東西線 (とうざいせん)は、東京都 中野区 の中野駅 から千葉県 船橋市 の西船橋駅 までを結ぶ、東京地下鉄 (東京メトロ)が運営する鉄道路線 である。『鉄道要覧 』における名称は5号線東西線 。
路線名の由来は東京を東西に横断することから。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラー は「スカイブルー」(#009BBF、水色)[ 7] 、路線記号 はT 。
概要
名称の通り東京都心部を東西に貫く路線であり、当路線の開業当時に混雑が激しかった中央線快速 と総武線 のバイパス路線として開業した[ 8] [ 9] 。その西端の中野 から大手町 や日本橋 などの東京都心 部を経由しながらさらに東方向へ進み、旧江戸川 以東の浦安 - 西船橋間は千葉県 内となる。東西線は、帝都高速度交通営団 (現:東京地下鉄〈東京メトロ〉)では初めての東京都外(そして東京23区 以外)への路線となった[ 9] 。また、東京メトロで唯一の千葉県内に延伸された路線である。東京都外へは、後に東京メトロ有楽町線 ・副都心線 も埼玉県 内に路線が延びたが、有楽町線・副都心線唯一の都外・23区外の駅である埼玉県南端の和光市駅 は東武鉄道 東上線 の管理駅であるため、都外・23区外に東京地下鉄管理駅を持つのは東西線が唯一である[ 注釈 1] 。
新型コロナウイルス流行 以前の2019年 度における最混雑区間(木場駅 →門前仲町駅 )の混雑率 は199%と、地下鉄のみならず日本の鉄道路線の中で最も混雑している路線であった[ 報道 1] 。2021年 度における平均輸送人員は日本の地下鉄で唯一100万人を上回った[ 2] 。コロナ後は、沿線に日本IBM 、野村総研 (NRI)、大和総研 などの情報通信業 の事業者もあり、在宅比率も高くなり、混雑率は改善されている。
全長は30.8 km で都営地下鉄大江戸線 、横浜市営地下鉄ブルーライン に次いで日本の地下鉄の中で3番目に長い。当路線東側区間の南砂町駅 付近 - 西船橋駅間は約14 kmという地下鉄としては長大な地上区間となっている(詳細は後節 参照)[ 2] 。この地上区間の一部の駅には待避設備 が設けられ、一部区間では最高速度100 km/hで日本の地下鉄路線初の快速運転 が行われている[ 10] [ 11] 。
西側で東日本旅客鉄道 (JR東日本)中央線(各駅停車) の中野 - 三鷹 間、東側でJR東日本総武線(各駅停車) の西船橋 - 津田沼 間及び東葉高速鉄道 東葉高速線 の西船橋 - 東葉勝田台 間と直通運転を行っており、車両は3社とも20 m級車両10両編成で統一されている。なお、西船橋 - 津田沼間の直通運転は朝夕ラッシュ時のみに限定され、それ以外の区間は終日直通運転が行われている(詳細は「直通運転 」の節を参照)。前述のように地下鉄路線の両端の駅からの直通先の鉄道会社が同じになっているのは日本では数少ないケースとなっている[ 注釈 2] 。
東西線は東京メトロ副都心線 以外の全ての東京の地下鉄 路線との接続駅を持つ。副都心線開業前は、全ての地下鉄路線と接続できていた。副都心線とは高田馬場駅 - 早稲田駅間で交差し、近傍に副都心線の西早稲田駅 があるが、乗換・接続駅には指定されていない。
東京の地下鉄で起点と終点である両端の駅が地上駅となっているのは当路線と日比谷線 、千代田線 、有楽町線 のみである。
建設費用
本路線の建設費用は総額1,136億5,000万円である(1971年7月時点)[ 12] 。内訳は土木関係費が735億5,275万円、電気関係費が70億5,630万3,000円、車両関係費が145億1,530万3,000円、その他が185億2,564万4,000円となっている[ 12] 。
建設史では、中野 - 東陽町間、東陽町 - 西船橋間に分けても記載されている[ 12] 。中野 - 東陽町間の建設費用の総額は820億円であり、内訳は土木関係費が527億6,967万5,000円、電気関係費が46億2,818万6,000円、車両関係費が91億8,062万9,000円、その他が154億2,151万円となっている[ 12] 。東陽町 - 西船橋の建設費用の総額は316億5,000万円で、内訳は土木関係費が207億8,307万5,000円、電気関係費が24億2,811万7,000円、車両関係費が53億3,467万4,000円、その他が31億413万4,000円となっている[ 12] 。
路線データ
管轄(事業種別):東京地下鉄(第一種鉄道事業者 )
路線距離(営業キロ ):30.8 km (うち地上部:13.8 km)[ 2]
軌間 :1,067 mm[ 2]
駅数:23駅(起終点駅含む)[ 2]
複線区間:全線
電化区間:全線(直流1500 V 架空電車線方式 )[ 2]
地上区間:中野駅付近(402 m[ 注釈 3] )・南砂町 - 西船橋間13.4 km[ 注釈 4] 。トータルの地上区間は13.8 km(厳密には13.777 km)となる。
地下区間:中野 - 南砂町間(中野駅はJRと共用で地上にある)
中野駅のすぐ東と南砂町駅 - 西葛西駅間(荒川鉄橋のすぐ西)に地下への入口がある。
閉塞方式 :速度制御式(新CS-ATC (デジタルCS-ATC[ 4] [ 5] [ 6] )
列車無線 方式:誘導無線 (IR) 方式
最高速度:快速100 km/h・普通100 km/h[ 2]
最高速度 100 km/hを出せるのは浦安 - 妙典間。なお、地下区間の最高速度は80 km/hである[ 14] 。
平均速度:快速49.4 km/h・普通43.7 km/h(2021年4月1日現在)[ 2]
表定速度 :快速41.8 km/h[ 注釈 5] ・普通35.5 km/h(2021年4月1日現在)[ 2]
全線所要時分:快速44分15秒・普通52分05秒(2021年4月1日現在)[ 2]
最急勾配:40 ‰ (西船橋方面行きA線・早稲田→神楽坂)[ 15] [ 3]
本線ではないが、東陽町駅から深川車両基地を結ぶ、深川車庫線にも40 ‰の勾配がある[ 16] [ 3] 。
車両基地 :深川検車区
工場:深川工場
沿線概況
地下区間
ほとんどの区間は複線構造の開削工法 で構築している[ 17] 。ただし、神楽坂駅 付近は地上道路の幅が狭いことから、駅は上下2層構造となっている[ 17] 。
飯田橋駅の中央本線 架道橋横断部、九段下 - 竹橋 - 大手町付近[ 注釈 6] 、茅場町 - 門前仲町間の隅田川 横断部(永代橋 下流)[ 注釈 7] と大島川西支川 の福島橋横断部、洲崎川 直下に構築する南砂町 付近は締切築島または道路覆工の下に構築したケーソン (潜函)を沈下させる、潜函工法を使用している[ 17] [ 18] 。門前仲町駅終端 - 木場駅 - 東陽町駅始端までの1,770.06 mの区間は、軟弱地盤 なことから、営団地下鉄では初めての全円断面の単線シールド工法 を使用した[ 19] [ 注釈 8] 。
東西線は茅場町 - 門前仲町間で隅田川をトンネルで横断するが(前述)、以東は海抜ゼロメートル地帯 を通ることから、浸水(洪水 )対策を施している[ 20] 。
霊岸橋 - 永代橋 間(茅場町駅から門前仲町駅方面に約430 m向かった地点)ではトンネルを急速に浅くさせて「峠 」を造り、その頂点にトンネルの全断面を閉鎖する「防水扉」(防水ゲート・新川防水扉)を設置[ 20] 。
隅田川以東の駅間トンネルならびに駅構内の換気は、歩道に通風口を設ける自然換気方式から地上用地に換気塔を設けて機械装置による機械換気方式に変更[ 20] 。
深川車庫及び南砂町駅付近のトンネル坑口周囲に東京湾平均海面 +4.5 mの防水壁を設置[ 20] 。
地上出入口を歩道より高くし、出入口に止水板および防水扉を設置(門前仲町 - 南砂町間の各駅)[ 20] 。
東陽町駅駅本屋(出口1番)の1階部の開口部にすべて防水扉を設置、駅間の換気塔にも防水扉を設置[ 20] 。
地上区間の高架下には葛西・行徳・西船橋の3か所の変電所 を設置しているが、床面は約1.5 mの高床構造とし、機器搬入口には防水扉を設置、点検用の出入口は高所から出入りする構造とした[ 20] 。
地上区間
南砂町付近 - 西船橋 間の地上区間は、東西線の大きな特色をなしている。地上区間を持つ日本国内の地下鉄路線は他にも多数存在し、また近年の直通運転の拡大により地上区間の走行距離が地下区間よりも長くなる列車は珍しくなくなったが、自社線内だけで全線の半分弱を占める約14 kmという長距離の地上区間を持つ地下鉄路線は東西線のみである[ 2] 。東西線の建設当初、現在の地上区間周辺は田畑であり、地上に路線を建設することもできたが、将来の市街地 化を予測して高架線構造の採用に至った[ 21] 。当時、周辺の私鉄では市街地における地上線と道路の平面交差 (踏切 )の高架化要望が多数あり、実現に難航していることを見れば、当然の流れであった[ 21] 。その後、元々田畑だった地上区間部分も人口流入により、現在のような住宅が密集する市街地となった[ 22] 。
東西線は元々中央線快速 と総武線 のバイパス としての役割を担って建設された[ 9] 。東西線開業によって総武線沿線から都心への所要時間は大幅に短縮され、東西線沿線のみならず起点の西船橋以遠のJR線からの中・長距離通勤客の流入で大変混雑するようになっている。さらに近年の線内利用者の増加に対応するため、以下の変化がもたらされた(各々の詳細については次章以降で詳述している)。
この地上区間を一部の駅にしか止まらない、快速運転の実施。地下鉄路線では日本で初めて実現した優等列車である。また一部の駅(葛西駅 、妙典駅 、原木中山駅 )には、快速の追い抜きのための待避設備を有する。
もともと駅間が長かった区間に新駅を設置[ 10] 。西葛西駅 、南行徳駅 、妙典駅 の新設。途中駅が新設された路線は他の地下鉄にも存在するが、3駅も新設されたのは東西線のみである。
東西線西船橋開通の3年後に東京駅 に乗り入れたJR総武快速線 と共に、千葉県北西部と東京都心を短絡する大動脈となり、競合する京成本線 の最混雑区間が、新三河島 - 日暮里 間から大神宮下 - 京成船橋 間に後退した[ 23] 。
そのほか、平均乗車距離の長さ、朝と昼の混雑率 の差、定期券 利用客率の高さのいずれもが、東京メトロの路線ではトップクラスにある。都心部を走る地下鉄でありながら、郊外 へ延びる通勤路線としての側面もある。
快速運転を考慮して、地上区間の最小曲線半径は500 mとなっている[ 15] 。線形 が良い地上区間は軌道改良も行われており、現在では60 kgレール が採用されている[ 24] 。これはJR線では新幹線 や主要幹線クラスに採用されるレールであり(一般的には50 kgNレールが主流)、大量高密度輸送と高速運転を支える要となっている。
地上区間の沿線風景
A線(西船橋方面行き)を基準とすると、南砂町 を出た列車は35 ‰ の勾配(連続573.5 m)を上って地上に出て、左にカーブしながら一気に高架へ駆け上がる。左右のマンション や工場 などの建造物群を抜けると、荒川中川橋梁 という長いトラス橋を渡る。なお、東京地下鉄 で荒川 を横断する路線は東西線と千代田線 だけである[ 注釈 9] 。橋の右隣(下流側)には清砂大橋 という歩道を備えた道路橋が架かる。橋を渡る最中、西船橋方面行き(A線)の列車の右手には葛西臨海公園 の大観覧車 を、中野方面行き(B線)の列車は東京スカイツリー 、晴天時には富士山 を見ることができる。首都高速中央環状線 をくぐった後に橋を渡り終え、直線で進み西葛西 となる。南砂町から西葛西までは東京地下鉄で最も駅間距離が長い区間 (2.7 km) である。
東西線の地下トンネル西船橋方出口(南砂町 付近、B線)。採光口を変化させることにより、徐々に明るく(あるいは暗く)なっていくような構造となっている。
西葛西を出ると、途中に左カーブを挟みつつマンション群の中を直線で進み、変電所 の脇を通ると地下鉄博物館 最寄の葛西 となる。葛西駅は中央2線を通過線とする東海道新幹線 静岡駅 や東北新幹線 宇都宮駅 のような構内を持ち、快速の通過待ちが行われている。葛西を出ると、徐々に一軒家が目立ち始める中を直線で進み、左カーブのあと旧江戸川 を第一江戸川橋梁で越え、東京都から千葉県に入る。右手(下流側)には東京ディズニーリゾート を、左手(上流側)には浦安橋と妙見島 を見ることができる。そのあと再び左にカーブし浦安 に入る。
浦安を出ると再び左カーブがあり、そのあと妙典手前まで長い直線となる。この直線区間には途中南行徳 と行徳 があり、左カーブの後は2駅を見通すことができる。列車は一軒家とマンションが混在する中を直線で進み、妙典 に至る。妙典は2面4線のホームと深川検車区行徳分室 への入出庫線を持ち、葛西と同じく快速の通過待ちが行われている。
妙典を出ると深川検車区行徳分室への入出庫線を乗り越え、B線との間隔が元に戻り江戸川 を第二江戸川橋梁で渡り、東京外環自動車道 と国道298号 を越える。勾配を下った後、左にカーブして原木中山 となる。原木中山は葛西と同じ構内配線を持つ。原木中山を出ると京葉道路 を乗り越えて右カーブとなり、林立するマンションや住宅地の中を抜け、迫ってくる総武本線の線路を左手に見ながら徐々に地平に降りて西船橋 となる。
第一江戸川橋梁
ランガー形式 複線桁、全長139 m、支間137.6 m、桁高最大19 m、主桁間隔8.5 m、鋼重965 t[ 25] 。
当時防潮堤 の改修計画があったことから橋台は防潮堤を避けているほか、橋脚を設ける位置が難しいことから、ひとまたぎで渡っている[ 25] 。
第二江戸川橋梁
中野側から第1プレートガーダー(下路式複線3主桁・延長36.0 m)、第1トラス - 第7トラスまでの7連ワーレントラス橋(第1・第7トラスは延長56.10 m、ほかは延長62.65 m)、第2プレートガーダー(下路式複線2主桁・延長36.0 m)から構成している[ 25] 。全長506.5 m、鋼重は1,541 tである[ 25] 。
沿革
開業までの沿革
現在の東西線の原型となる計画は、1917年 (大正6年)に内務省 に設置された「東京市内外交通調査委員会」の答申で示されたうちの一つで、「池袋 - 高田馬場 - 飯田橋 - 大手町 - 洲崎 」としていた。1920年 (大正9年)には東京鉄道[ 注釈 10] に特許が下付されたが、1923年 (大正12年)の関東大震災 の後に他の路線とともに工事未着手を理由に特許が抹消された。
東西線の路線免許は、東京23区 の前身にあたる東京市 が戦前 に計画した東京市営地下鉄6路線に遡(さかのぼ)り、大正14年内務省告示第56号 に基づいて1925年 (大正 14年)5月16日 に取得したものである[ 26] [ 27] 。このうち現在の東西線にあたるのは、当時の第5号線 「池袋駅 - 早稲田 - 飯田町 - 一ツ橋 - 東京駅 - 永代橋 - 洲崎 」に至る14.2 kmの路線免許である[ 27] [ 28] 。東京市は市営地下鉄建設の第1期計画として、第3号線渋谷 - 巣鴨 [ 注釈 11] 間と第5号線池袋 - 洲崎間の建設に着工しようとするが、東京市には多額の公債 があり、財政悪化を懸念した当時の内務省と大蔵省 の反対があり、許可を得ることができなかった[ 26] 。その後、特に建設計画は立てられず帝都高速度交通営団 (営団地下鉄)が設立され、東京市が所有していたすべての路線免許は1941年 (昭和16年)に営団地下鉄へ有償譲渡された[ 26] 。
一方、東陽町 - 西船橋に相当する区間には、戦前に東京成芝電気鉄道 による免許申請がなされ、1927年 (昭和2年)に交付されていた(起点の東陽町は「東平井」として記載、船橋市内は中山を経由)が、1940年 (昭和15年)に失効となった。
1946年 (昭和21年)1月より戦災復興院 での復興計画案の一つとして地下鉄建設を計画し、12月7日 に戦災復興院告示第252号「東京復興都市計画高速鉄道」 として5路線を告示した[ 27] 。このうちの都市計画第5号線 が「中野駅 - 高田馬場駅 - 富坂町 - 水道橋駅 - 神保町 - 東京駅 - 日本橋 - 茅場町 - 東陽町 」に至る15.7 kmの路線とされた[ 27] [ 29] 。この変更に伴い、営団地下鉄は免許済路線を告示第252号に合致させるため、1949年 (昭和24年)4月28日 に起業目論見変更認可を申請し、同年5月23日 に認可を受けた[ 30] 。
その後、都市交通審議会答申第1号 に基づいて、1957年 (昭和32年)6月17日 に告示された建設省告示第835号により、都市計画第5号線は現在の路線と同じ「中野駅 - 高田馬場駅 - 戸塚町 - 飯田橋駅 - 大手町 -日本橋 - 茅場町 - 門前仲町 - 東陽町に至る本線」と「大手町 - 神保町 - 水道橋駅 - 春日町 - 白山 - 巣鴨駅 - 西巣鴨 - 板橋駅 - 下板橋 に至る分岐線」(計24.2 km)に改訂された[ 27] [ 31] 。
これを受け、営団地下鉄は1957年(昭和32年)6月18日 に第5号線(東西線)の起業目論見変更認可申請と地方鉄道敷設免許の申請を行った[ 30] [ 注釈 12] 。起業目論見変更認可申請は、1949年(昭和24年)5月に起業目論見変更認可を受けていた免許経路のうち、高田馬場 - 東陽町間および大手町 - 巣鴨間の経路を1957年(昭和32年)に改訂した経路に改める申請であり、これは1957年(昭和32年)8月13日に認可された[ 30] 。前記に含まれない(免許を取得をしていない)本線の中野 - 高田馬場間および分岐線の巣鴨 - 下板橋間の路線免許は、運輸大臣 に免許申請を行った[ 30] 。同時に免許申請を行っていた第2号線(日比谷線 )と第4号線(荻窪線 )の路線免許は1958年 (昭和33年)3月1日に交付されたが、第5号線は建設の見込みが立つまで保留とされた[ 30] 。
1960年(昭和35年)4月、東京都交通局 から営団地下鉄に対して地下鉄5号線(東西線)中野 - 東陽町間および分岐線大手町 - 下板橋間の路線免許を交通局へ譲渡するよう申し入れがあった[ 30] 。これは都電 の廃止に伴い、余剰人員の配置転換をする必要性があったためである[ 30] 。
営団地下鉄は1960年(昭和35年)8月2日 、都市計画第5号線(東西線)中野 - 東陽町間および分岐線大手町 - 下板橋間の建設計画を決定し、1961年度(昭和36年度)から建設工事に着手することとした[ 32] 。営団地下鉄は、将来的に東西線と国鉄 中央線 間で相互直通運転することを計画し、1961年(昭和36年)8月に営団地下鉄総裁 と国鉄総裁の間で東西線と中央線間で相互直通運転することに合意した[ 30] 。このため、営団地下鉄は1961年(昭和36年)8月21日 (同年10月12日にも)に東西線の軌間 を1,435 mm(標準軌 )から直通運転に対応した1,067 mm(狭軌 )に変更する起業目論見変更認可申請、前述の路線免許の追加申請を行った[ 30] 。そして、1961年(昭和36年)11月13日 に起業目論見変更認可、11月14日 に中野 - 高田馬場間の路線免許の交付があった[ 30] 。
東西線の建設計画より先に、1956年 (昭和31年)に国鉄中央線の輸送力増強計画として、東京 - 三鷹間の複々線 化と中央・総武緩行線の東京乗り入れが計画されたが[ 33] 、用地買収が難航し、実現はできなかった[ 33] 。そのほか、市ケ谷 付近に短絡線を建設して中央・総武緩行線を東京乗り入れさせる計画も出されたが、計画中の東西線と中央・総武緩行線を乗り入れさせて都心に直通することが容易であるとの結論に至った[ 33] 。
都市交通審議会第6号答申
1962年 (昭和37年)6月8日 の都市交通審議会答申第6号 において、第5号線は「中野方面より高田馬場、飯田橋、大手町、茅場町及び東陽町の各方面を経て船橋方面に向かう路線」として示されたが、線形、経過地について引き続き検討するものとして、都市計画 は保留とされた[ 34] 。1964年 (昭和39年)1月31日 、都市交通審議会は第5号線の東陽町 - 西船橋間に至る路線の経過地を浦安・行徳とし、西船橋で総武線と接続するよう答申が改訂された[ 新聞 1] [ 35] 。営団地下鉄は同年3月27日 に西船橋方面への延伸を正式に決定、4月9日 に南砂町 - 山野町間(東陽町駅 - 西船橋駅間)の路線免許を申請し[ 35] 、翌1965年 (昭和40年)6月7日 には同区間の都市計画を決定、6月9日 に路線免許の交付を受けた[ 36] 。このうち、中野 - 西船橋間は東西線として順次開業した。
この第6号答申によって、第5号線の分岐線(大手町 - 下板橋 間)は都営地下鉄 (東京都交通局 )6号線(→三田線) の一部として切り離された[ 34] 。1964年(昭和39年)2月7日 に運輸省 からの指示により、第6号線は正式に東京都が建設を行うこととし、営団地下鉄が所有していた大手町 - 巣鴨間の路線免許は東京都に譲渡すること、営団地下鉄は免許申請中の第5号分岐線の巣鴨 - 下板橋間の路線免許を取り下げることとされた[ 37] 。大手町 - 巣鴨間の路線免許は、東京都(交通局 )から営団地下鉄に567万4,250円の支払いを受けることで譲渡した[ 37] 。営団地下鉄は同年3月30日に第5号分岐線の免許申請は取り下げ、営団地下鉄から東京都への路線免許譲渡は同年12月18日に認可された[ 37] 。
東陽町 - 西船橋間の建設にあたり、成田国際空港周辺整備のための国の財政上の特別措置に関する法律 (成田財特法)による補助金のかさ上げの適用を受けている[ 38] 。
勝田台方面への延伸計画
その後1968年(昭和43年)4月の答申第10号 では、西船橋以東について東武野田線 方面に至る路線とされたが[ 39] 、1972年(昭和47年)3月の答申第15号 では「西船橋 - 新船橋 付近 - 飯山満 - 北習志野 - 八千代市 中央部 - 勝田台 」に改められた[ 40] 。営団地下鉄は1974年 (昭和49年)3月22日 、第5号線「営団勝田台線」西船橋 - 勝田台間(16.2 km)の延伸を正式に決定、同年3月30日 に路線免許を申請した[ 40] 。営団地下鉄の計画では1976年 (昭和51年)10月に建設工事に着手し、1979年 (昭和54年)10月の開業を予定、建設費用は955億円を見込んだ[ 40] 。東西線(西船橋以西)とは直通運転を行い、途中の北習志野駅のみ停車する快速列車の運転も予定していた[ 40] 。
営団地下鉄としては、第7号線(南北線 )や第13号線(副都心線 )の建設の必要性があったが、当時の東京周辺で最も人口の増加が激しかった船橋市 、八千代市 などが千葉県 とともに1973年 (昭和48年)5月に「営団地下鉄東西線建設促進協議会」を結成し、「営団勝田台線」の建設陳情 を営団地下鉄へ繰り返したことから、建設を決定したものである[ 41] 。しかし、建設に向けた手続きを進めるにあたり、特に沿線で競合関係となる京成電鉄 から死活問題であるとして反対があり、また営団地下鉄の担当区域を大きく外れる(帝都高速度交通営団法 第1条「帝都高速度交通営団ハ東京都ノ区ノ存スル区域及其ノ附近ニ於ケル交通機関ノ整備拡充…」)との意見があり、路線免許取得は難航した[ 41] 。
1980年 (昭和55年)7月19日 、運輸省 (当時)は次のような最終調整案をまとめ、地元に提示し了承を求めた[ 42] 。
建設主体は第三セクター とし、地元自治体、金融機関、関係鉄道事業者がこれに出資する
運営は京成電鉄に委託する
東西線と接続し、相互直通運転を行う
工事の施工は、日本鉄道建設公団 (現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構 )が行う
工事は、2段階に分けて施工する
最終的に、この案を基本として1981年 (昭和56年)9月1日 に東葉高速鉄道 が設立され、同社が勝田台線の建設・経営を行うことが決定した[ 42] 。そして、東葉高速鉄道が地方鉄道敷設免許を申請したため、営団地下鉄は1982年 (昭和57年)2月15日に勝田台線の路線免許申請を取り下げ、同年3月19日 に東葉高速鉄道に地方鉄道敷設免許が交付された[ 42] (以降は東葉高速鉄道の項目を参照)。
年表
運行形態
直通運転
以下の路線と相互直通運転 を行っている。
本節の解説では区間の区別のため中野駅 - 三鷹駅間を「中央線」、西船橋駅 - 津田沼駅間を「総武線」と記述する。
列車番号 の末尾アルファベットは東京地下鉄保有車両が「S」、JR東日本保有車両が「K」、東葉高速鉄道保有車両は「T」となっている。ただし、搭載している保安装置の関係上、JR東日本保有車両は東葉高速線、東葉高速鉄道保有車両はJR線への乗り入れを行うことができない。そのため、三鷹駅 - 東葉勝田台駅を直通する列車はメトロ車に限定される[ 注釈 16] 。また、2020年 (令和2年)3月14日 改正ダイヤでは、東京地下鉄保有車両の7本が東葉高速線内で、東葉高速鉄道保有車両の3本が東京地下鉄線内でそれぞれ運用終了・夜間留置 となる「外泊運用」が組まれている。
平日のラッシュ時は総武線 - 東西線 - 中央線(津田沼駅 - 東西線経由 - 三鷹駅間)という運行も行われる。東西線経由の方が距離が短い。なお、両端の駅から同一会社の、それも同一の運転系統との直通という例は極めて稀である[ 注釈 2] 。この経路による通過連絡運輸 の設定もある[ 注釈 17] 。
東京メトロ車については、中央・総武線、東葉高速線ともに直通可能だが、総武線津田沼駅から中野駅または中央線三鷹駅まで直通してきた列車が折り返し東葉高速線東葉勝田台行となる運用もあり、またその逆で東葉勝田台駅・八千代緑が丘駅発の列車が折り返し津田沼行となる運用も存在する。
平日の朝夕の直通のみ津田沼発三鷹行きと三鷹発津田沼行きには中央・総武線御茶ノ水経由と東西線経由の列車がある。
列車種別
東西線では以下の種別の列車が運転されている。停車駅は「#駅一覧 」を参照。
快速
日本では架線集電の地下鉄 として初の速達列車 である。東西線はJR東日本(当時は旧国鉄)中央・総武線(各駅停車)の混雑緩和を目的に建設され、乗客の移行を促すために地上区間である東陽町駅 - 西船橋駅間の途中駅(通過駅のうち南砂町駅は地下駅)を通過する「快速」を登場させた。
東陽町駅 - 西船橋駅間で速達運転を行い、中野駅 - 東陽町駅間は各駅に停車する[ 注釈 18] 。また、直通運転 する路線内では各駅に停車する。全列車が運行区間に東西線全区間を含んでおり、東西線の途中駅で折り返す快速列車は設定されていない。また、西船橋始発の列車も少ない。
なお、地上区間での認可最高速度は100 km/hで、これは地下鉄としては日本初、かつ現在も日本最速である。車両の設計最高速度は110 - 120 km/hである。
日中は中野駅 - 東葉勝田台駅間で1時間に4本(15分間隔)で運転されている。このため、この時間帯の運用は東京メトロ車と東葉高速車に限られる。また、日中の時間帯の東葉高速線はすべて快速となっているため、東葉高速線内の各駅から東西線の快速通過駅を利用する場合は、西船橋駅または浦安駅で各駅停車に乗り換える必要がある。また、平日朝・夕方以降については東西線内のみ運転の快速や中央・総武線(各駅停車)直通の三鷹駅・津田沼駅発着の快速も運転されており、この場合はJR車も運用されている。土休日は東葉高速線区間 - 中央線区間にのみ乗り入れる(総武線区間には乗り入れず、西船橋駅 - 三鷹駅間の設定もない)ため、JR車の三鷹駅直通運用はなく、東京メトロ車のみ三鷹駅まで直通する。なお、平日夕方と土休日朝において西船橋駅 - 中野駅間のJR車運用が少ないながら設定されている。津田沼直通運転時間帯は通勤快速と共に津田沼直通列車が優先される。
基本的に昼間帯は葛西駅で先を走る各駅停車を追い抜くが、朝、夕の一部は原木中山駅・妙典駅でも追い抜きを行っている。
かつては各駅停車の追い抜きは最高で2本までだったが、2017年3月の改正で、葛西駅・妙典駅・原木中山駅の3駅で各駅停車を追い抜く快速が1本設定された。また現行ダイヤでも、平日ダイヤ17時台に西船橋駅を発車する上りの快速1本は、原木中山駅、妙典駅(当駅始発)、葛西駅の3駅で各駅停車を追い抜く。
列車種別は基本的に赤色で表記される。
1969年に東西線で快速列車が導入された際には、停車パターンによって以下の3種類の呼称で区別された。ただし、これは内部の呼称とされ、公式には用いられていなかった。
A快速:東陽町駅 - 西船橋駅 間ノンストップの快速(1975年より旅客案内上では「浦安通過の快速」)。1969年運用開始、1996年終了。
B快速:上記区間で浦安駅 にのみ停車する快速(同「浦安停車の快速」)。1975年6月9日運用開始[ 58] 。
C快速:上記区間で、東陽町駅 - 浦安駅間は各駅に停車し、浦安駅 - 西船橋駅間ノンストップの快速。1986年11月1日運用開始[ 91] 。
1996年のダイヤ改正でA快速が廃止され、B快速が「快速」、C快速が「通勤快速」として正式に列車種別を分離した。
運行の変遷
1969年 (昭和44年)3月29日 の東陽町駅 - 西船橋駅間開業と同時に登場[ 56] 。当初は東陽町駅 - 西船橋駅間の途中駅はすべて通過だった(これは当時通過駅の周辺が農漁村地帯で人口が少なく、輸送需要の大半が西船橋以遠にあったからである)[ 56] 。
1975年 (昭和50年)6月9日 より、平日の日中と休日について浦安駅 にも停車させるようになった[ 58] 。
1986年 (昭和61年)11月1日 のダイヤ改正で浦安駅 - 中野駅間の各駅に停車する快速列車を設定[ 67] 。これは「C快速」と称される。
東陽町駅 - 西船橋駅間ノンストップの快速は「A快速」(平日ラッシュ時のみの運転)、その通過駅のうち浦安駅に停車する快速は「B快速」と呼ばれていた。
1996年 (平成8年)
3月16日 :ダイヤ改正によりすべての快速が浦安駅に停車するようになり、東陽町駅 - 西船橋駅間ノンストップのA快速は消滅[ 80] 。同時に浦安駅 - 中野駅間の各駅に停車するC快速に「通勤快速」の名称を与え、東陽町駅・浦安駅・西船橋駅の順に停車するB快速は「快速」として列車種別を分離する[ 80] 。ただし、種別分離後も通勤快速は平日朝ラッシュ時の片道のみの運転を現在に至るまで踏襲している。
4月27日 :東葉高速線 の開通により 、昼間時間帯の運転区間が中野駅 - 東葉勝田台駅 間になる。
1999年 (平成11年)12月4日 :東葉高速線内まで快速運転する列車として「東葉快速 」の運行を開始。
2005年 (平成17年)12月10日 :ダイヤ改正により平日・土曜・休日ともに快速の運転時間が拡大し、平日については西船橋方面は東陽町駅 24時00分発が最終の快速になった(それまでは東陽町駅21時42分発が最終の快速であった)。また、平日の朝方に通勤快速を2本増発した[ 報道 14] 。
2007年 (平成19年)3月19日 :平日朝の最混雑時間帯(約30分間)で中野方面の快速が通勤快速に変更された[ 報道 15] 。
2009年 (平成21年)3月16日:平日朝の西船橋発6時 - 9時10分発までの中野方面行きのすべての速達列車が通勤快速となった[ 報道 16] 。
2014年 (平成26年)3月15日 :東葉快速が廃止[ 報道 17] 。
通勤快速
平日朝西行(中野方面)のみの運転で、西船橋駅 - 浦安駅間で速達運転を行い、浦安駅 - 中野駅間は各駅に停車する。また、直通運転する路線内では各駅に停車する。快速と同様に全列車が運行区間に東西線全区間を含んでおり、東西線の途中駅で折り返す列車は設定されていない。
1986年(昭和61年)11月1日に快速の停車パターンの一つ(C快速)として登場したが[ 67] 、1996年(平成8年)3月16日より「通勤快速」という名称になる[ 80] 。C快速時代には専用の種別幕はなく、始発駅から南行徳駅を通過するまで快速、南行徳駅 - 浦安駅間を走行中に各駅停車(種別無表示)に変更していた。前述の通り、2007年以降はダイヤ改正の度に運転時間帯が拡大しており、2007年3月19日から平日朝の最混雑時間帯に運行されていた快速がすべて通勤快速に変更され、2009年3月16日からは西船橋発朝6時 - 9時10分までのすべての速達列車が通勤快速となった[ 報道 16] 。
中野方面行き快速と同様、通過駅がなくなる浦安駅 - 中野駅間での車両の種別表示はE231系以外、各駅停車表示となる。
車両によっては「通快」と略して表示される。「通勤快速」を英語で表記する際、その表現方法は統一されておらず、"Commuter Rapid"、"Commutation Rapid"、"Rapid Commuter"、"Com.Rapid"、と車両や駅ごとに異なる。種別は緑色とされることが多いが、全ての案内において統一されているわけではない。
各駅停車
一部の時間帯をのぞき、快速1本(朝のみ2本・通快含む)に対して2本であり、朝と夕方は3 - 5分間隔、日中は約5 - 8分間隔で運行されている。日中は1時間に8本のうち4本が中央線 に乗り入れて三鷹駅 - 西船橋駅間で運転、残りの4本が中野駅 - 西船橋駅間での運転となる。ラッシュ時には東葉高速線や総武線津田沼駅発着の列車も運行されるほか、九段下駅(着のみ)・東陽町駅・浦安駅(2019年3月18日以降発のみ新設)・妙典駅発着の列車もある。日中は快速に抜かれない列車もある反面、夕方に1本、葛西と妙典の2駅で快速に抜かれる列車もある。
東葉快速(廃止)
東西線だけでなく、東葉高速線でも速達運転を行う種別で、東陽町駅 - 東葉勝田台駅間で速達運転を行っていた。東西線内の停車駅は快速と同じ。廃止時点では平日の夕方に東葉勝田台行きのみ運行されていた。
車両や駅によっては「東快」と略して表示されていた。使用色、英語表示(TOYO Rapid、TOYO RAP.)も車両や駅ごとに異なっていた。
2014年 (平成26年)3月15日 のダイヤ改正で廃止され快速に変更された[ 報道 17] 。
日中の運行パターン
日中の各区間の1時間あたりの運行本数は下表のとおりである。
種別\駅名
三鷹駅
… 中央線 …
中野駅
… 東西線 …
西船橋駅
… 東葉高速線 …
東葉勝田台駅
備考
快速
4本
各駅停車
4本
西船橋行は葛西駅で快速の通過待ち
4本
中野行は葛西駅で快速の通過待ち
女性専用車
女性専用車
←西船橋・東葉勝田台・津田沼
中野・三鷹 →
女性専用車は津田沼・東葉勝田台→西船橋→大手町
東西線の女性専用車 は、2006年 11月20日 に乗り入れ先の総武線各駅停車 および東葉高速鉄道線 と同時に導入された[ 報道 6] 。
平日午前6時57分以降に西船橋駅 を発車する列車ならびに途中の妙典駅 始発を含めて、進行方向最前部車両である10号車が女性専用車となる。実施区間は、東葉勝田台駅 ・津田沼駅 →西船橋→大手町駅 までであり、大手町駅到着または9時をもって女性専用車の取り扱いを終了する[ 92] 。非常時やダイヤが大幅に乱れた場合などには女性専用車の実施を中止する[ 92] 。
設定当初は終着の中野駅まで女性専用車が設定されていたが、大手町駅での流動が影響したこともあり、導入してわずか1週間強にあたる2006年 11月29日 に設定区間を大手町駅までに短縮した[ 報道 6] 。
保安装置
右側がWS-ATC用の信号機 (2006年8月10日 / 西船橋駅)
開業当初東西線で使用していた自動列車制御装置 (ATC) は地上信号式 (WS ) で、原則として運転士が手動で制動(ブレーキ)を掛ける方式である。減速信号 (YG) 65 km/h、注意信号 (Y) 40 km/h、警戒信号 (YY) 25 km/hの速度制限が掛かる[ 93] 。通常の閉塞信号でも進行現示 (G) することがない信号機が多数存在した。減速信号は地上区間を中心に採用されていた[ 93] 。列車通過後の信号現示変化で、YG現示などが連続して表示される信号機もあった。東京地下鉄では日比谷線もこの方式であったが、両線とも現在車内信号式 (CS ) に変更されている。
ATC更新工事により、05系のうち車内信号非対応で登場した車両には改造工事が行われた。また5000系 と東葉1000形 は共に老朽化が進んでいることから新ATC対応化はせずに、東葉1000形は2006年 12月4日 に、5000系も翌2007年 3月17日 にそれぞれ全車両が引退した。さらに2006年11月より有楽町線から転属している07系 4編成にも、東西線の保安装置への改造が行われている。2006年10月中旬から2007年2月中旬頃までの終電後の夜間に、信号システム更新のための試運転が行われた。これにより首都圏で現在車内信号式を採用していない地下鉄は、都営地下鉄浅草線 のみとなった。
直通先の東葉高速線はWS-ATCを使用しており、直通車はWS-ATCが搭載されている。
さらに東陽町 - 西船橋間の各停車駅では停車予告音が採用されており、ブレーキを掛けても停車するまで連続して鳴る。東京メトロで停車予告音を使用しているのはこの区間のみである。
車両
自社車両
15000系 (2022年7月25日 行徳駅)
07系 (2022年7月17日 行徳駅)
05N系 (2022年7月25日 行徳駅) 05系のうち前面デザインが変更された第25編成からは05N系とも呼ばれる
05系B修工事車(6次車) (2022年7月25日 行徳駅)
05系B修工事車(4次車) (2022年7月25日 行徳駅)
05系 アルミ・リサイクルカー (2022年8月8日 行徳駅)
05系(未更新車)
(2022年7月25日
行徳駅 )
過去の自社車両
5000系 (1964年12月23日 - 2007年3月17日)
6000系 (1968年 - 1971年2月) - 千代田線に転属。試験運転のみ
8000系 (1987年11月 - 1988年12月) - 半蔵門線に転属
乗り入れ車両
東日本旅客鉄道 (JR東日本)
東葉高速鉄道
過去の乗り入れ車両
国鉄・JR東日本
東葉高速鉄道
1000形 (1996年4月27日 - 2006年12月4日) - 営団5000系を転籍・改造した車両
車両運用について
どの列車がどの会社所属の車両で運用されるかは列車番号 で判別できる。現在、列車番号末尾アルファベットの「S」が東京メトロ車両、「T」が東葉高速車両、「K」がJR車両となっている。列車番号は『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)などにより確認ができる。
快速・通勤快速はRのアルファベットが付与されているが(例えば東京メトロ車両による快速列車の場合SRという表示になる)、JR線へ直通する列車には(津田沼駅・三鷹駅発着問わず)Rのアルファベットは付与されていない。
利用状況
2017年度の1日平均輸送人員は1,450,000人 であり、日本の地下鉄 では最も輸送人員が多い[ 94] 。
近年の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度
最混雑区間輸送実績[ 95] [ 96] [ 97]
特記事項
A線(高田馬場 → 早稲田間)
B線(木場 → 門前仲町間)
運転本数:本
輸送力:人
輸送量:人
混雑率:%
運転本数:本
輸送力:人
輸送量:人
混雑率:%
1965年(昭和40年)
12
4,992
6,219
125
1970年(昭和45年)
23
23,232
47,050
208
1975年(昭和50年)
24
24,224
49,178
203
12
13,600
29,722
219
B線の最混雑区間は西船橋→東陽町間
1980年(昭和55年)
24
27,264
46,018
169
24
33,312
76,588
230
B線の最混雑区間を南砂町→東陽町間に変更
1985年(昭和60年)
24
27,264
44,931
165
27
37,584
83,042
221
1987年(昭和62年)
24
27,696
42,909
155
27
38,016
88,618
233
B線の最混雑区間を門前仲町→茅場町間に変更
1988年(昭和63年)
24
30,288
42,703
141
27
38,448
88,406
230
1989年3月19日、都営地下鉄新宿線全線開業
1989年(平成元年)
24
30,720
42,318
138
27
38,448
76,509
199
1990年3月10日、京葉線全線開業
1990年(平成0 2年)
24
32,880
43,909
134
27
38,448
75,256
196
1991年(平成0 3年)
24
32,780
46,548
142
27
38,448
76,274
198
1992年(平成0 4年)
24
34,176
52,959
155
27
38,448
78,456
204
1993年(平成0 5年)
24
34,176
52,874
155
27
38,448
78,402
204
1994年(平成0 6年)
24
34,176
51,992
152
27
38,448
76,973
200
1995年(平成0 7年)
24
34,176
50,808
149
27
38,448
75,552
197
1996年(平成0 8年)
24
34,176
49,797
146
27
38,448
77,008
200
1996年4月27日、東葉高速線全線開業
1997年(平成0 9年)
24
34,176
49,425
145
27
38,448
77,458
201
1998年(平成10年)
24
34,176
49,164
144
27
38,448
77,407
201
1999年(平成11年)
24
34,176
48,346
141
27
38,448
76,755
200
2000年(平成12年)
24
34,176
47,462
139
27
38,448
75,656
197
2000年12月12日、都営地下鉄大江戸線全線開業
2001年(平成13年)
24
34,176
27
38,448
76,056
198
B線の最混雑区間を木場→門前仲町間に変更[ 報道 18]
2002年(平成14年)
24
34,176
45,708
134
27
38,448
75,928
197
2003年(平成15年)
24
34,176
45,248
132
27
38,448
76,185
198
2004年(平成16年)
24
34,176
27
38,448
75,645
197
2005年(平成17年)
24
34,176
27
38,448
76,054
198
2006年(平成18年)
24
34,176
27
38,448
76,338
199
2007年(平成19年)
24
34,176
45,746
134
27
38,448
76,606
199
2008年(平成20年)
24
34,176
45,758
134
27
38,448
76,622
199
2009年(平成21年)
24
34,176
45,795
134
27
38,448
75,790
197
2010年(平成22年)
24
34,176
47,808
140
27
38,448
75,428
196
2011年(平成23年)
24
34,176
43,489
127
27
38,448
76,553
199
2012年(平成24年)
24
34,176
42,916
126
27
38,448
75,901
197
2013年(平成25年)
24
34,176
41,167
120
27
38,448
76,354
199
2014年(平成26年)
24
34,176
42,435
124
27
38,448
77,037
200
2015年(平成27年)
24
34,176
42,934
126
27
38,448
76,665
199
2016年(平成28年)
24
34,176
42,936
126
27
38,448
76,474
199
2017年(平成29年)
24
34,176
43,579
128
27
38,448
76,616
199
2018年(平成30年)
24
34,176
44,564
130
27
38,448
76,674
199
2019年(令和元年)
24
34,176
44,302
130
27
38,448
76,388
199
2020年(令和0 2年)
24
34,176
23,366
68
27
38,448
47,189
123
2021年(令和0 3年)
24
35,856
23,795
66
27
40,338
51,811
128
2022年(令和0 4年)
23
34,500
33,810
98
27
40,500
55,890
138
2023年(令和0 5年)
23
34,500
36,570
106
27
40,500
59,940
148
混雑率
部分開業状態であった1966年 (昭和 41年)10月12日 付の朝日新聞 が「相変らずガラ空き都心乗入れの地下鉄東西線」という見出しを掲載する時代もあったが、1970年代 に路線が延伸すると混雑率の上昇は顕著となった[ 98] 。
特に総武緩行線津田沼までの直通運転開始後は、東西線西船橋口の利用客の増加は極めて大きかった[ 58] 。このため、1969年 (昭和44年)8月25日 から、混雑率の低い各駅停車2本を間引き、西船橋駅最混雑時間帯の列車を7両編成から8両または9両編成化を行って、輸送力増強を図った[ 58] 。さらに東西線開業後は地上区間の各駅停車の利用客が急増したことから、1975年 (昭和50年)3月より朝ラッシュ時の各駅停車を10分間隔から5分間隔運転にした[ 58] 。
輸送力増強計画
1977年 (昭和52年)11月からは東西線向けとして8年ぶりに車両増備を行い、一部列車の10両編成運転を開始した[ 60] 。特に東陽町以東の地上区間(葛西 、浦安、行徳 地区)において、沿線開発による利用客の増加が著しいことから、西船橋→東陽町方面に向かう朝ラッシュ時最混雑時間帯(7:30 - 8:35)20本の列車を10両編成化することで、輸送力を約30%増強した[ 60] 。この1977年(昭和52年)時点の第1次輸送力増強計画には車両51両を新造し、約42億円を要した[ 60] 。
1979年 (昭和54年)には第2次輸送力増強計画を実施し、同年10月1日からは車両23両を増備して、西船橋から中野方面への朝ラッシュ時の1時間あたりの運転本数を21本(約2分50秒間隔)から24本(2分30秒間隔)に増発した[ 64] 。
1981年 (昭和56年)には第3次輸送力増強計画を実施し、同年10月1日からは車両59両を増備(12両は新造、47両は千代田線から転属)して、西船橋から中野方面への朝ラッシュ時の1時間あたりの運転本数を24本(2分30秒間隔)から27本(2分15秒間隔)に増発した[ 64] 。
第2次輸送力増強の費用は、車両23両の新造費用等で18億3,088万円であったが、第3次輸送力増強では車両基地の増線(行徳検車区 が発足)や変電所 設備の増強などを含み、総額は119億9,628万円の費用を要した[ 64] 。
このほか、営団地下鉄は1978年 (昭和53年)に「東西線輸送力増強対策研究会」を設置し、将来の輸送需要を予測して車両増備、車両基地・信号設備の増強のほか、日本橋駅 、茅場町駅 、西船橋駅 の改良工事が必要とされた[ 99] 。
銀座線 と交差する日本橋駅は、東西線からの乗り換え客が増加したことから、銀座線のホームを島式1面からA線(渋谷方面)専用ホームを増設し、従来ホームをB線(浅草方面)専用ホームとした[ 99] 。さらに連絡通路の拡幅と増設を行った[ 99] 。1981年 (昭和56年)4月に着工し、1985年 (昭和60年)7月に完成、工事費用は43億8,000万円であった[ 99] 。
日比谷線と交差する茅場町駅は、東西線からの乗り換え客が増加したことから、日比谷線とのコンコースを拡大、日比谷線のホームは26m にわたってホーム幅を5.5 mから7.8 mに拡大した[ 99] 。さらに連絡階段とエスカレーターを増設した[ 99] 。1981年(昭和56年)2月に着工し、1984年 (昭和59年)3月に完成、工事費用は15億9,700万円である[ 99] 。
西船橋駅は東西線開業時点で武蔵野線 の建設計画があり、駅上部に武蔵野線の高架線を支える柱が設置できるよう準備されていた[ 99] 。しかし、武蔵野線および京葉線は当初の貨物線 から旅客線となったため、京葉線の開業時には東西線への乗り換え客の増加が予想された。このため、東西線西船橋駅の中野方面行きホームを、約4 m拡幅し、駅施設および階段の拡幅を行った[ 99] 。1981年(昭和56年)11月に着工し、1985年(昭和60年)3月に完成、工事費用は13億9,800万円である[ 99] 。
1990年 (平成 2年)6月20日 には東西線の自社車両はすべて10両編成化された[ 73] 。
混雑緩和に向けた取り組み
背景
2010年代においてもなお、東西線の朝ラッシュ時混雑率は、JR・私鉄も含めた首都圏 の鉄道路線でもワーストクラスである。
2021年度の朝ラッシュ時 の最混雑区間はB線、木場 →門前仲町 間であり、ピーク時(7:50 - 8:50)の混雑率は128% である[ 報道 19] 。また、2019年度における同区間のピーク時混雑率は199% である[ 報道 1] 。
2017年より東京地下鉄公式サイトで公開された「朝ラッシュ時間帯の混雑状況について」では、木場駅を7:50 - 8:10頃に発車する列車が最も混雑する[ 100] 。車両中央部にあたる4号車と5号車は、他の車両と比較すると空いている。
1981年度から朝ラッシュ時のB線は毎時27本の高頻度運転がなされているが、これ以上の輸送力増強は困難である[ 注釈 19] 。1989年に都営地下鉄新宿線が、1990年に京葉線が当路線と並行する形で開業したことにより、1989年度に混雑率が200%程度まで緩和された。しかし、その後は輸送人員と混雑率が20年以上にわたって横ばい傾向となり、1999年度以降は東京の地下鉄 で最も混雑する路線となった[ 注釈 20] 。
快速通過駅である葛西駅 と西葛西駅 は他路線と接続しない単独駅でありながら1日平均乗降人員が10万人を越えており、朝ラッシュ時に限り運転される通勤快速は、これらの駅にも停車することで混雑の平準化を図っている。
2007年度の1日平均通過人員は、門前仲町 - 木場間が655,312人で最も多く、茅場町 - 門前仲町間が655,307人でこれに匹敵する。東京メトロ全線で1日平均通過人員が60万人を超える区間を有する路線は、当路線のみである。これらの区間をピークに、両端の区間に進むに連れて通過人員が減少する。西船橋方面は緩やかに減少し、千葉県との県境を跨ぐ葛西 - 浦安間が401,499人、原木中山 - 西船橋間が272,588人である。一方、中野方面は日本橋 - 茅場町間が624,603人であるが大手町 - 日本橋間が518,132人、竹橋 - 大手町間が395,616人であり、竹橋 - 茅場町間で20万人以上通過人員が減少する。その後は緩やかに減少し、高田馬場 - 早稲田間が300,010人であるが落合 - 高田馬場間が148,320人と半分程度まで減少し、中野 - 落合間が132,742人で最も少ない[ 101] 。
ダイヤ変更による混雑の均等化
こうした状況を受けて、2007年 3月18日 のダイヤ改正より朝ラッシュのピーク時間帯(西船橋発6:56 - 8:15)の「快速」が全列車「通勤快速」に変更された。これにより該当時間の全列車が浦安以西各駅停車となり、この時間帯の浦安→東陽町間の所要時間は、快速が8分、通勤快速と快速待避のない各停が11分、快速待避のある各停が13分であったが、全列車11分に統一された。この結果、各停への乗客の集中が緩和され、混雑の平準化が図られた。なお、対象の時間帯は元々ほとんどが通勤快速で、快速は東葉快速 1本のみであった。
混雑緩和キャンペーン
東西線では、混雑緩和・時差通勤を促進するため、以下のようなキャンペーンが実施されてきた。実施期間が冬期に限られていたのは、乗客が厚着することにより、ドア挟みの発生や乗降に時間が掛かりやすく、夏期に比べ遅延することが多いからである(いわゆる「着ぶくれ」)。
2007年 12月10日から2008年2月29日までの平日には「東西線 早起き通勤キャンペーン」が実施された。対象区間は東陽町 - 浦安間で、期間中の朝の指定時間帯内に同区間を含むPASMO またはSuica 通勤定期券(通学定期券は対象外)で対象区間内の駅に置かれた専用端末にタッチすると、1日1回の「早起き通勤回数」がカウントされ、20回以上の利用者に先着で三菱UFJニコス ギフトカード 1000円分、40回以上で2000円分が贈られるというものである[ 報道 20] 。
このキャンペーンは続編として通勤定期券だけでなく通学定期券も対象とした「東西線早起きキャンペーン」として2008年 12月1日から2009年2月27日までの平日にも実施された。この年から対象が原木中山 - 門前仲町間のいずれかの駅からの乗車で南砂町 - 茅場町間のいずれかを含むPASMOまたはSuica定期券となり、時間帯によってカウントされる早起き通勤回数が変わる(前半30分は3カウント、後半30分は1カウント)ように、賞品が贈られるカウント数が50以上に変更され、賞品も通勤者向きにTokyo Metro To Me CARDのメトロポイント、通学者向きにオリジナルグッズが追加された[ 報道 21] 。
2009年 12月1日から2010年2月26日までの平日にも同様のキャンペーンが実施された。このキャンペーンでは、通勤者向けの賞品がTokyo Metro To Me CARDのメトロポイントと三菱UFJニコスギフトカード、通学者向けの賞品が文具セットとなった。また、50カウント未満でも20カウント以上を記録した利用者すべてに粗品がプレゼントされるようになった[ 報道 22] 。
2010年 12月1日から2011年2月28日までの平日にも同様のキャンペーンが実施されるが、実施区間が西船橋 - 門前仲町間に拡大され、JR総武線 やJR武蔵野線 から東西線へ乗り換える乗客も参加しやすくなった[ 報道 23] 。
「東西線早起きキャンペーン」は以後も実施されており、2013年度から実施区間に東葉高速線が追加され、定期券以外の交通系ICカードでも参加可能になり[ 報道 24] 、2015年には初めて4月から7月までの期間にも実施された[ 報道 25] 。2017年9月25日からは土休日・年末年始をのぞく通年実施となった[ 報道 26] 。
2019年4月1日からは、「東西線早起きキャンペーン」に代わる混雑緩和を目的としたキャンペーンとして、メトロポイントクラブ(メトポ)を活用した「東西線オフピークプロジェクト」を開始した[ 報道 27] 。平日の朝ラッシュ時間帯を除く午前中に駅を出場または乗り換えると、入場時間に応じてポイント(メトポ)が進呈される(小児は、通常の半分のポイント進呈)。ただし、対象乗車駅は、東葉勝田台駅 - 門前仲町駅に限られる。事前にメトポに入会し参加登録したPASMOを必要とする。
ワイドドア車両の投入
営団時代の1991年 10月16日 から05系ワイドドア車 を導入したが[ 74] 、5編成の投入に留まった。
東京メトロは2009年度の事業計画の中で、東西線の混雑緩和策としてオールワイドドア車10両編成の15000系 を導入し、ラッシュ時間帯の列車に割り当てる方針を明らかにした。15000系は2010年から投入が開始され、同年5月7日から営業運転を開始した。そして、2011年度までに13編成130両が投入された[ 注釈 21] 。
さらなる混雑緩和策
東京メトロは2011年度事業計画の中で、上述のワイドドア車両再投入を含め、本格的に混雑緩和を行うため、ホームの拡幅や延伸、新たな線路やホームを増設することを明らかにした。具体的な計画は以下のものがあげられている[ 102] 。
2012年度に門前仲町駅のホーム拡幅、2016年 度に茅場町駅 のホーム延伸およびエスカレーターや階段の増設を行う。
列車増発を可能にし、混雑率を緩和するため、南砂町駅 のホーム・線路を増設し、2面3線の構造に改良する。これにより、後続列車が駅手前で待たずに交互発着できるようになる。
その後、2013年 12月2日のダイヤ改正で終電の運転区間を延長し、最終の東陽町行が妙典行に変更となった。
2015年度事業計画の中で、前記の計画に加え2019年 度を目途に九段下駅 の折り返し線 を改良し、B線の九段下止まりの列車をA線へ折り返す際にB線と平面交差せずに折り返しできるよう工事を行うことを明らかにした[ 103] 。
また、東京メトロが2016年3月28日に発表した、2016年度から2018年度までの3年間の中期経営計画『東京メトロプラン2018〜「安心の提供」と「成長への挑戦」〜』の中では、増発およびB修繕による予備車確保を目的に、2016年度にワイドドア車両が3編成増備されることが発表された[ 104] 。その増備車両として、15000系増備車が2017年上半期に導入されている[ 105] 。
2019年度から2021年度までの3年間の中期経営計画『東京メトロプラン2021』では、茅場町駅のホーム延伸、木場駅 のホーム拡幅など大規模改良に総額約1,200億円を使った輸送改善プロジェクトやオフピーク通勤通学の推進に取り組む事が記されている[ 106] 。
なお、新型コロナウイルス感染症の流行 によるリモートワーク や時差通勤 の普及により、輸送人員が減少したため、当初予定していた木場駅の駅改良工事の無期限延期や南砂町駅での一部計画の見直しなどを行っている[ 報道 28] 。
その他、有楽町線 (東京8号線)豊洲駅 - 住吉駅 間の延伸計画 を進めており、東西線とは東陽町駅で接続する予定である[ 報道 29] [ 報道 30] 。整備効果として東西線沿線から都心部への人流が分散されることにより、東西線の木場→門前仲町駅間での混雑率がピーク時1時間あたり約20%低減されると試算しており、東西線の混雑緩和に寄与するとしている[ 報道 30] 。2030年代半ばの開業を目指している[ 報道 29] [ 報道 30] 。
駅一覧
駅番号はA線方向(中野から西船橋の方向)に増加。
●: 停車、|↑: 通過、↑: 片方向のみ運転
普通(各駅停車)はすべての駅に停車するため省略する。
^ a b 大手町駅のJR東京駅乗り換え表示は東西線とJR各線との乗り継ぎに限る。なお、JRの車両の停車駅案内には大手町駅とJR東京駅との乗り換えは記載されていない。
発車メロディ
2015年5月から6月にかけて、従来のブザーに代わり向谷実 作曲・編曲の発車メロディ (発車サイン音)を導入した(JR管轄の中野駅を除く)[ 報道 11] [ 報道 12] 。九段下駅では爆風スランプ の「大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い 」、日本橋駅では民謡 「お江戸日本橋 」、それ以外の各駅ではA線(西船橋方面)で「A Day in the METRO」、B線(中野方面)で「Beyond the Metropolis」(いずれもオリジナル曲)を使用している。各駅のメロディはそれぞれ駅や地域の雰囲気に合わせた異なるものになっているが、原曲をもつ九段下駅と日本橋駅のメロディも含めて進行方向につなぐと1つの曲になるように制作されている[ 注釈 22] 。
この発車メロディの導入に合わせて、向谷が代表を務める音楽館 からCDアルバム 『東京メトロ東西線 発車メロディCollection 』が同年5月13日に発売されている。同アルバムには実際に使用されているメロディのオリジナル音源や、神保彰 ・矢堀孝一 ・宮崎隆睦 ら国内のトップミュージシャンが演奏に参加したアレンジバージョンなどが収録されている。
なお、これらとは別に2018年11月26日からは、放送装置が更新された車両より順次スイッチ 制作の車載メロディ の使用を開始している。曲はA線が「スカイブルー」(福嶋尚哉 作曲)、B線が「アゲハ蝶のワルツ」(塩塚博 作曲)である[ 107] 。
その他
営団地下鉄時代に車内に掲出していた路線図(メトロネットワーク)では、東西線は中央部を貫くように一直線で描かれていた。東京地下鉄となってからの自社車両では使われていないが、東葉高速鉄道の車両ではほぼ営団当時のものと同様の路線図(末端の西船橋駅からさらに東葉勝田台駅まで直線で延長したもの、かつ営団から東京地下鉄に改組後に開業した路線(副都心線 )や直通運転先(成田スカイアクセス線 )などを含めたもの)を掲出している。
車体帯のブルーは東義胤 運転部・車両部分掌理事(当時)の指示によりタバコ の「ハイライト 」の色から取られたという[ 108] 。そのため、当時の営団内ではラインカラーは「ハイライト・ブルー」と呼ばれていた[ 108] 。
南砂町駅 - 西葛西駅 間にある荒川中川橋梁 は1,236 mあり、日本の鉄道橋の長さでは上位に位置している。これは隣接している2つの川(荒川 ・中川 )を1つのトラス橋 で渡るためである。両端は河川上ではないがトラスが続いている。
現在、国土交通省 は新鉄道技術省令 の解釈基準で電車線の勾配を最大で35 ‰と規定しているが、西船橋方面行きA線の早稲田 → 神楽坂間には40 ‰の下り勾配が存在する[ 15] 。これは地上の道路幅が狭く、さらに道路が下り勾配となっているので、地下を通る東西線は上下構造のトンネルとするため、やむを得ずこのような線形となった[ 109] 。
かつて、東西線は東武野田線 と直通運転をする計画があった[ 110] 。上記の「開業までの沿革 」の節と「都市交通審議会答申第10号 」も参照。
かつて、高田馬場駅 から西武新宿線 への相互直通運転が東西線建設前に検討されたこともあったが[ 111] 、実現しなかった。2005年 には西武鉄道と東京地下鉄が、西武新宿線内から東西線高田馬場駅に連絡線を新設、相互乗り入れすることについての協議を始めることで合意。2007年 以降に都市鉄道等利便増進法 対象プロジェクト化、工期7年での建設を目指していた[ 112] 。その後、2010年 3月時点では、西武鉄道・東京地下鉄の両者とも乗り入れ計画はないとしていた[ 113] 。しかし、2020年 9月に行われた東洋経済新報 によるインタビューで西武鉄道 社長の喜多村樹美男は新宿線が西武新宿駅 止まりなので沿線から都心に向かう乗客からの不満の声が多いとした上で、「新宿線の都心乗り入れのために東京メトロ東西線乗り入れなどといった様々な選択肢を検討している」と語っており、相互乗り入れ計画を断念したわけでは無いことを示唆している[ 114] 。
西葛西駅 - 葛西駅間の高架下の遊休地を使って完全人工光型植物工場を開設し、レタス などの生産を行い、沿線のホテルやレストランに供給している[ 報道 34] [ 新聞 5] 。
脚注
注釈
^ 同様に東京の地下鉄で東京都外に管理駅を持つ例に都営新宿線 の本八幡駅 (千葉県)がある。
^ a b 日本の地下鉄では他に名古屋市営地下鉄鶴舞線 がある。こちらは同一路線ではないが両端とも同じ名古屋鉄道 の路線である犬山線 と豊田線 に毎日、終日直通している。
^ 付図「別図 東西線線路平面図及び縦断面図(中野・神楽坂間)」には、「中野駅は中野起点0 K291 M」・「隧道出口0 K693 M」とあり、中野駅中心から坑口までの地上区間は402 m である[ 13] 。
^ 付図「別図 東西線線路平面図及び縦断面図(東陽町・浦安間)」および「別図 東西線線路平面図及び縦断面図(浦安・西船橋間)」には、「南砂町駅は南砂町起点0 K690 M」・「坑口は1 K120 M」と書かれている[ 13] 。南砂町駅中心からトンネル坑口までは430 mである[ 13] 。一方、「西船橋駅は南砂町駅起点14 K495 M」と書かれている[ 13] 。南砂町駅付近のトンネル坑口から西船橋駅中心までの地上区間の距離は、正確には13.375 kmである。
^ 快速の表定速度の41.8 km/hは東京地下鉄と同じ大手私鉄 である相模鉄道 が本線 ・いずみ野線 の横浜 - 二俣川 - 湘南台 間で運転している快速 や、南海電気鉄道 が高野線 の難波 - 極楽橋 間で運転している一部の特急 「こうや 」及び快速急行 の表定速度に匹敵する。
^ 清水濠 - 竹橋駅 - 大手濠 - 永代通り地下(大手町駅手前)までは、竹橋駅の一部を除いた大部分が潜函工法で構成されている。
^ この区間は隅田川横断部9函の潜函に加え、取り付け部となる中野方に5函、西船橋方に2函の路下式潜函を沈設させており、計16函から構成される。
^ 営団地下鉄では丸ノ内線 国会議事堂前 - 赤坂見附間で半円型のルーフ・シールド工法を採用した実績がある。
^ 直通運転先を含めれば、日比谷線 と半蔵門線 、南北線 も荒川を横断する。
^ 都電 の前身で1906年から1911年まで東京の路面電車を経営していた東京鉄道とは別。
^ 現在(戦後)の都市計画第3号線(東京メトロ銀座線 )とは異なる。
^ 同時に第2号線(日比谷線)の北千住 - 南千住間・恵比寿 - 中目黒間および第4号線(荻窪線)新宿 - 荻窪間・中野坂上 - 方南町間の路線免許も申請した。
^ この段階では地上から車両を入れられず、竹橋近くに搬入口を設けて大型クレーン2台で吊り下ろした[ 46] 。また飯田橋 - 九段下間の側線部分に検修設備を設けて、簡易的な検修を行った[ 46] 。しかし車体や各種電装品はおろか、台車や車輪などを検修できる本格的な設備すらなかったため、営団が国鉄三鷹電車区を拡張してその一部を間借りの上で暫定的に借用していた飯田橋検車区三鷹出張所に回送することが可能になる中野開業時までの間は、東西線内での最高速度を40 km/hに抑えて運行されていた[ 47] 。この設備は深川検車区の開設まで用いられた[ 46] 。
^ 同年夏の冷房車は暫定使用の半蔵門線用8000系3編成のみ[ 69]
^ 1994年7月までに5000系の冷房改造を実施[ 78] 。未改造車は廃車。05系7次車まで竣工[ 79] 。
^ この制限は東西線のみであり、同様に両端で(ないしは分岐して)他の会社線への乗り入れのある東京都区内の地下鉄線(南北線・都営浅草線など)では両端などの乗り入れ先会社の車両も相互に地下鉄線を越えての乗り入れに対応している。ただし、かつて東急東横線に乗り入れていた頃の日比谷線では、東武 - メトロ(営団) - 東急の3社直通運用はメトロ車(営団車)も含めて実施しておらず、千代田線でもJR東日本(国鉄) - メトロ(営団) - 小田急の3社直通運用は2016年までメトロ(営団)車のみでしか設定していなかった。
^ 三鷹駅 - 中野駅 -(東西線)- 西船橋駅 -(総武本線)- 下総中山駅 ・西船橋駅 - 津田沼駅 -(総武本線)- 千葉駅 ・西船橋駅 -(京葉線 二俣支線〔武蔵野線 〕)- 南船橋駅 -(京葉線)- 千葉みなと駅 。このほか、定期券のみだが三鷹駅 - 中野駅 -(東西線)- 高田馬場駅 -(山手線 )- 田端駅 ・池袋駅 -(赤羽線 〔埼京線 〕)- 赤羽駅 -(東北本線支線〔埼京線〕)- 浮間舟渡駅 間の通過連絡運輸設定もある。
^ 東西線の快速運転は郊外区間に限られているが、のちに副都心線 と都営新宿線 が全線で急行運転を実施している。
^ 東京メトロとしては南砂町駅の2面3線化や九段下駅の折り返し線整備の計画を持ち、設備面の改良を行う予定であるが、改良完了は2027年度と見込まれている。
^ 1998年度以前は千代田線 が東京の地下鉄で最も混雑する路線であり、混雑率が210%を越えていた。
^ 同時期に半蔵門線・東急田園都市線 では混雑対策として6ドア車を10両編成中2両から3両に増加させている(後にホームドア設置のため6ドア車廃止)。
^ 向谷は同様の手法を京阪電気鉄道 や泉北高速鉄道 の発車メロディでも用いている(京阪は快速特急用と特急用、一般列車用で分かれている)[ 報道 31] [ 報道 32] [ 報道 33] 。
出典
報道発表資料
新聞記事
参考文献
関連項目
外部リンク