傲慢 (ごうまん)は、他人を侮り、思い上がった態度をとること。
キリスト教
キリスト教では傲慢 (pride) は七つの大罪 の一つに数えられる。また、旧約聖書 の『箴言 』に「高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ」(Pride goes before destruction, a haughty spirit before a fall.)という言葉がある。自尊心(或いは虚栄心 vanity)は、自分の能力や世のならわしに対する過信(それは、神の恩恵を悟る上でのさまたげとなる)を意味する。
仏教
煩悩 は、2種類に分かれ、無明 =三毒 =三惑 と悪見 からなる。無明 は貪欲 、瞋恚 、愚痴 であり、悪見 は慢 、疑 、見 である。6つ合わせて、六煩悩 と、仏教 の一派唯識派 ではいう。慢 は、仏教 では自ら他を比較して軽蔑し、みずからを恃み高ぶることと、戒められている。
慢 は、また主に7種に分かれる。
慢
過慢:同等に対しては勝れたと、上等には同等と高ぶる。
慢過慢:勝れた者に対して、逆に自分が勝れたとする。
我慢 :自分の身心を永遠不変の我 とたのむ。
増上慢 :悟り を得ないのに得たとする。
卑慢:多く勝れた者より、少し劣っているだけのものとする。
邪慢:徳 がないのにあるものとする。
その他8慢、9慢などの分類がある。
儒教
儒教 では、恭倹 が重んじられ、その反対概念である傲 、驕、慢は疎まれる。
パスカル
ブレーズ・パスカル は、自分の惨めさという本来の状態に無知であると考えた。彼の示す救いの道は、キリスト者 としての道に従うこととされた。無信仰者 がいかに無為 、怠惰 を克服しても、傲慢 に陥ると説いた。
ギリシャ神話
ギリシャ語 で、ヒュブリス (hybris)。
他人の権利を侵し、神々 を冒涜することで、人間 が自己の分限を超えることが、神々の怒りを招くとされ、そこに人間の破滅 の一因が求められた。
関連項目
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