恵比寿駅
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兵庫県にある「恵比須駅」とは異なります。 |
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恵比寿駅(えびすえき)は、東京都渋谷区恵比寿南一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)と東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。渋谷区内の鉄道駅では最も南にある。
乗り入れ路線
JR東日本の各線(後述)が地上の高架上に、東京メトロの日比谷線が地下にそれぞれ乗り入れ、乗り継ぎ可能な接続駅となっている。また、JR東日本の駅には「 EBS 」のスリーレターコードが付与されている。
- JR東日本:各線(後述)
- 東京メトロ: 日比谷線 - 駅番号「H 02」
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は山手線のみであるが、運転系統としては電車線を走行する環状線としての山手線電車のほか、山手貨物線を走行する埼京線と湘南新宿ラインが停車し、旅客案内ではそれぞれ別路線として扱われている。
東京メトロ日比谷線は、終着駅である北千住駅のさらに先、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)を経由して日光線南栗橋駅まで相互直通運転を実施している。
また、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。
歴史
駅名の由来
ヱビスビールを製造・販売していた日本麦酒醸造会社(現在のサッポロビール)の工場が、現在恵比寿ガーデンプレイスのある場所にかつて存在していた。工場に隣接する山手線上に1901年、ビール出荷専用の貨物駅が開設された[2]。ビールの商標に因み、駅名も「恵比寿」(当初「ゑびす」と表記)と命名される。駅開設当時の地名は「下渋谷」であった[2]。後に、工場周辺を「ゑびす」と呼ぶようになり、1928年に駅周辺の地名も「恵比寿通」と名付けられた[2]。駅前の恵比寿神社は、戦後に成立したものである(駅周辺の節も参照)。
商品名のヱビスと恵比寿ガーデンプレイスのローマ字表記は「YEBISU」であるが、地名と駅名の表記は「Ebisu」である。
駅構造
JR東日本
JR東日本ステーションサービスが駅業務を受託している渋谷駅管理の業務委託駅[7]。
山手線と埼京線・湘南新宿ライン(山手貨物線)でそれぞれ島式ホーム1面2線ずつ、2面4線を有する高架駅である。
ホーム上の大部分は駅ビル「アトレ恵比寿」に覆われており、1階に西口、3階に東口、それぞれの改札口が設置されている。なお、現行の駅舎が建設される前は、西口・東口とも地平部に駅舎があり、東口とホームは山手貨物線を跨ぐ橋で連絡していた。
エスカレーターは改札内コンコースとホームを連絡するほか、東口には出入口と改札外コンコースを連絡するものも設置されている。エレベーターは西口改札内コンコースとホームを連絡している。
2010年6月26日初電より、山手線ホームにてJR東日本の在来線としては初となるホームドアの運用が開始されている。なお、7号車・10号車部分は当時一部のE231系編成で6ドア車が4ドア車に変更されていなかったため、全編成が4ドア車に変更された後に設置された[注釈 1]。
発車案内の上部に列車の現在位置を表示する大型の液晶ディスプレイが2006年10月から2007年2月まで試験的に設置されていた。試験終了後は改札口付近に異常時の運行情報を表示するものとして移設されている。
埼京線の列車が当駅を終着駅としていた時期は(ATOS未導入の時期でもある)、埼京線各駅において当駅行の電車を「渋谷方面恵比寿行き」という言い回しで案内していた[注釈 2]。また、3番線を乗車専用、4番線を降車専用(ホリデー快速を除く)としていたが、湘南新宿ラインの運転開始に伴って目黒方にホームが延伸され、乗車・降車専用の扱いはなくなった。
サッポロビール恵比寿工場が付近にあった時は貨物扱い施設も設置されていた。工場の廃止後、埼京線延長前の1987年から1993年頃までこの施設を利用して行楽シーズンに九州や北海道方面へのカートレインが発着していた(後に浜松町駅発着に変更)。サッポロビール恵比寿工場の跡地は再開発され恵比寿ガーデンプレイスとなった。
自動券売機、多機能券売機、指定席券売機が設置されている[9]。なお、1995年11月から導入されている、JR東日本の傾斜式・タッチパネル式自動券売機については、当駅東口が最初の導入場所だった。導入当初はディスプレイが小さい四角形で、かつ目の不自由な利用者のためのテンキーが設置されていなかったが、後の小改良で設置された。また、同じタイプのボタン式自動券売機も設置されていた[注釈 3]。2010年時点では、ディスプレイが大きい四角形のものに交換されている。
のりば
(出典:JR東日本:駅構内図)
発車メロディ
恵比寿ガーデンプレイスの所在地はかつてサッポロビールの恵比寿工場だったことから、ヱビスビールのCM曲である映画『第三の男』のテーマ曲が発車メロディとして採用されている。このメロディは2005年6月6日から使用されているが、それ以前にも2004年10月21日から同年12月25日までアレンジの違うメロディが流れていた[10]。
東京メトロ
相対式ホーム2面2線を有する地下駅である。ホームがかなり湾曲しているため、常時駅員が出発合図を出している。
改札は中目黒駅寄りと広尾駅寄りの2カ所で、中目黒駅寄りはホーム及び地上ともは階段のみでの連絡。広尾駅寄りはエスカレーターとエレベーターが改札付近に設置され、改札内コンコースとホームと連絡している。また改札外コンコースと地上を結ぶ1番出口には階段とエレベーターが併設されている。東京メトロ日比谷線とJR各線は直角に近い位置関係で交差しており、この広尾駅寄り南側の1番出口がJR恵比寿駅の最寄り出入り口である。
広尾駅寄り改札内に事務所が設置されている[12]。
久喜駅始発の「THライナー」は当駅が終着となり、その後は中目黒駅へ回送される。
のりば
(出典:東京メトロ:構内立体図)
- 中目黒寄りに両渡り線が設置されている[14]。開業から1964年7月22日の中目黒延伸までは1番線を降車ホーム、2番線を乗車ホームとしており、その折り返しのために両渡り線を使用していた。延伸後は非常用とされている。
-
JR恵比寿駅方面改札(2021年6月)
-
ホーム(2008年4月)
発車メロディ
2020年2月7日よりスイッチ制作の発車メロディ(発車サイン音)を使用している[6]。
曲は1番線が「アルテミス」(福嶋尚哉作曲)、2番線が「Sparkling Road」(大和優子作曲)である[6]。
利用状況
年度別1日平均乗降人員
近年の1日平均乗降人員推移は下表の通り。
年度別1日平均乗降人員[統計 1][統計 2]
年度
|
営団 / 東京メトロ
|
1日平均 乗降人員
|
増加率
|
1999年(平成11年)
|
104,849
|
|
2000年(平成12年)
|
99,899
|
−4.7%
|
2001年(平成13年)
|
|
|
2002年(平成14年)
|
[15]88,362
|
|
2003年(平成15年)
|
[15]93,165
|
5.4%
|
2004年(平成16年)
|
94,325
|
1.2%
|
2005年(平成17年)
|
97,299
|
3.2%
|
2006年(平成18年)
|
99,683
|
2.5%
|
2007年(平成19年)
|
105,600
|
5.9%
|
2008年(平成20年)
|
104,056
|
−1.5%
|
2009年(平成21年)
|
100,621
|
−3.3%
|
2010年(平成22年)
|
98,876
|
−1.7%
|
2011年(平成23年)
|
95,522
|
−3.4%
|
2012年(平成24年)
|
98,217
|
2.8%
|
2013年(平成25年)
|
104,738
|
6.6%
|
2014年(平成26年)
|
107,471
|
2.6%
|
2015年(平成27年)
|
111,149
|
3.4%
|
2016年(平成28年)
|
115,726
|
4.1%
|
2017年(平成29年)
|
118,260
|
2.2%
|
2018年(平成30年)
|
119,939
|
1.4%
|
2019年(令和元年)
|
117,796
|
−1.8%
|
2020年(令和02年)
|
[メトロ 2]70,649
|
−40.0%
|
2021年(令和03年)
|
[メトロ 3]76,424
|
8.2%
|
2022年(令和04年)
|
[メトロ 4]90,039
|
17.8%
|
2022年(令和04年)
|
[メトロ 1]98,329
|
9.2%
|
年度別1日平均乗車人員(1900年代 - 1930年代)
年度別1日平均乗車人員
年度
|
日本鉄道 / 国鉄
|
出典
|
1901年(明治34年)
|
[備考 1]
|
|
1907年(明治40年)
|
127
|
[東京府統計 1]
|
1908年(明治41年)
|
172
|
[東京府統計 2]
|
1909年(明治42年)
|
257
|
[東京府統計 3]
|
1911年(明治44年)
|
931
|
[東京府統計 4]
|
1912年(大正元年)
|
1,058
|
[東京府統計 5]
|
1913年(大正02年)
|
1,121
|
[東京府統計 6]
|
1914年(大正03年)
|
1,077
|
[東京府統計 7]
|
1915年(大正04年)
|
1,062
|
[東京府統計 8]
|
1916年(大正05年)
|
1,464
|
[東京府統計 9]
|
1919年(大正08年)
|
3,665
|
[東京府統計 10]
|
1920年(大正09年)
|
5,176
|
[東京府統計 11]
|
1922年(大正11年)
|
7,330
|
[東京府統計 12]
|
1923年(大正12年)
|
9,663
|
[東京府統計 13]
|
1924年(大正13年)
|
10,405
|
[東京府統計 14]
|
1925年(大正14年)
|
10,067
|
[東京府統計 15]
|
1926年(昭和元年)
|
11,424
|
[東京府統計 16]
|
1927年(昭和02年)
|
12,974
|
[東京府統計 17]
|
1928年(昭和03年)
|
13,714
|
[東京府統計 18]
|
1929年(昭和04年)
|
14,325
|
[東京府統計 19]
|
1930年(昭和05年)
|
13,707
|
[東京府統計 20]
|
1931年(昭和06年)
|
12,914
|
[東京府統計 21]
|
1932年(昭和07年)
|
12,717
|
[東京府統計 22]
|
1933年(昭和08年)
|
13,290
|
[東京府統計 23]
|
1934年(昭和09年)
|
13,776
|
[東京府統計 24]
|
1935年(昭和10年)
|
14,308
|
[東京府統計 25]
|
年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年)
年度別1日平均乗車人員
年度
|
国鉄 / JR東日本
|
営団
|
出典
|
1953年(昭和28年)
|
23,185
|
未開業
|
[東京都統計 1]
|
1954年(昭和29年)
|
24,278
|
[東京都統計 2]
|
1955年(昭和30年)
|
24,526
|
[東京都統計 3]
|
1956年(昭和31年)
|
26,594
|
[東京都統計 4]
|
1957年(昭和32年)
|
28,174
|
[東京都統計 5]
|
1958年(昭和33年)
|
30,276
|
[東京都統計 6]
|
1959年(昭和34年)
|
32,642
|
[東京都統計 7]
|
1960年(昭和35年)
|
34,575
|
[東京都統計 8]
|
1961年(昭和36年)
|
35,306
|
[東京都統計 9]
|
1962年(昭和37年)
|
38,044
|
[東京都統計 10]
|
1963年(昭和38年)
|
40,769
|
[備考 2]10,721
|
[東京都統計 11]
|
1964年(昭和39年)
|
43,990
|
10,982
|
[東京都統計 12]
|
1965年(昭和40年)
|
45,929
|
15,969
|
[東京都統計 13]
|
1966年(昭和41年)
|
45,458
|
16,246
|
[東京都統計 14]
|
1967年(昭和42年)
|
46,549
|
17,838
|
[東京都統計 15]
|
1968年(昭和43年)
|
47,499
|
19,387
|
[東京都統計 16]
|
1969年(昭和44年)
|
43,889
|
20,560
|
[東京都統計 17]
|
1970年(昭和45年)
|
44,701
|
23,789
|
[東京都統計 18]
|
1971年(昭和46年)
|
50,008
|
26,683
|
[東京都統計 19]
|
1972年(昭和47年)
|
51,241
|
29,225
|
[東京都統計 20]
|
1973年(昭和48年)
|
53,030
|
29,488
|
[東京都統計 21]
|
1974年(昭和49年)
|
55,940
|
31,534
|
[東京都統計 22]
|
1975年(昭和50年)
|
58,156
|
32,530
|
[東京都統計 23]
|
1976年(昭和51年)
|
62,307
|
33,068
|
[東京都統計 24]
|
1977年(昭和52年)
|
62,808
|
33,734
|
[東京都統計 25]
|
1978年(昭和53年)
|
62,942
|
32,515
|
[東京都統計 26]
|
1979年(昭和54年)
|
65,011
|
32,839
|
[東京都統計 27]
|
1980年(昭和55年)
|
64,290
|
33,386
|
[東京都統計 28]
|
1981年(昭和56年)
|
65,332
|
34,855
|
[東京都統計 29]
|
1982年(昭和57年)
|
66,110
|
35,677
|
[東京都統計 30]
|
1983年(昭和58年)
|
67,648
|
36,724
|
[東京都統計 31]
|
1984年(昭和59年)
|
72,186
|
38,836
|
[東京都統計 32]
|
1985年(昭和60年)
|
72,964
|
39,858
|
[東京都統計 33]
|
1986年(昭和61年)
|
75,655
|
41,222
|
[東京都統計 34]
|
1987年(昭和62年)
|
74,601
|
41,503
|
[東京都統計 35]
|
1988年(昭和63年)
|
77,814
|
43,197
|
[東京都統計 36]
|
1989年(平成元年)
|
80,696
|
44,562
|
[東京都統計 37]
|
1990年(平成02年)
|
82,422
|
45,537
|
[東京都統計 38]
|
1991年(平成03年)
|
84,549
|
45,779
|
[東京都統計 39]
|
1992年(平成04年)
|
87,592
|
45,737
|
[東京都統計 40]
|
1993年(平成05年)
|
89,882
|
45,770
|
[東京都統計 41]
|
1994年(平成06年)
|
[注釈 4]99,723
|
46,816
|
[東京都統計 42]
|
1995年(平成07年)
|
108,593
|
46,954
|
[東京都統計 43]
|
1996年(平成08年)
|
118,063
|
48,954
|
[東京都統計 44]
|
1997年(平成09年)
|
123,141
|
50,110
|
[東京都統計 45]
|
1998年(平成10年)
|
127,033
|
52,123
|
[東京都統計 46]
|
1999年(平成11年)
|
[JR 1]129,081
|
51,473
|
[東京都統計 47]
|
2000年(平成12年)
|
[JR 2]127,967
|
49,203
|
[東京都統計 48]
|
年度別1日平均乗車人員(2001年以降)
年度別1日平均乗車人員[統計 2][統計 3]
年度
|
JR東日本
|
営団 / 東京メトロ
|
出典
|
2001年(平成13年)
|
[JR 3]123,640
|
44,290
|
[東京都統計 49]
|
2002年(平成14年)
|
[JR 4]124,152
|
43,088
|
[東京都統計 50]
|
2003年(平成15年)
|
[JR 5]125,839
|
45,098
|
[東京都統計 51]
|
2004年(平成16年)
|
[JR 6]126,830
|
45,556
|
[東京都統計 52]
|
2005年(平成17年)
|
[JR 7]131,507
|
47,378
|
[東京都統計 53]
|
2006年(平成18年)
|
[JR 8]135,318
|
48,537
|
[東京都統計 54]
|
2007年(平成19年)
|
[JR 9]137,826
|
51,374
|
[東京都統計 55]
|
2008年(平成20年)
|
[JR 10]134,616
|
50,748
|
[東京都統計 56]
|
2009年(平成21年)
|
[JR 11]132,968
|
49,400
|
[東京都統計 57]
|
2010年(平成22年)
|
[JR 12]130,245
|
48,430
|
[東京都統計 58]
|
2011年(平成23年)
|
[JR 13]128,555
|
47,030
|
[東京都統計 59]
|
2012年(平成24年)
|
[JR 14]130,241
|
48,003
|
[東京都統計 60]
|
2013年(平成25年)
|
[JR 15]133,553
|
51,419
|
[東京都統計 61]
|
2014年(平成26年)
|
[JR 16]135,493
|
52,753
|
[東京都統計 62]
|
2015年(平成27年)
|
[JR 17]139,882
|
54,481
|
[東京都統計 63]
|
2016年(平成28年)
|
[JR 18]143,898
|
56,868
|
[東京都統計 64]
|
2017年(平成29年)
|
[JR 19]145,319
|
58,186
|
[東京都統計 65]
|
2018年(平成30年)
|
[JR 20]147,699
|
59,027
|
[東京都統計 66]
|
2019年(令和元年)
|
[JR 21]145,805
|
58,112
|
[東京都統計 67]
|
2020年(令和02年)
|
[JR 22]94,002
|
|
|
2021年(令和03年)
|
[JR 23]99,136
|
|
|
2022年(令和04年)
|
[JR 24]112,602
|
|
|
- 備考
- ^ 1901年2月25日開業。
- ^ 1964年3月25日開業。開業日から1964年3月31日までの計7日間を集計したデータ。
駅周辺
当駅の開業後、当駅とビール工場の周辺が「恵比寿」と呼ばれるようになり、後に正式な地名になった。
山手線内側
山手線外側
バス路線
隣の駅
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 山手線
- 目黒駅 (JY 22) - 恵比寿駅 (JY 21) - 渋谷駅 (JY 20)
- 埼京線( 相鉄線直通含む)
- ■通勤快速・■快速・■各駅停車
- 大崎駅 (JA 08) - 恵比寿駅 (JA 09) - 渋谷駅 (JA 10)
- 湘南新宿ライン
- ■特別快速
- 通過
- ■快速・■普通
- 大崎駅 (JS 17) - 恵比寿駅 (JS 18) - 渋谷駅 (JS 19)
- 東京地下鉄(東京メトロ)
- 日比谷線
- ■THライナー以外の列車
- 中目黒駅 (H 01) - 恵比寿駅 (H 02) - 広尾駅 (H 03)
脚注
注釈
- ^ 恵比寿駅掲示のポスターによる。
- ^ 「○○方面△△行き」という言い回しは西日本旅客鉄道(JR西日本)や京浜急行でよく聞かれる(JR西日本だと「宝塚方面新三田行」や「京都方面野洲行」など、京浜急行だと「品川方面○○(種別)泉岳寺行」や「品川・日本橋方面○○(種別)印旛日本医大行など)。
- ^ 阿佐ケ谷駅のダイヤ街口にも設置されていた。
- ^ 1994年10月、恵比寿ガーデンプレイスがグランドオープン。
- ^ 車両の行先表示器では渋72系統は「えびす駅」、恵32系統は「恵比寿駅」と表記。
出典
報道発表資料
新聞記事
- ^ “JR埼京線、恵比寿まで延伸 混雑緩和に期待 首都圏で今春延長・新設4線”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 14 夕刊. (1996年3月16日)
- ^ “JR7社14年のあゆみ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 9. (2001年4月2日)
利用状況に関する資料
- JR・地下鉄の1日平均利用客数
- JR東日本の1999年度以降の乗車人員
- 東京地下鉄の1日平均利用客数
- JR・地下鉄の統計データ
- 東京府統計書
- 東京都統計年鑑
関連項目
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外部リンク
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