『ライオン奥様劇場』(ライオンおくさまげきじょう)は、1964年10月から1984年9月まで(後継番組「ライオン午後のサスペンス」、「ライオン劇場」の放送期間も含む)の毎週月曜 - 金曜の13:00 - 13:30(JST)にフジテレビ系列局ほかで放送されていた昼の帯ドラマシリーズ枠である。ライオンの一社提供(1979年12月までは、ライオン歯磨・ライオン油脂の共同提供)。
概要
オープニングキャッチとエンディングでは、TBSの『ライオンこども劇場』(『チャコちゃんシリーズ』→『ケンちゃんシリーズ』)と同じ、野生のライオンが吠える16ミリ実写フィルム映像が流れていた[1]。
もともとは、倒産した大手映画会社・新東宝がテレビ局向けに放出した作品を放送していた。その後、自社制作のテレビドラマを放送した(なお全作、外部の製作会社に発注する体制であった)。のちに吉永小百合と結婚した敏腕ディレクター・岡田太郎の手によって、数多くの作品が発表された。
なお、1979年と1980年の最初の1週目は当シリーズは放送せず、代わりに土居まさる司会の帯番組形式のゲーム合戦『新春スター対抗ゲーム』を放送した。また1981年では『私は後妻よ』(第1シリーズ)終了後、3月2日から3月6日までの5日間にわたって、教養ドキュメンタリー番組『教育スペシャル 母と子の教育戦線』を放送した。
シリーズの終焉とその後
1983年より路線変更して『ライオン午後のサスペンス』にタイトル変更されたが、1984年の最末期にはホームドラマ路線になり、『ライオン劇場』にタイトル変更された(オープニングキャッチも、企業マスコットキャラクターの「ライオンちゃん」が登場するアニメーションに変更)。そして働く女性が増えて来たことに伴う視聴者離れといった時代の変化もあり[2]、「喜劇・女の戦争」を最後に、1964年10月から続いたライオン提供の昼ドラマシリーズは1984年9月で終了し、20年の放送にピリオドを打った。
平日同時間帯におけるライオン一社提供枠は、その後トーク・バラエティ番組へ転換されて『ライオンのいただきます』に引き継がれ、『ライオンのごきげんよう』終了の2016年3月まで、通算52年続いた。
『ライオンのごきげんよう』終了後始まった生放送番組(『バイキング』→『ポップUP!』→『ぽかぽか』)でも13時台にライオン一社提供のコーナーが設けられていたが、2023年9月をもって終了し、提供を降板した。これによりフジテレビ系平日13時台のライオン一社提供枠は開始後59年で幕を下ろした。
最高視聴率
ライオン奥様劇場枠での歴代最高視聴率番組(ビデオリサーチ・関東地区調べ)は、『愛染かつら』(1965年8月20日放送・最終回)の38.5%。『月よりの使者』(1966年9月2日放送)の37.8%がそれに次ぐ。
放送作品一覧
1964年
1965年
1966年
1967年
1968年
1969年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
これよりライオン午後のサスペンス
1984年
これよりライオン劇場
歴代ネット局
系列は現在の系列。○は現在他系列局だが、放送当時フジテレビ系列局や他系列とのクロスネットだった局。
ネット局に関する備考
- 当番組の開始当時のネット局は、数局しかネットされなかったが、その後民放テレビ局が原則(当時)1局しかなかった地区でも放送された。1969年以降、フジテレビ系に加盟する局が開局され、ネット局は次々と増加に増加を重ねていった。また、他系列局における放送は、ほとんどの日本テレビ系列局は13:30 - 14:00の番組を差し替えて放送していた他、ほとんどのTBS系列局(1983年9月までの福島テレビも含む)は14:00 - 15:00のローカル枠で放送していた。
- フジテレビ系列局がない地域や、フジテレビ系加盟局が開局した後も他系列とのクロスネット編成の都合で放送できない場合は、その地域の民放第1局が放送していた。他系列局は最大半年遅れぐらいで放送されていた(この影響で後継番組の『ライオンのいただきます』は岩手放送では1985年4月1日に開始した)。なお、これらのネットワーク構成は、『ライオンのいただきます』→『ライオンのごきげんよう』に継続される[8]。
- 民放1局時代(1960年代中頃)は、遅れネット局でも放送の遅れがまちまちであった。一例として、1966年5月末 - 6月初頭時点では北日本放送は『こころ妻』を放送していたのに対し、北陸放送は『女の波紋』を放送していた[9]。
関連項目
脚注
- ^ ただし実写時代の末期(「ライオン」名義時代)は、ライオンの叫びは無くなり、テーマ曲もアレンジされた。
- ^ 週刊TVガイド 1984年8月24日号 p.23「レポート・20年続いたフジ『奥様劇場』が9月一杯で終了」
- ^ 1971年9月までは日本テレビ系列局。1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局。1983年9月までは『花王 愛の劇場』(TBS)同時ネットのため14:00からの遅れネット。
- ^ 1983年10月3日~21日は13:00 - 13:30の同時ネット枠と16:00 - 16:30の遅れネット枠の並行放送。
- ^ ただしテレビ静岡に移行後も、1972年頃には「ライオン奥様劇場」名義の枠が、月-金曜の午後に存在した。
- ^ 1970年4月以降はフジテレビ系シングルネットになったが、NET→テレビ朝日系番組(『13時ショー』など)もある程度ネットしたため中断時期あり。
- ^ 徳島新聞、1966年7月4日、7ページ、テレビ欄。なお、四国放送のネット開始第1作は「愛染かつら」であり、約1年遅れとなっている。
- ^ フジテレビ系列局が当該地域で民放第1局の局は、福島テレビ・サガテレビ・沖縄テレビの3局。青森放送・山口放送はANN系新局開局によるNNSフルネット局化で「ごきげんよう」のネットを打ち切った。大分放送は大分朝日放送開局後も移行しなかったが、2000年4月をもってテレビ大分に移行した。
- ^ 『北國新聞』1966年5月30日付 - 6月3日付各朝刊、テレビ欄。
フジテレビ系 平日13時台前半枠 (当番組からライオン歯磨・ライオン油脂共同提供→ライオン一社提供枠) |
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