年9月25日 閲覧。
^ “Blind eye to urban poor to spell social disaster:Conference on the poor told ”. The Daily Star (2007年12月5日). 2010年9月25日 閲覧。
^ NASA , Scientific Visualization Studio (2001年12月12日). “Dhaka, Bangladesh Urban Growth ” (MPEG). 2007年4月30日 閲覧。
^ “Planet of Slums by Mike Davis ”. Atimes.com (2006年5月20日). 2010年5月8日 閲覧。
^ Hoornweg, Daniel; Pope, Kevin (January 2014). “Population predictions of the 101 largest cities in the 21st century” . Global Cities Institute (Working Paper No. 4). http://media.wix.com/ugd/672989_62cfa13ec4ba47788f78ad660489a2fa.pdf .
^ “::Our Cities::15th Anniversary Special ”. Thedailystar.net. 2010年5月8日 閲覧。
^ a b Ahmed, Dr. Nizamuddin (2006年9月27日). “Happy 400th anniversary, Dhaka! ”. The Daily Star. 2006年9月27日 閲覧。
^ Farjana K Godhuly (2006年9月30日). “ヒンズー教の女神ドゥルガーの祭典‐バングラデシュ ”. AFP BB News. 2010年10月9日 閲覧。
^ Jeremy Seabrook (1996). In the Cities of the South: Scenes from a Developing World . Verso Books. p. 221. ISBN 1859840817
^ World and Its Peoples . Marshall Cavendish Corporation. (2008). p. 489. ISBN 0761476318
^ Melvin Ember, Carol R. Ember (2002). Encyclopedia of Urban Cultures : Cayenne-Kyoto: Cities and Cultures Around the World . Grolier. p. 147. ISBN 0717256987
^ Thomas Angotti & Lothar Beckel (2001). Mega Cities . GEOSPACE Beckel Satellitenb. p. 730. ISBN 3853130518
^ Alison Arnold (1999). The Garland Encyclopedia of World Music: The Indian Subcontinent . Routledge. pp. 858–859. ISBN 0824049462
^ Ian Herbert & Nicole Leclercq (2000). The World of Theatre . Taylor & Francis. p. 12. ISBN 0415238668
^ A. F. Salahuddin Ahmed & Bazlul Mobin Chowdhury (2004). Bangladesh, National Culture, and Heritage: An Introductory Reader . Independent University. p. 405. ISBN 9848509003
^ Roy, Tirthankar (2007). “Out of Tradition: Master Artisans and Economic Change in Colonial India”. The Journal of Asian Studies (Cambridge University Press) 66 : 963–991.
^ John Simpson (2006). The Traveler's Handbook . Globe Pequot. p. 195. ISBN 0762740906
^ Rizanuzzaman Laskar (2007年3月4日). “Rickshaw pullers get licences ”. The Daily Star. 2010年10月1日 閲覧。
^ Rahman, Mushfiqur (2003). “Compressed Natural Gas” . In Islam, Sirajul . Banglapedia: National encyclopedia of Bangladesh . Dhaka: en:Asiatic Society of Bangladesh. ISBN 9843205766 . OCLC 52727562 . http://banglapedia.search.com.bd/HT/C_0326.htm 2008年1月17日 閲覧。
^ Sharif Uddin Ahmed (1986). Dacca: A Study in Urban History and Development . Curzon Press. p. 108. ISBN 0913215147
^ “Passengers shun Dhaka-India bus” . BBC News. (2003年10月13日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/3162854.stm 2006年9月7日 閲覧。
^ Marika McAdam (2004). Bangladesh . Lonely Planet. p. 66. ISBN 1740592808
^ BBC News (Windows Media Player)
^ Economic and Social Commission for Asia and the Pacific. (2005). “Dhaka”. Asian Highway Handbook . United Nations Economic and Social Commission for Asia and the Pacific, United Nations Publications. p. 28. ISBN 9211201705
^ https://www.google.ca/#hl=en&source=hp&q=shah+jalal+international+airport&meta=&aq=0&oq=shah+jalal+in&fp=8e6c6930b7d53e73
^ Alam, Jobair Bin (2003). “Air Transport” . In Islam, Sirajul . Banglapedia: National encyclopedia of Bangladesh . Dhaka: Asiatic Society of Bangladesh. ISBN 9843205766 . OCLC 52727562 . http://banglapedia.search.com.bd/HT/A_0133.htm 2008年1月17日 閲覧。
^ 「ダッカメトロ初乗り25円 日本と歩む開発、慰霊碑は語る」『日本経済新聞』2023年10月22日。
^ a b c T. Neville Postlethwaite (1988). The Encyclopedia of Comparative Education and National Systems of Education . Pergamon Press. p. 130. ISBN 0080308538
^ a b 水岡不二雄. “バングラデシュの教育制度 ”. 一橋大学 経済学部. 2010年9月18日 閲覧。
^ “ノボシアターホームページ ” (ベンガル語). ノボシアター. 2010年9月30日 閲覧。
^ Kamal Siddiqui (1990). “Growth of academic institutions”. Social Formation in Dhaka City: A Study in Third World Urban Sociology . Dhaka: University Press Limited. p. 42
^ “Dhaka teachers on violence charge” . BBC News. (2007年12月11日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/7138123.stm 2008年5月15日 閲覧。
^ University of Dhaka (2006年9月10日). “Univ. Facts ” (PHP). 2006年9月4日時点のオリジナル よりアーカイブ。2006年9月10日 閲覧。
^ Muhammad Shamsul Huq (1983). Higher Education and Employment in Bangladesh . UNESCO. p. 181
^ Alistair, Lawson (2002年7月24日). “Uneasy calm after Bangladesh riot” . BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2148693.stm 2006年10月3日 閲覧。
^ Hossain, Moazzem (2002年9月2日). “Bangladesh students call strike” . BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2246563.stm 2006年10月3日 閲覧。
^ Hossain, Moazzem (2002年9月2日). “Protests shut Bangladeshi university” . BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2244628.stm 2006年10月3日 閲覧。
^ http://www.bangladeshpost.gov.bd/+(2009年10月16日).+“ Bangladesh Post Office ”. Bangladeshpost.gov.bd. 2010年5月8日 閲覧。
^ “Country profile: Bangladesh” . BBC News . (2010年1月11日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/country_profiles/1160598.stm 2010年3月31日 閲覧。
^ “Daily Prothom Alo ”. Prothom-alo.com. 2010年5月8日 閲覧。
^ “バングラデシュでシェア3位の新聞が閉鎖される” (日本語). 「BOP」戦略研究フォーラム . (2010年6月1日). http://bopstrategy.blogspot.com/2010_06_01_archive.html 2010年10月2日 閲覧。
^ “The Daily Star ”. The Daily Star (2010年4月28日). 2010年5月8日 閲覧。
^ “Bangladesh Sangbad Sangstha ”. Bssnews.net (2010年3月18日). 2010年5月8日 閲覧。
^ Prof. Sirajul Islam. “Banglapedia Article on Bangladesh Sangbad Sangstha ”. Banglapedia.org. 2010年5月8日 閲覧。
^ “bangladesh Television ”. Btv.gov.bd. 2010年5月8日 閲覧。
^ “Bangladesh Betar-The state owned radio station of Bangladesh ”. Betar.org.bd (2010年4月1日). 2010年5月8日 閲覧。
^ Robert MacHenry, ed (1993). “Bangladesh”. The New Encyclopaedia Britannica . Encyclopaedia Britannica. p. 717. ISBN 0852295715
^ Al Musabbir Sadi (2007年6月17日). “Tasty derby drawn ”. The Daily Star. 2010年10月1日 閲覧。
^ a b Cricinfo (2006年9月7日). “Stadium” . http://content-usa.cricinfo.com/bangladesh/content/ground/56661.html 2006年5月26日 閲覧。
^ “India lands 2011 World Cup final” . BBC News. (2006年7月8日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/cricket/5160396.stm 2006年7月9日 閲覧。
^ Cricinfo. “Grounds – Bangladesh: Dhaka ”. 2008年3月13日 閲覧。
^ Muhammad Abdur Rahim (1981). The History of the University of Dacca . University of Dacca. p. 161
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ダッカ に関連するメディアがあります。
アフリカ (4) アジア (27)
西アジア (2) 南アジア (8) 東南アジア (4) 東アジア (12)
ヨーロッパ (5) 北アメリカ (3) 南アメリカ (5)