西川 慶二(にしかわ けいじ、1961年12月6日 - 2022年1月17日)は将棋棋士。棋士番号151。東京都品川区出身。賀集正三七段門下。息子の西川和宏も棋士。
棋歴
1981年11月に四段に昇段しプロ入り。
1983年度、2期目の順位戦となる第42期順位戦C級2組で8勝2敗の成績を挙げてC級1組に昇級。
1986年度に入ると、第12期棋王戦で本戦入り。本戦でも初戦でA級に昇級したばかりの南芳一に勝つ活躍を見せた。また、第28期王位戦でも予選を勝ち抜き、挑戦者決定リーグでも森雞二、米長邦雄に勝つなど活躍した。
1988年度、4組からのスタートとなった第1期竜王戦で3組昇級を決める。そして、第47期順位戦でも、C級1組5期目にしてB級2組昇級を決めた。
1990年度、第3期竜王戦3組で準優勝を果たし、2組昇級と本戦出場を決めた。2組には第7期までの4期在籍した。
王座戦は第47期(1998年度)に、棋王戦では第28期(2002年度)、32期(2006年度)にそれぞれ本戦入りを果たした。順位戦B級2組では第53期(1994年度)、第58期(1999年度)で降級点を取ることがあったが(第53期分は第55期の勝ち越しで消去)、それ以外は大きく勝ち越したり負け越したりしない状態が続いた。竜王戦も、第8期(1994/95年)より3組から昇降級しない状態が続いた。
2006年度、第65期順位戦B級2組で2つ目の降級点を取り、18期在籍したB級2組から降級した。2008年度、第21期竜王戦でも16期在籍した3組から降格。以降、4組、5組でも連続で降級し、第24期以降は6組在籍となった。
以降、順位戦は、C級1組で第68期(2009年度)、第69期(2010年度)に連続降級点を喫しC級2組に降格。C級2組でも第71期(2012年度)、第72期(2013年度)で降級点。
2014年度、第73期順位戦C級2組で1勝9敗に終わり、降級点3となりフリークラスに編入となった。
2019年1月17日、病気療養を理由に2018年12月10日にさかのぼって、2019年3月31日まで休場することが発表された[1]。その後も休場期間の延長が繰り返され[2][3][4][5]、公式戦への復帰がないまま、フリークラス在籍最終年度の2021年6月30日付で現役を引退した[6]。(連盟HPでは病気の為ともある)
2022年1月17日、誤嚥により神戸市内の病院で死去[7][8]。60歳没。4日後の21日、息子の西川和宏は、「今の生活に落ち着きかけたところ突然のことでした」と、急逝であったことを明かし、また、ファンや関係者に生前お世話になった感謝の気持ちも伝えた[9]。
弟子
棋士となった弟子
名前 |
四段昇段日 |
段位、主な活躍
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西川和宏 |
2008年10月1日
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六段
|
(2016年11月10日現在)
- 2008年前期の三段リーグで息子の和宏がプロ入りを決め、通算6例目の親子プロ棋士、戦後初の現役親子プロ棋士となった。
- 「囲碁・将棋チャンネル」の「将棋まるごと90分」に出演した際、(四段に昇段した直後の)和宏のインタビュー動画や少年時代の写真も公開された。インタビュー動画では和宏に「お酒を飲み過ぎないように」と「警告」を受ける一幕もあった。
- 和宏が第58期王座戦一次予選で矢内理絵子と対局した際、終局直後に「矢内さんの手(次の一手)は当たるのに、息子の手は当たらない。」と当日控え室で検討していた中川大輔の携帯電話へ吐露した。
- 2022年の死後、和宏は、「私が将棋界に入るときから師匠として指導されましたが引退してからは優しい父でした」と振り返った[9]。
棋風
昇段履歴
- 1975年00月00日 : 5級 = 奨励会入会
- 1978年00月00日 : 初段
- 1981年11月03日 : 四段 = プロ入り
- 1984年04月01日 : 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1988年05月27日 : 六段(勝数規定 /五段昇段後公式戦120勝)
- 1997年09月24日 : 七段(勝数規定 /六段昇段後公式戦150勝)
- 2018年04月01日 : 八段(フリークラス規定)[10]
- 2021年06月30日 : 引退(通算成績 503勝610敗、対局数1113局、勝率0.452)[11]
主な成績
在籍クラス
年度別成績
| この節の 加筆が望まれています。 (2024年9月) |
脚注
関連項目
外部リンク