デパ地下(デパちか)とは、日本の百貨店(デパート)の食料品売り場を指す通称(俗称)である。たいてい地下階に所在するが、当然のことながら、営業戦略や建物の都合などから、必ずしも地下に所在するとは限らない。
概要
主に売られている食品は、惣菜、弁当、スイーツ、酒などである。スイーツや惣菜は、有名店のテナントが出店することもある。また、イベントとして物産展が開催されたり、駅弁などが販売されたりもする。
来店客への対面販売以外に通信販売や配達に対応するデパ地下テナントもあり、新型コロナウイルス感染症の流行を受けた外出自粛により2020年代初頭において拡大している[1]。
大丸松坂屋の「ごちそうパラダイス」[2]「ほっぺタウン」[3]、そごう・西武の「エブリデイ」(そごう)・「西武食品館」(西武)
[4][5]のように、食品売場に独自のブランド名を付けている百貨店もある。
歴史
日本で初めてデパ地下が導入されたのは1936年であり、場所は松坂屋名古屋店である[6]。その後、デパ地下は各地に広がっていった。松坂屋のような老舗に対し、阪急百貨店などの新興百貨店は呉服類などの取り扱いが弱いため、食品重視の方針を打ち出し、阪急では食料品売場が地上にあった1934年にアイスクリームなどの製菓工場を設けて食品製造も手掛けるようになった[7]。
デパ地下という名称がテレビや雑誌などのマスメディアによって使われ始めたのは2000年に東急百貨店東横店「東急フードショー」が開業してからである[8]。この頃、阪神百貨店の社長を務めていた三枝輝行は、粗利率が低いので他の百貨店が軽視してきた食料品売場[注釈 1]に力を入れ、普段使いできる食品の取り扱いに注力した結果、「日本一のデパ地下」を作ったと言われている[9]。
地下にある理由
地下や低層階を食料品売り場にしているデパートが多いのは、メリットとして水回りやガス、電気などの設備が地上階に設置することに比べて低コストなためである[10]。実際に東急百貨店本店は最上階に食料品売り場を設けたことがあるが、売り場面積が限られ商品を運ぶ手間もかかったためその後は地下に移した[10]。もう一つのメリットとして、地下鉄駅と接続して地下街の一部を形成することや、あるいは地下に設置された駐車場と直結することで地下からの入店を狙えることである[10]。そして食品売場に集めた客を、上層階へ誘う狙いがある。これを「噴水効果」と呼ぶ[10]。
ただし、建物の構造上の事情などから、地下ではない「デパ地下」もいくつか存在する。ただしそのような場合でも、1階など低層階に配置されることが常である。
- 1フロアの面積が広くない・食料品の売場面積をより強化する等の理由で、「デパ地下」が地下スペースと地上スペースに分散して配置されている。この場合、多くは地下スペースに生鮮食品や惣菜、地上スペースにスイーツ等の店舗を設置する場合が殆どである。(阪神梅田本店、北千住マルイ、東武宇都宮百貨店など)
- そもそも建物自体に地下スペースがない、駐車場・駐輪場や機械室など売場以外に当てられている(米子しんまち天満屋、西宮阪急など)
- 堺タカシマヤは、地下をレストラン街として、1階に生鮮食品と惣菜、2階にスイーツと特殊な配置となっている。
- 地下スペースをスーパーマーケットに割り当て、惣菜やスイーツの店舗を地上スペースに配置(JU米子タカシマヤ、ヤマトヤシキ加古川店)
デパ地下単独での出店
新規出店の事例
デパ地下の機能(食料品)のみに特化したデパートの出店形態もある。これらはショッピングセンター内の大型テナントの一つとして出店しているケースが殆どであり、実例では以下がある。
店舗縮小の事例
電鉄系百貨店を中心に見られる事例である。衣料品販売の苦戦や近隣店舗との競合[注釈 3]を理由に百貨店を縮小・撤退する際、購入頻度の高い食料品売場のみを直営で残すというもの。食品以外の売場は青葉台東急スクエア、あまがさきキューズモール、モザイクモール港北などショッピングモールの運営者に返却するか、宝塚阪急のように自社で専門店を誘致する。
脚注
注釈
- ^ 業態転換・新規出店で阪急大井食品館のような食品専門館が登場した一方、有楽町阪急や四条河原町阪急のように食品売場を廃止する百貨店も現れた。
- ^ 岡崎店は厳密には、髙島屋と東海旅客鉄道(JR東海)の合弁会社である「株式会社ジェイアール東海髙島屋」が運営。
- ^ 電鉄系百貨店の場合、系列鉄道の沿線を中心に出店し、ターミナル駅の店舗と競合する。宝塚阪急の場合、うめだ本店まで鉄道で30分前後、西宮阪急や川西阪急へも15~20分程度でアクセスできる。
出典
関連項目
外部リンク