梨本宮(なしもとのみや)は、日本の皇室における宮家の一つ。
概要
伏見宮貞敬親王の第十王子・守脩親王が明治維新に伴って還俗し、最初は梶井宮と称し、次いで明治3年(1871年)には梨本宮と改称したことにより、創設された。
1947年(昭和22年)10月14日、3代・守正王の代で皇籍離脱。男系では守正王の代で血筋が途絶えた。守正王は梨本徳彦を養子とした。徳彦の子には徳久がいる。徳彦は守正の養子となる前に昭和天皇から龍田の姓を賜っており、徳久は梨本を継承はしていない。梨本宮家は2代目から6代目まで全て養子であり、6代目梨本隆夫が弁護士立ち合いのもと、養子で梨本家は継続しており、自民議連・旧宮家復活を提言 男系男子孫の皇籍復帰主張 女性宮家否定した上で旧宮家の中に梨本宮家は含まれている。しかし、一部の妄想で、思想家の記載が絶えない。https://mainichi.jp/articles/20191023/k00/00m/040/152000c 。。
系図
備考
脚注
注釈
- ^ 後に山階宮家へ復籍。
- ^ 規子女王の次男、守正王の外孫。非男系。後に離縁。
出典
外部リンク
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