山科区(やましなく)は、京都市を構成する11の行政区の1つ。京都市の東側にある山科盆地の北部と、周辺の山地を区の範囲としている。清水焼団地や西野山ニュータウンなど住宅街も整備されている。
本項ではかつて同一地域に存在した宇治郡山科町(やましなちょう)についても述べる。
概要
滑石道から見た山科盆地
東山により京都盆地から、音羽山や醍醐山(笠取山)などにより近江盆地からは隔てられている。古来から京都と東国とを結ぶ交通の要衝であった。
かつては、滋賀県との府県境の農村だったが、現在はベッドタウンとして他地域からの移入者も多く、名神高速道路の京都東ICなどもあり、京都市東部の玄関口として発展している。
東側は滋賀県大津市との県境に接しており、大津との結び付きも強い[* 1]。
南側は伏見区醍醐地区に接しており、山科区と同一の生活圏や経済圏を形成している。古来同じ宇治郡であり山科川流域の山科区と醍醐地区との繋がりは、東山で隔てられる伏見区中心部と醍醐地区の繋がりよりも深いと言われる。
地理
山科川
地形
山地
- 主な山
河川
- 主な川
土地
地域
区を構成する町:京都市山科区の町名を参照。
人口
山科区に相当する地域の人口の推移
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1975年(昭和50年)
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126,124人
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1980年(昭和55年)
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136,318人
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1985年(昭和60年)
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136,954人
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1990年(平成2年)
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136,070人
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1995年(平成7年)
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137,104人
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2000年(平成12年)
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137,624人
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2005年(平成17年)
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136,670人
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2010年(平成22年)
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136,045人
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2015年(平成27年)
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135,471人
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2020年(令和2年)
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135,101人
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総務省統計局 国勢調査より
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隣接自治体・行政区
京都府
滋賀県
歴史
天智天皇陵
古代
中臣遺跡
山科は山城国宇治郡8郷のひとつで古くは「山階」とも表記された。
山科周辺は古くから交通が盛んであり、東山を越える日ノ岡峠、大津宿へ抜ける逢坂関が東海道の要所として知られていた。山科は東海道の街道町であり江戸時代には特に栄えた。また、逢坂から南へ抜ける奈良街道(奈良に都があったころの北陸道)、東山を日ノ岡の南で越える渋谷街道(東国と六波羅探題を結んだ)や滑石街道、大岩街道など数多くの街道があった。
栗栖野の台地には縄文時代から人が住み弥生時代の大規模な集落跡も見つかっている。特に旧石器時代後期から室町時代にかけての遺跡が重なっている中臣遺跡は重要な遺跡である。
山科は古代より政権との結びつきが深く、669年には中臣鎌足によって精舎(山階寺)が作られ、7世紀末には天智天皇陵などが作られた。平安京や比叡山延暦寺の創建後、安祥寺(848年)・毘沙門堂門跡・勧修寺(900年)・曼荼羅寺(後の随心院、991年)など多くの寺院が作られ、区外の山科川下流の醍醐・笠取山の山上・山麓には醍醐寺(874年)が創建されている。
中世
室町時代から戦国時代まで
山科中央公園の山科本願寺土塁跡
中世には「山科荘」(やましなのしょう)という荘園があり、これを代々保持していた公家の一流は後に山科家と名乗っていたが、戦国時代を代表する教養人として知られた山科言継の代の1548年に室町幕府によってこれを奪われている。
室町時代後期の1478年に蓮如によって山科本願寺が建てられ、長大な土塁に囲まれた寺院群と寺内町が山科盆地の大きな面積を占めるようになった。
しかし城郭都市のようになった本願寺の存在と門徒たちの勢いを恐れた細川晴元は、京都市内をほぼ勢力下に置いた日蓮宗徒らと結託して一向宗に打撃を加えようとした。
1532年の天文法華の乱では日蓮宗徒たちは山科本願寺を陥落させ焼き討ちした(山科本願寺の戦い)。
この後本拠を失った本願寺勢力は大坂(石山本願寺)に移っている。山科本願寺は廃墟と化したが、今も高い土塁の跡が区内各地に残存している。
近世
江戸時代
江戸時代は山科や四宮、そして髭茶屋追分(現在の大津市追分)までが東海道(三条通の開通に伴い、今は旧街道・旧三条通りなどと呼ばれる)の街道筋として一続きの町となり、飛脚や参勤交代をはじめ多くの人々が行き交った。
髭茶屋追分からは京都を通らず大津宿と伏見宿、大坂を直接つなぐ伏見街道(大津街道)が山科盆地を南へ走っていた。
京都に住んでいる天皇のため、禁裏御料地として宮中に献上する作物を栽培したほか、近郊農村として京都の市民に野菜などを供給された。
大石良雄(内蔵助)は山科区の西の端にあたる西野山に住み、仇討ちまでの間、夜毎東山を越えて祇園に通いながら世間の目を欺いていた。
近代
明治維新から第二次世界大戦まで
明治以降、琵琶湖疏水や東海道本線、現在の京阪京津線などが山科を通り、1933年に京津国道(後の国道1号、現在の三条通)が開通し、大正から昭和にかけては繊維・染色関係の工場が建つなど、京都の郊外住宅・工業地として栄えた。1921年に西野にできた日本絹布が特に大きな工場であり、翌年鐘紡に吸収されその山科工場となった。
多くの女工が周囲に住み、近隣には市場や映画館もできるなど山科駅周辺の市街地化に貢献した。(山科工場は1970年に長浜に移転し、跡地は山科団地となっている。)
京都郊外のレジャー地区としてゴルフ場、ダンスホール、料亭なども開設されている。1931年に京都市東山区に編入されたが、この時点では住宅や工場は東海道沿いと山科駅周辺に集中しておりその他は竹やぶの散在する近郊農村だった。
1935年(昭和10年)8月10日、集中豪雨により花山中腹の稚児ヶ池が決壊。濁流が山麓に押し寄せて北花山中道町の7戸が流出、15戸が浸水半壊。4人が死亡、12人が重軽傷[1]。
現代
第二次世界大戦後
戦後は、名神高速道路の京都東インターチェンジや国道1号線五条バイパス、区内の外環状線、国鉄(現JR西日本)湖西線が開通している。
高度成長期以降は盆地内の農地の宅地化が進み、大型団地が建設されるなど京都や大阪のベッドタウンとなった。ただし、この際に道路整備が追い付かなかった事が、区内各所での渋滞が慢性化している原因にもなっている。
1976年(昭和51年)に東山区から分区され山科区となった[2]。
近年は西大津バイパスなどの琵琶湖西縦貫道路[* 2]や、京都市中心部から日ノ岡の下を通り山科区を南に縦断する京都市営地下鉄東西線が開通するなど更なる交通網の整備が進んだほか、山科駅前は地下鉄開通とともに再開発されデパート(大丸)が入る再開発ビルが建設されている。
そのため山科駅周辺ならびに地下鉄東西線が地下を走る外環状線沿線は活気ある街に育ちつつあるが、かつてのメインストリートであった旧東海道や醍醐街道の繁栄振りは鳴りを潜め、空洞化が進んでいる。
政治
行政
自治体の変遷
- 明治
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、宇治郡安朱村、上野村、御陵村、日岡村、厨子奥村、竹鼻村、四宮村、髭茶屋町、八軒町、小山村、音羽村、大塚村、西野村、東野村、北花山村、大宅村、椥辻村、上花山村、川田村、勧修寺村、西野山村、栗栖野村、小野村が合併して宇治郡山科村が成立。
- 大正
- 昭和
国家機関
法務省
厚生労働省
施設
山科警察署
洛和会音羽病院
山科郵便局
警察
- 京都府山科警察署
- 大塚交番(山科区大塚森町)
- 花山交番(山科区北花山寺内町)
- 勧修寺交番(山科区西野山中臣町)
- 四ノ宮交番(山科区音羽草田町)
- 竹鼻交番(山科区竹鼻四丁野町)
- 椥辻交番(山科区大宅桟敷)
- 百々交番(山科区西野山百々町)
- 御陵交番(山科区御陵別所町)
- 山科駅前交番(山科区安朱桟敷町)
消防
医療
- 主な病院
公民館
図書館
郵便局
- 郵便番号
郵便番号は607-00・-08・-09・-80・-81・-82・-83・-84が使用されている。
- 主な郵便局
集配郵便局である山科郵便局のほか、以下の郵便局がある。
- 山科四宮郵便局
- 京都山科音羽郵便局
- 京都山科竹鼻郵便局
- 京都東野郵便局
- 京都山科椥辻郵便局
- 京都山科大宅郵便局
- 京都勧修寺郵便局
- 京都山科川田郵便局
- 京都山科西野郵便局
- 京都山科御陵郵便局
- 京都北花山郵便局
経済
第三次産業
商業
- 主な商業施設
本社を置く企業
情報・通信
マスメディア
中継局
教育・研究機関
京都橘大学
京都薬科大学
科研製薬総合研究所
大学
- 国立
- 私立
高等学校
- 府立
- 私立
中学校
- 市立
- 私立
小学校
- 市立
- 私立
特別支援学校
- 市立
各種学校
研究機関
交通
山科駅に隣接する商業施設「ビエラ山科」
京都東インターチェンジ
京都外環状線から山科駅方面を望む
鉄道
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 京阪電気鉄道
- 京都市営地下鉄
バス
路線バス
1997年10月11日まで京都市営バスの路線もあったが、同年10月12日の地下鉄東西線開通時にバス路線再編で路線網を京阪バスに譲り撤退していた。このため以降は京都市の11区で唯一市バス路線のない区であった。しかし、2021年12月1日より河原町三条・四条河原町と山科団地・国道東野を結ぶ特80系統の運行を開始したことにより[3]、24年ぶりに京都市営バスの路線が復活した。
道路
高速道路
- 自動車専用道路
国道
府県道
- 主要地方道
- その他の府道
- 主要道路
観光
毘沙門堂
日向大神宮
名所・旧跡
- 主な寺院
- 主な神社
- 主な遺跡
- 主な史跡
観光スポット
文化・名物
祭事・催事
名産・特産
著名な出身者
山科区を舞台とした作品
映画
小説
脚注
注釈
- ^ おおよそ山科盆地内は山科区であるが、盆地の北東端、追分・藤尾などの地域は2012年現在大津市である。
- ^ 琵琶湖西縦貫道路の全区間が滋賀県内にあるが、終点の藤尾南ランプから名神高速道路の京都東インターチェンジに接続している。
出典
参考文献
- 『モノクロームヤマシナ:未来へつなぐ山科の記憶』山科区役所、2006年
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
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