北海道教育大学附属札幌小学校(ほっかいどうきょういくだいがくふぞくさっぽろしょうがっこう)は、札幌市北区に所在する北海道教育大学札幌校の附属教育研究機関(小学校)である。
沿革
概要
- 教育大学の附属機関であるため教育実習が多く、毎年研究大会が開かれる。実験的な授業も少なくない。同校教諭は「大学職員」という位置づけなので「教官」と呼称され、職員室にあたる場所は教官室であるが、児童は他校同様「先生」と呼ぶ。学校長は教育大学札幌校の担当教授が任ぜられるが、実務は他の市立小学校には無い「副校長」が担う。教頭職は無い。
- 音楽と図工は専門教諭が、外国語はALTがおり、専門的な教育が受けられる。
- 制服・ジャージ・上靴・運動靴・通学鞄等は指定のものがある。
- 同校ふじのめ学級との交流がある。
- 通学指定区域は、札幌市内。登下校の時間と安全が確保でき、札幌市内在住であれば通学可能である。入学にあたっては選考がある。あいの里教育大駅・麻生駅・栄町駅方面への通学バスがあり、多くの児童が利用している。
- 生徒数は普通学級一学年2クラス編成であるため、定数は70名前後となる。
出身者
脚注
注釈
- ^ 『百年史』38頁は、明治19年3月4日北海道庁達無号(『明治19年北海道庁布令全書』386-387頁)の日付により「3月4日」としている。
- ^ 告示庚第13号に「北1条西3丁目」とあり、明治22年の『札幌市街之図』でも位置が確認できる。『創立九十周年 開学二十七周年 記念誌』2頁、65頁、120頁では「北2条西3丁目」としているが、誤りと見られる。
- ^ 『創立九十周年』3頁では「南2条西5丁目元区役所跡・町会所跡を借りて本校・附属小学校にあてた」、『百年史』278頁では「12月10日 附属小学校、南2条西5丁目旧会所跡に移転」としている。
- ^ 『創立九十周年』3頁では「(明治)26年創成学校跡に移転」としている。
- ^ 『百年史』42頁で「南1条西13丁目」「現、村記念病院(引用者注 「中村記念病院」の誤りか)の位置」としているが、「中村記念病院の位置」ということからも、「札幌市街区画明細図」(1901年)からも、西14丁目が正しいと見られる。
- ^ 『創立九十周年』120頁では、明治27年(1894年)築の校舎が「昭和4年まで存続」としている。
- ^ 『創立九十周年』122頁、『百年史』103頁、291頁
- ^ 『新札幌市史 第8巻2』341頁ではこの改称日を6月1日としている。
- ^ 2018年以降の学校要覧で、この改称時期を2003年(平成15年)としたものがある。
出典
参考文献
- 北海道庁記録課 編『明治19年北海道庁布令全書』北海道庁、1887年。
- 北海道庁記録課 編『明治20年北海道庁布令全書 上』北海道庁、1887年。
- 北海道庁 編『札幌市街之図』北海道庁、1889年。
- 五十嵐武彦 編『札幌市街区画明細図』富貴堂、1901年。
- 笹島薫 編『札幌市制紀念人名案内図』スミレ商会、1922年。
- 北海道教育大学札幌分校『創立九十周年 開学二十七周年 記念誌』1976年。
- 山崎長吉『札幌教育史 上巻』第一法規出版、1986年。
- 北海道教育大学教育学部付属札幌小学校『百年史』1986年。
- 札幌市教育委員会 編『新札幌市史 第2巻』札幌市、1991年。
- 山崎長吉『札幌教育史 中巻』第一法規出版、1992年。
- 山崎長吉『札幌教育史 下巻』第一法規出版、1997年。
- 札幌市 編『新札幌市史 第8巻2』札幌市、2008年。
関連項目
外部リンク