Phoenix Grand Prix Circuit 89-90年のレイアウト 91年のレイアウト< |
所在地 | アリゾナ州フェニックス |
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着工 | 1989年2月 |
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オープン | 1989年6月 |
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閉鎖 | 1991年3月 |
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主なイベント | F1 |
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コース長 | 3.72 km (2.312 mi) |
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コーナー数 | 15 |
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レコードタイム | 1:21.434 (アイルトン・セナ, マクラーレンホンダ, 1991) |
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フェニックス市街地コース(フェニックスしがいちコース)は、1989年から1991年までアメリカ合衆国のアリゾナ州フェニックスでF1アメリカGPが開催された公道コース。
概要
ほとんどが直線とブラインドの直角コーナーの連続のコースレイアウトである。
1989年の初開催時には猛暑となり、タイヤの消耗が激しく、晴れのレースとしては非常に珍しくレース時間が2時間を越えたため、翌年より開幕戦に移動し、周回数も減らされることとなった。
1990年のレースでは、予選でピエルルイジ・マルティニ(ミナルディ・コスワース)がフロントローを獲得(これはミナルディの予選における最高位)。また決勝ではジャン・アレジ(ティレル・コスワース)がスタートでトップに躍り出た後、劣るマシンでアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)と好バトルを繰り広げ2位に入賞した。1コーナーへのブレーキングで前に出たセナに対し、続く2コーナーへの切り返しでアレジが抜き返すという展開であった。
マルティニやアレジの活躍の背景には、前年よりF1に復帰したピレリタイヤがこのコースとのマッチングにおいて、グッドイヤータイヤを上回ったことが挙げられる。
1991年にはコース前半区間のレイアウトを変更し、ヘアピンと中速コーナーを設けたものの、結局6年の開催契約が結ばれていたにもかかわらず、この年を最後に3年で終了した。これ以後2000年(英語版)に至るまで、アメリカでF1レースが開催されることはなかった。
関連項目