仙台藩家臣
仙台藩家臣(せんだいはんかしん)
本項では、仙台藩主伊達家の江戸時代における家臣団(明治維新に際して、士族戸数4262戸、卒族戸数3050戸があった)についての説明の一部として、重臣である門閥の一覧を示す(召出については家名のみ。太刀上以上については知行高・居館・歴代当主を付記)[1]。各々が拝領した居城・居館等の詳細については仙台藩の城砦の項を参照のこと。
なお、内分分知によって諸侯(大名)に列した下記の3家は、仙台藩主(松平陸奥守)と同格の将軍家直臣であり、陪臣たる仙台藩家臣団(松平陸奥守家来)には含まれない[2]。
門閥の一覧
一門
- 角田石川家(21,380石、伊具郡角田要害)
- 石川昭光-義宗-宗敬-宗弘=宗恒(岩出山伊達宗敏の六男)=村弘(宗弘長男)-村満-村俊-村文-村任-光尚=宗光(村任の三男)-義光-邦光
- 亘理伊達家 (24,353石、亘理郡亘理要害)
- 伊達成実=宗実(初代藩主政宗の九男)-宗成-基実=実氏(岩出山伊達宗敏の二男)-村成-村実-村純=村好(村純の弟)=村氏(村純の長男)-宗賀-宗恒-邦実=邦成(岩出山伊達義監の二男)-基-成勲=廉夫(大洲藩主加藤泰秋の六男)
- 明治25年(1895年)北海道開拓により男爵
- 水沢伊達家(16,135石、胆沢郡水沢要害)
- 伊達政景-宗利-宗直-宗景=村任(3代藩主綱宗の二男。中津山藩主へ)=村景(涌谷伊達宗元の二男)-村利-村儀-村善=村福(村儀の二男)-宗衡-邦命=邦寧(宗衡の五男)
- 磐井郡清水→1604磐井郡一関→1615胆沢郡西根→1629胆沢郡塩竈
- 涌谷伊達家(22,640石、遠田郡涌谷要害)
- 伊達定宗-宗重-宗元-村元-村定-村盛=村胤(村盛の弟)=村倫(6代藩主宗村の四男)=村常(石川村俊の九男)-村清-義基-邦隆-亘理胤元
- 登米伊達家(20,000石、登米郡登米要害)
- 白石宗直-宗貞=伊達五郎吉(2代藩主忠宗の四男)=宗倫(忠宗の五男)=村直(綱宗の四男)=村永(梁川元頼の長男)=村倫(中津山藩主伊達村和の三男)=村勝(5代藩主吉村の五男。一関藩主へ)=村良(吉村の八男)-村幸=宗充(村良の四男。12代藩主斉邦の父)-邦寧-邦教
- 胆沢郡塩竈→1604登米郡寺池
- 岩谷堂伊達家(5,015石、江刺郡岩谷堂要害)
- 伊達政隆-国隆=宗規(忠宗の七男)-村隆=村望(三沢宗直の二男)-村富-村将-宗隆-宗嵩=義隆(亘理伊達宗賀の子)=岩城邦規(亘理伊達宗恒の三男)
- 宮床伊達家(8,017石、黒川郡宮床所)
- 伊達宗房(忠宗の八男)-村房(仙台藩主へ)=村興(宗房の二男)-村茂-村嘉=村烈(川崎伊達村敏の子)-村義=宗規(村烈の子)-宗賢-邦孚-宗広
- 万治2年(1659年)新設。磐井郡大原→1660黒川郡宮床→1702柴田郡前川→1722黒川郡宮床
- 岩出山伊達家(14,643石、玉造郡岩出山要害)
- 伊達宗泰(政宗の四男)-宗敏-敏親=村泰(涌谷伊達宗元の四男)-村緝-村通-村則-宗秩-義監-邦直-篤三郎=英(義監の娘)
- 川崎伊達家(2,000石、柴田郡川崎要害)
- 伊達村詮(中津山藩主伊達村和の長男)=村敏(岩出山伊達村泰の二男)-村煕=村賢(水沢伊達村儀の子)=宗和(岩出山伊達村則の三男)=邦和(岩出山伊達宗秩の三男)-邦賢
- 真坂白河家(1,043石、栗原郡真坂所)
- 結城義親=白河義綱(小峰義名の子)-義実-宗広(綱村の乳兄弟)-村親-村広=村祐(宮床伊達村興の子)-村雄-宗秀-邦親
- 三沢家(3,000石、胆沢郡前沢所)
- 三沢宗直(綱村生母・初子の弟)-村為=村清(中津山藩主伊達村和の二男)=村保(岩谷堂伊達村望の四男)-村延-宗為-邦明=邦為(亘理伊達宗恒の二男)
- 延宝3年(1675年)昇格。1676桃生郡小野→1681胆沢郡前沢
- 廃絶
- その他
一家
- 鮎貝家(1,000石、本吉郡気仙沼所)
- 鮎貝盛次-宗益-宗続-宗景-隆盛-盛益=盛辰(岩谷堂伊達村望の子)-盛栄-盛長-盛次-盛房-盛徳
- 柴田郡堤→1679本吉郡松崎
- 秋保家(1,000石、名取郡長袋)
- 秋保直盛-定盛-将盛-利盛-良盛=氏盛(秋保盛之の子)=昌盛(松前広高の子)-賢盛-豊盛-安盛
- 名取郡長袋→1603刈田郡小村崎→1652名取郡長袋
- 柴田家(5,157石、柴田郡船岡要害)
- 柴田宗義-兵部宗朝-惣四郎宗朝=朝意(佐竹親直の二男)-宗意-宗僚=宗理(真山輔義の子)-朝隆-成義-意定-親友-意利-意広
- 志田郡桑折→1603伊具郡尾山→1607胆沢郡塩竈→1616登米郡米谷→1681柴田郡船岡
- 小梁川家(1,000石、江刺郡野手崎所) ※伊達氏庶流
- 小梁川宗重-宗影-宗敬-宗英=宗辰(宮床伊達宗房の二男。実家に戻る)=宗永(村田宗門の子)=盛鎮(大町頼直の二男)=中務盛明(石川村弘の子)=盛平(盛鎮の子)-盛明-康盛-康之(伊達邦盛)
- 江刺郡上口内→1644江刺郡野手崎
- 塩森家(238石、栗原郡若柳) ※伊達氏庶流(小梁川家分家)
- 塩森宗綱=宗直(石川景光の子)-宗辰=親直(石川宗程の二男)-清長-親通=直董(岩谷堂伊達村富の四男)=隆良=直徳
- 坂元大條家[4](4,000石、亘理郡坂元要害) ※伊達氏庶流
- 大條宗直-宗綱=宗頼(大條実頼の四男)-宗快-宗道-道頼-道任-道英-道直=道冾(道英の子)-道徳(伊達宗亮)
- 志田郡蟻ヶ袋→1604気仙郡長部→1613磐井郡大原→1616亘理郡坂元家
- 泉田家(1,420石、磐井郡薄衣所)
- 泉田孫平次重時-元時-源三郎重時-虎時-定時=胤時(中島成康の子)-倫時=常時(胤時の子)=基時(倫時の子)-基光
- 村田家(687石、桃生郡永井在所)
- 村田宗友-宗国-宗継-宗門=殖興(葛西重敬の子)-殖継-成殖-盛殖-幸殖-寧殖=教殖(佐々木貞直の子)
- 黒木家(800石、栗原郡照越在所)
- 黒木宗俊-宗元-宗恒=宗信(涌谷伊達宗重の二男)-明恒-尚恒-胤信=胤英(川島行信の二男)=義俊(胤信の子)=玄晴(小原武春の二男)-成美
- 伊具郡丸森→1625志田郡師山→1695栗原郡照越
- 高清水石母田家(5,000石、栗原郡高清水要害)
- 石母田宗頼-定頼-永頼=宗存(鈴木重次の四男)=頼在(長沼致宏の長男)-興頼=頼恭(石母田頼雄の二男)-義頼-賢頼-賢恭
- 登米郡米谷→1616胆沢郡塩竈→1628栗原郡岩ヶ崎→1652加美郡宮崎→1757栗原郡高清水
- 瀬上家(2,000石、桃生郡鹿又所) ※伊達氏庶流
- 瀬上景康=景純(中野時綱の二男)=宗敦(富田守継の子)-寛敦-景敦-景元-景明-景福-景韶-景禄=景範(大町盛頼の子)
- 磐井郡摺沢→1617磐井郡涌津→1661桃生郡中津山→1694桃生郡鹿又→1726栗原郡石越→1744桃生郡鹿又
- 中村家(4,524石、栗原郡岩ヶ崎所)
- 新田義綱-義親-義延-義影-中村成義-義全=義賢(藤沢義清の子)-景貞-景房-宣景
- 元禄3年(1690年)新田より改姓。宇多郡駒ヶ嶺→1644磐井郡藤沢→1694栗原郡岩ヶ崎
- 長尾石川家(150石、志田郡長尾)
- 石川景光-宗頼=宗程(茂庭良元の五男)-宗能=宗頼(宗程の三男)-元光=光定(石川光重の子)-光成-光広-光安-光謙
- 中目家(497石、江刺郡上門岡)
- 中目長重-長次-長清=長時(天童頼次の二男)=景長(岡本景興の子)-盛長-長盈-長常-清長-長良
- 亘理家(5,000石、栗原郡佐沼要害)
- 亘理重宗=宗根(政宗の庶子)=宗喬(宗根の嫡孫)=元篤(涌谷伊達宗元の二男)-定根=倫篤(元篤の五男)-常篤-清胤-基胤-隆胤
- 1604栗原郡高清水→1757栗原郡北方
- 鶯沢梁川家(300石、栗原郡鶯沢) ※伊達氏庶流
- 梁川宗元-宗頼-元頼-永頼=頼直(西大立目行信の子)-兼頼-良頼=勝頼(兼頼の子)=頼道(三沢村延の子)-頼親
- 片倉家(18,000石、刈田郡白石城)
- 片倉景綱-重長=景長(松前安広の長男)-村長-村休=村信(宮床伊達村興の三男。実家に戻る)=村定(景長の子)=村廉(松前広高の二男)-村典-景貞-宗景-邦憲-景範-景光=健吉(吉田藩主伊達宗孝の七男)-信光-重信
- 慶安4年(1651年)昇格。明治31年(1898年)北海道開拓により男爵
- 廃絶
準一家
- 猪苗代家(448石、胆沢郡西根)
- 猪苗代盛国-宗国-盛次=盛元(鬼庭綱元の四男)-盛時-盛長=盛清(猪苗代盛久の子)=盛章(渡辺長直の子)=長盛(橋本延賢の子)-盛庸-盛行
- 天童家(1,240石、宮城郡八幡在所)
- 天童頼澄=重頼(留守政景の二男)=頼長(涌谷伊達定宗の二男。実家に戻る)=頼次(粟野重次の子)-頼真-成頼=頼清(宮内重條の子)-頼根-倫頼-常頼-頼益-頼宣-頼永
- 宮城郡利府→宮城郡八幡
- 松前家(2,000石、磐井郡松川在所)
- 松前安広(松前藩主松前慶広の七男)-広国=為広(安広の五男)-広雄=広高(為広の二男)-脩広=広義(為広の曾孫)-広文-広憲-広胖-広致
- 1623刈田郡長袋→1682栗原郡清水沢→1714伊具郡藤田→1812磐井郡松川
- 葦名家(1,500石、栗原郡石越在所)
- 針生盛信=重信(盛信の嫡孫)-葦名盛定-盛信=盛連(飯野盛之の子)-豊前盛寿-盛倫-修理盛寿-盛長-盛景
- 延宝4年(1676年)針生より改姓。1716加美郡中新田→1757栗原郡石越
- 高泉氏(2,700石、登米郡米谷所)
- 高泉隆景=定康(津田豊前景康の二男)-兼康-兼重-兼元-兼晃-兼雄-兼規-兼恊-兼善-兼之
- 登米郡黒沼→1703登米郡米谷
- 上遠野家(800石、栗原郡大川口在所)
- 上遠野高秀-守秀=常秀(上遠野秀勝の子)-秀実-広秀-元秀-亮秀-徳秀=秀宣(岩出山伊達宗秩の子)
- 保土原家(329石、志田郡新沼)
- 保土原行藤=行義(行藤の嫡孫)=行久(庄子久重の二男)-行広-行貞-行雄=行方(行貞の子)=行古(福原資貞の二男)=行泰(行方の子)-行之-行等-行徳=行武(行等の子)
- 福原家(800石、宮城郡高城)
- 福原資房(福原資保の二男)-資浄-資長-資実-資生-資煕=資氏(亘理伊達村好の子)-賀資=資広(賀資の嫡孫)
- 廃絶
一族
- 大立目家(1,000石、桃生郡飯野川所)
- 大立目宗直=宗信(奥山兼清の三男)-重頼=重成(宗信の二男)-重直-成紹=盛行(亘理元篤の二男)-成篤-盛篤-清篤=充宣(登米伊達宗充の子)-教篤
- 金ヶ崎大町家(3,000石、胆沢郡金ヶ崎要害)
- 大町元頼-定頼-永頼-頼直-章頼-朗頼-成頼-景頼-盛頼-殖頼
- 宇多郡谷地小屋→1630磐井郡藤沢→1644胆沢郡西根
- 大塚家(187石、磐井郡西永井)
- 大塚高頼-重頼-意頼-時頼-意頼=幸頼(葛西清方の三男)=長頼(中目景長の二男)-
- 大内家(1,390石、登米郡西郡所)
- 大内定綱-重綱-義春-義直=義繁(秋保利盛の二男)-義実-義門-定知-定安-基恭
- 胆沢郡前沢→1644登米郡西郡
- 西大條家(569石、桃生郡前谷地)
- 西大條宗義-義綱-義久=重義(泉田孫平次重時の子)=義諌(泉田源三郎重時の子)=恒義(西大條定義の子)-義行-興義-義光-時実
- 小原家(526石、宮城郡松森在所)
- 小原元綱-照継-重継=惟義(大内重綱の二男)-武清-武元-武春=武親(登米伊達村良の子)=武元(武春の子)-元治=武春(大内定安の子)
- 西大立目家(170石、磐井郡薄衣)
- 西大立目重信-本信-信宅-時信-行信-孝信=長信(中目盛長の二男)-良信-友信=近信(猪苗代長盛の子)=庸信
- 上口内中島家(1,880石、江刺郡上口内要害)
- 中島意成=常成(上遠野久成の長男)=宣成(上遠野久成の二男)-利成-宴成-紹成=以成(利成の二男)-寛意=意任(以成の子)=意実(柴田朝隆の子)=意元(柴田成義の子)-亀五郎=意時-意徳
- 1613加美郡小野田→1694江刺郡上口内
- 宮内家(1,420石、宇多郡駒ヶ嶺所)
- 宮内常清=定清(片平重綱の長男)=透清(大條宗快の三男)=定清(宮内重條の長男)=直清(宮内條興の二男)-信清-春清-元清-盛清
- 加美郡四竈→1644栗原郡武鑓→1718宇多郡駒ヶ嶺
- 金山中島家(2,000石、伊具郡金山要害)
- 中島宗求-宗勝=宗信(宗求の子)=宗常(亘理伊達宗実の二男)-宗盈-信秋-成康-実信-純信-実康-広三郎=清則(涌谷伊達村常の三男)=恒康(遠藤元生の二男)=信成(下郡山陳就の子)
- 松山茂庭家(13,000石、志田郡松山所)
- 茂庭良元-定元-姓元-嵩元=元明(姓元の二男)-苞元=善元(苞元の嫡孫)-有元-徳元=升元(有元の二男)-敬元
- 磐井郡赤荻→1603志田郡松山
- 下衣川遠藤家(640石、胆沢郡下衣川)
- 遠藤重明-定弘=定良(重明の次男)=定富(古内重広の子)=定利(片倉景長の三男。実家に戻る)=利方(遠藤定安の子)-義於-盛貞=盛幸(後藤良康の子)-盛順
- 佐藤家(1,000石、伊具郡小斎在所)
- 佐藤勝信-実信-清信-易信-因信-為信-本信-道信=助信(為信の子)-春信=氏信(佐藤信庸の子)-恒信
- 畠中家(100石、宮城郡中野)
- 畠中清頼-定頼-清長=重存(畠中経吉の子)=以直(本宮頼寛の二男)-安亮-義道=信玅(遠藤行信の子)-生存=和久(畠中明之の子)
- 片平家(1,391石、柴田郡村田所)
- 片平親綱=重綱(中野時綱の長男)=清重(宮内定清の二男)=重治(瀬上宗敦の二男)-義教-義親-誼斌-親文-教孝=教成(片倉宗景の子)=教敬(茂庭有元の子)
- 加美郡谷地森→1866柴田郡村田
- 下郡山家(450石、宮城郡岩切)
- 下郡山朝秀-利重-重定=重時(針生重信の二男)-重種=朝直(飯野盛弘の二男)=広哉(太田資幹の二男)-成広-広範=常陳(伊達村常の子)-陳之-陳就
- 磐井郡相川→1615黒川郡東成田→1782宮城郡岩切
- 沼辺家(1,000石、江刺郡人首要害)
- 沼辺重仲-重次-重長-武雅-武能=武伸(武雅の子)-武族-武雅-武徳-武房
- 中野大町家(500石、宮城郡中野)
- 大町義頼-通頼-良頼-頼利-頼房-頼長=頼道(大町章頼の三男)-
- 高城家(420石、桃生郡小船越)
- 高城宗直=直吉(大内景弘の二男)=直清(宗直の子)-直常=直重(八乙女重久の六男)=直俊(高城直候の子)-直晴-直定-秀直-広直=衡直(秀直の子)-英直
- 磐井郡上折壁→1636桃生郡小船越
- 大松沢家(615石、黒川郡大松沢)
- 大松沢元実-定実-頼実-広実=信実(大松沢辰実の子)-以実-文実=定実(以実の子)=良実(亘理倫篤の子)-衡実
- 桜目石母田家(1,000石、栗原郡桜目)
- 石母田頼章(石母田定頼の三男)=頼寿(中村直時の二男)-愛頼-多頼=頼峰(石母田永頼の二男)-頼賢-頼継-頼至
- 坂家(309石、磐井郡黄海)
- 坂重続-重信=信之(松尾重安の子。重村生母・性善院の父)-信中-信要-時保=時高(坂常直の長男)=保定(平賀義幹の子)-正三郎=時秀(保定の子)
- 延享4年(1747年)召出→宝暦6年(1756年)着坐→明和元年(1764年)一族
- 廃絶
宿老
- 川口遠藤家(1,830石、栗原郡川口所)
- 遠藤玄信-俊信-斉信-守信-善信-昌信-元生-元良-允信
- 但木家(1,500石、黒川郡吉岡所)
- 但木久清-重信-顕高-顕行-長行-明行=直行(涌谷伊達村常の子)-成行
- 元禄9年(1696年)昇格。
- 後藤家(2,700石、遠田郡不動堂要害)
- 後藤信康-近元-近康-節康-元康-寿康-良康-幸康-充康
- 宝暦7年(1757年)昇格。桃生郡大森→1611江刺郡三照→1620遠田郡不動堂
- 廃絶
着坐
- 只野家(1,200石、加美郡中新田所)
- 只野勝吉-良純=良重(武藤直房の子)=義剛(多田義重の二男)=方義(良重の子)-義福-行義-由章=由予(真山為幹の子)=寛良(武藤直規の子)
- 尾山大條家(601石、伊具郡尾山在所) ※伊達氏庶流
- 大條実頼-修理元頼-定頼-直頼=茂頼(定頼の子)=易頼(佐藤易信の子)-木工元頼-多頼-度頼-蔭頼-
- 藤沢奥山家(1,813石、磐井郡藤沢所)
- 奥山兼清-兼義=重信(兼清の四男)-常信-常尚=清章=清福(奥山常有の子)-清高-清庸=清将(清高の子)-清成-清晴
- 名取郡岩沼→1636名取郡下野郷→1698磐井郡藤沢
- 小野田奥山家(1,666石、加美郡小野田)
- 奥山常良(奥山兼清の弟)-常辰-常定-常有-常自=良風(常有の子)-良寿-良有-常雄=常明(良有の子)-常氏
- 柴田郡村田→1660黒川郡今村→1756加美郡小野田
- 岩沼古内家(7,042石、名取郡岩沼要害)
- 古内重広(国分盛重の子)=重安(山口重如の子、重広の外孫)-重定-重興-広寿-広充=広富(広寿の子)=広保(広充の子)-広賢-広居
- 宮崎古内家(3,283石、加美郡宮崎所)
- 古内義重-義如=義憲(松前安広の四男)=義長(古内義達の子)-義清-義周-実徳=実道(古内広富の子)-実直-実広(石川宗光の子)
- 1644江刺郡片岡→1659江刺郡上口内→1695加美郡宮崎
- 高野家(1,650石、刈田郡平沢要害)
- 高野光兼-可兼-俊兼=武兼(鈴木師久の子)-倫兼-博兼-知哲-求知=知親-知寿
- 伊東家(700石、桃生郡根古)
- 伊東重綱=重義(早川光義の二男)=重門(古内重広の子)=重定(亘理伊達宗実の三男)=重良(伊東重頼の子)-祐栄-祐寿-祐喜-祐則-祐英-祐休
- 佐々家(3,036石、伊具郡丸森所)
- 佐々元綱-元定-定隆=定條(佐々定信の長男)=義元(佐々定信の二男)=康定(定條の子)-定延-信定-広元-資定-元則
- 富田家(2,000石、桃生郡小野所)
- 富田氏繁(富田氏実の子)=氏紹(宮川有定の子)-紹実-実樹=篤実(富田行実の子)-実継-実保-実行-実文
- 長沼家(1,500石、栗原郡宮沢要害)
- 長沼盛重-信重-致貞-致信-致真-致泰-致辰-致豊-致中=致季(泉田基時の子)
- 布施家(1,700石、本吉郡柳津所)
- 布施如雪斎定時-定成-清左衛門定時-定安-定信=定誠(定信の孫)-定寿-定胤-定卿-定保-定徳
- 栗原郡大原木→1723本吉郡柳津
- 黒沢家(3,300石、桃生郡中津山所)
- 黒沢春重-重成-重俊-俊栄=俊昌(黒沢俊実の子)=俊秀(石川村満の三男)-俊信=俊英(俊秀の二男)-俊章-俊親-俊在(石川義光の八男)
- 芝多家(1,000石、加美郡谷地森)
- 柴田常元-常信=芝多常春(大波元重の子)-村如=康文(和田為起の子)-信憲=常煕(信憲の嫡孫)-常則-常質
- 1684柴田郡村田→1866加美郡谷地森
- 松岡家(1,000石、刈田郡内親)
- 松岡長時-実時=安時(片平定成の二男)-敬時-時義-時宜-時良-時修
- 石田家(1,500石、黒川郡大松沢所)
- 石田信久=景久(油井景成の二男)-良直-景直-元直-準直-昌直=寛直(準直の子)-廉直
- 平賀家(2,000石、磐井郡大原所)
- 馬場親成-常成-平賀義門-義清-義雅=義幹(義雅の嫡孫)-義暢=雅清(義幹の子)
- 延宝4年(1676年)馬場より改姓。
- 古田家(800石、桃生郡北村)
- 古田良據=良智(遠藤以和の二男)-良林=良哉(大河内頼寿の子)-良恭
- 寛政6年(1794年)昇格
- 松本家(1,300石、遠田郡休塚)
- 松本宗成=信成=信良(天童頼次の子)=信季(遠藤俊信の五男)-信友-信任-成保-成徳-成章
- 和田家(1,814石、宮城郡蒲生在所)
- 和田為頼-房長=定長(岩沼藩主田村宗良の五男)=為明(和田為成の長男)-為長-為利-為賢=為澄(古田良智の子)-為孝=為良(大町景頼の子)=為泰(宮床伊達宗賢の子)
- 氏家家(2,000石、志田郡下中目在所)
- 氏家清勝-勘左衛門清継-主水清寿-清也-主膳清寿-筑前清継-清主=清成(茂庭苞元の子)-清氏-清庸
- 戸田家(637石、黒川郡大衡)
- 戸田定隆(良覚院快真の子)-隆時-隆応-隆定-峰隆=隆晨(車隆利の子)-隆芳-季隆-隆房-隆清
- 和久家(377石、栗原郡沼倉)
- 和久宗是-是安-信是=信安(是安の子)=白安(河東田定恒の二男)-安之-安宣-
- 笠原家(1,113石、登米郡石森所)
- 笠原隆康=盛康(津田豊前景康の三男)-義康=実康(津田玄蕃景康の三男)=都康(義康の子)-房康-倫康-英康-泰康
- 新田大町家(600石、栗原郡新田)
- 大町定頼-定久-定信=頼純(大町頼利の二男)-頼広-頼泰=頼末(頼広の子)-頼根-頼図=頼易(頼根の子)
- 真山家(2,000石、磐井郡下折壁所)
- 真山元輔-良輔-輔久-枝輔=義輔(輔久の子)=匡輔(中村義賢の二男)-規輔-倫輔
- 寛永2年(1625年)着坐→宝永6年(1709年)平士に降格→弘化元年(1844年)着坐
- 高屋家(医師・1,030石、栗原郡平形)
- 高屋宗慶-宗伯-宗甫-宗活-英州-英俊=英顕(高屋宋行の子)-英周-英行-英時-英章
- 本吉郡柳津→1722栗原郡平形
- 猪苗代謙道家(連歌師・300石)
- 猪苗代兼如-兼与=兼説(猪苗代正益の子)-兼寿=兼郁-兼恵=兼誼(渡辺玄徳の三男)-兼貞-
- 錦織家(医師・350石、宮城郡上谷刈)
- 錦織即休=休意(即休の弟)-休庵-高義-高勝-習高-義路-義門-
- 良覚院(修験・300石)
- 良覚院栄真=快真(窪田隆次の子)-真盛-蝶真-即真=諄真(戸田隆応の三男)-円真=陳真(布施定誠の三男)-
- 廃絶
太刀上
- 国分家(200石) ※一族より降格
- 国分行信-重信-重通-保信=与信(飯田成親の二男)-信行-
- 増田家(334石) ※一族より降格
- 増田宗繁-興繁-直繁=繁良(興繁の子)=繁信(佐藤易信の子)=繁倫(古内義連の子)-繁員=繁寛(繁章の子)-繁康
- 上郡山家(300石) ※一族より降格
- 上郡山常為-高為=重常(常為の子)-景常-守為-為常=為道(山路重貞の二男)-多聞為倫=為巳(上郡山為憲の長男)=進為倫=為康(後藤元康の五男)-千家之介為倫=熹為(村上利福の二男)-信為
- 飯田家(50石、桃生郡女川) ※伊達氏庶流(桑折家分家)。一族より降格
- 飯田重親=定親(奥山常良の長男)-成親=安親(上遠野秀之の二男)=興親(成親の子)-道親-胤親=信親(国分与信の二男)-
- 砂金家(500石、加美郡鳥屋崎) ※一族より降格
- 砂金実常=隆常(中島貞成の五男)-勝常=重常(涌谷伊達宗元の三男)=常令-令昌-令緒-令常-令儀
- 柴田郡前川→1702加美郡鳥屋崎
- 藤沢家(405石、栗原郡沼倉)
- 藤沢義春(新田義親の子)-義広-義重=義次(義広の子)=義清(義重の子)-義連-義規-景清-景福=景翼-幾之輔
- 元禄3年(1690年)新田より改姓。
- 坪沼梁川家(500石、名取郡坪沼) ※伊達氏庶流
- 梁川頼長(梁川宗頼の二男)-頼次=頼道(高橋信次の二男)-
- 平渡茂庭家(1,347石、志田郡平渡)
- 茂庭元咸(茂庭姓元の二男)=元辰(茂庭元明の二男)-元雅=元恒(元辰の三男)=元長(茂庭苞元の三男)-元良-元敏-元徳
- 下真山白河家(玉造郡下真山)
- 白河朝清(白河義綱の三男)=朝国-直定-親之-親継-
召出
- 一番座
岡村(極楽院)、鮎貝、秋保、秋保、塩森、大條、村田、石母田、石母田、亘理、上郡山、西大條、宮内、遠藤、佐藤、畠中、下郡山、沼辺、砂金、大町、高城、高城、大松沢、石母田、但木、桑島、田村、中村、日野、遠藤、湯目、後藤、横尾、小野、堀越、茂庭、秋保
- 二番座
猪苗代、葛西、上遠野、保土原、金上、清水、大波、塩、白津、真田、桑島、大浪、長沼、橋本、青木、青木、南、加藤、田中、大和田、五十嵐、松林、大波、今泉、大島、北、上野、沼辺、本多、佐藤、中山、木幡、山家、中地、大河内、太田、武田、古内、浅井、田辺、早川、熊谷、鈴木、椙原、布施、木村、山岸、安田、石田、小島、荒井
史料
- 『伊達世臣家譜』 編纂:田辺希績
- 『伊達世臣家譜続編』 編纂:田辺希績
- 『御知行被下置御帳』(『仙台藩家臣録』『元禄補遺仙台藩家臣録』)
脚注
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