F4F ワイルドキャット
飛行するF4F-3 3987号機 (第2戦闘飛行隊所属、1942年 2月 撮影)
F4F ワイルドキャット (Grumman F4F Wildcat )は、アメリカ合衆国 のグラマン が開発し、第二次世界大戦 中に使用された艦上戦闘機 である。愛称の「ワイルドキャット (Wildcat)」は山猫 ・野良猫 の意味であるが、スラングでは意地悪女という意味も持つ。グラマンではF4F以降、艦上戦闘機に『○○キャット』という愛称を採用している。
グラマンだけではなくジェネラル・モーターズ 社(GM)でも「FM ワイルドキャット 」として製造された。生産機数自体はGM社製の機体の方が多い[ 注釈 1] 。また、英海軍航空隊でも「マートレット (Martlet、イワツバメ の意)」として運用された。
操縦経験のあるエリック・ブラウン は、第二次世界大戦初期に使用された戦闘機としては最優秀の一つと評価している[ 2] 。
概要
空母エンタープライズ 艦上のF4F
1942年撮影のF4F
アメリカ海軍は1936年 の新型艦上戦闘機の開発を、ブルースター 社、セヴァスキー 社とともにグラマン社にも競争試作を指示した。グラマン社はこれまでFF 、F2F 、F3F といずれも複葉機 の艦上戦闘機を海軍に納入しており、本機の最初の設計案(XF4F-1)も複葉機であった。しかしそれでは他社の案に劣っていたことから、単葉機 (XF4F-2)として再設計され選定試験に応じた。
採用されたのはブルースター社の提案したF2Aバッファロー であり、本機は落選した。しかしアメリカ海軍は本機にも興味を持ち、開発を続行させた。F2Aはブルースター社の生産能力の低さにより配備が進まず、それに代わって本機が大量に生産・配備されることとなった。
第二次世界大戦の開戦時アメリカ海軍 の主力艦上戦闘機として日本海軍の零戦 と戦った。防御力よりも運動性能を重視した零戦とは対照的に、「グラマン鉄工所 (Grumman Ironworks)」と呼ばれる強固な構造と生産性を重視したグラマンの設計思想[ 3] を体現した機体であり、後継機のF6Fヘルキャット が配備される大戦中盤まで主力として使用された。
各型
F4F-3
最初のロットは1940年12月5日に部隊配備、「レンジャー 」と「ワスプ 」に配備されたほか、海兵隊にもまわされている。しかし、実際に飛ばしてみるといくつかの問題点が残っており、パイロットの死亡事故が発生した。1941年11月には欠陥箇所を改良、エンジンを1段過給器付のP&W製R-1830-90に換装した型がF4F-3Aとして採用された。生産機数は3A型の95機を含めて288機。
なお数機が偵察機に改造され、F4F-3Pとなったほか、3A型を改造したF4F-3APも1機が製作されたとされる。
F4F-4
空母ロング・アイランド の格納庫に主翼を折り畳まれた状態で保管されるF4F-4。
この型から折り畳み翼を採用した。それまでのF4F-3などの型は翼が固定式であったために空母上での取り扱いに難があった上、珊瑚海海戦 の教訓から空母に戦闘機の配備数を増やすという目標があったのだが、F4F-3では数を載せる上でも問題となっていた。しかし、それらの問題はこの型で解消された[ 注釈 2] 。
なお、当初油圧 による折り畳み機構を考えていたが、重量の問題で採用されず、手動式となっている。順次F4F-3Aと交代され、ミッドウェー海戦 時にはほぼ完了、VMF-221のみが未だF4F-3型を使用していたが、1942年8月までにはF4F-4と交代している。ただし重量増加のため、甲板が狭く短い護衛空母 には適さないとされ、FM-2型の開発につながった。また、このF4F-4は中高度向けの2段過給器付エンジンに換装し、1200hpの出力を得ているほか、機銃 を2挺増やして12.7mm機銃6挺としている。ただし1挺あたりの弾数は450発から240発に低下、反動による機体の振動が増して、乗員からの評判は良くなかった。
F4F-7
1941年12月31日、アメリカ海軍はF4F-7を初飛行させた。これは偵察機として武装、防弾キャノピー、座席背部装甲板を排除して徹底的な軽量化を実行し、それで浮いた重量を燃料の増加に当て(そのため総重量は戦闘機型よりも大きい)、航続距離3700マイル、最大滞空時間25時間という数値を目指したものである。偵察用カメラを搭載し、いざというときには燃料を投棄して身軽になることも可能であった。
21機作られ、残りの発注は普通の戦闘機型として生産された。ガダルカナル 方面で2機使用されたとも言われるが定かではない。
FM-1
FM-1の操縦席
1942年春、海軍からの指示でグラマン 社はF6F 量産に集中するため、F4FとTBF の生産中止を決定、生産ラインの切り替えが始められた。そしてゼネラルモーターズ 社 (GM) が東海岸 の5つの自動車工場を統合して作った、イースタン・エアクラフト (航空事業部)のリンデン工場 に生産ラインが移された。GM で作られたワイルドキャットは型式名が「FM」となり、最初の量産型であるFM-1はF4F-4をほぼコピーしたもので、細部を工場の事情に合わせ手直しした程度であった。
本型は1942年4月18日に1800機が発注され、8月31日には量産初号機が初飛行した。そして翌年までに830機が生産された後、FM-2に切り替えられた。
FM-2
狭く小さい護衛空母 の甲板上では、重量面でF4F-4は運用が難しかった。さらに後継機であるF6F 、F4U はより大重量(特にF4Uは艦上戦闘機としては当時もっとも重かった)で、アメリカ海軍は1942年、F4Fの軽量型を発注する。これに応えてグラマン社はXF4F-8を開発。これは軽い鍛造 製シリンダー を持つ1段2速過給器 付R-1820 -56サイクロンエンジンを搭載し、出力が150hp増加したにもかかわらず、重量は102kg減少していた。これにより上昇力や運動性が向上したが、過給器が2段から1段に変更されたため中高度以上での性能は低下、低空支援戦闘機としての性格を強めている。また再び機銃が4挺に戻されている(弾数は1挺あたり280発に増加しているが、同じ4挺搭載のF4F-3型よりも少なく、重量は減少している)ほか、エンジンカウル、フラップなど、徹底した設計の見直しが図られている。
試作型のXF4F-8型は1942年11月8日に初飛行、上記のとおりFM-2としてゼネラルモータースが生産し、主に護衛空母に搭載され、上陸作戦における低空支援任務や特攻機の迎撃に活躍した。本型では従来型にあった着艦時の癖がなくなり、狭い護衛空母への着艦が多い乗員には好評であった。
この型はレイテ沖海戦 にも参加したほか、その後の対日戦でも活躍、エースパイロット 4人を輩出している。さらにこの軽量な機体は、低高度域ではF6F、F4U、P-47 、さらには最優秀機の誉れも高いP-51 に対しても大きく劣るものではないと評価された。GM の生産力が遺憾なく発揮された結果、生産数は4127機となり、F4Fシリーズの中では最も多い。
諸外国のF4F
イギリス海軍のマートレットMk.II(またはIII)
F4Fはアメリカ海軍のみならず海外からも注目され、フランス海軍 はF4F-3(社内呼称G-36A)を81機発注した。しかし納品前にフランス はドイツ に降伏したため、イギリス に供与され「マートレットMk.I」(Martlet:イワツバメ の意)として使用された[ 注釈 3] 。艦載戦闘機事情が切迫していた[ 注釈 4] イギリス海軍は、さらに「マートレットMk.II」として再発注した。マートレットMk.IIは、アメリカ海軍のものよりも若干手狭であるイギリス空母での運用を考慮して、アメリカ軍向けのF4F-4よりも早く主翼の折り畳み機構が要求されている。ただしエンジンの重量増に加え、機銃を2挺増設したため、自重が450kg増加している。
イギリス海軍は折り畳み翼への変更ための納品遅延を了承、本格的に納品されたのは1941年半ばになってからであった。納品された機体は護衛空母「オーダシティ 」に艦載され、船団護衛に活躍、Uボート 撃沈やFw200 撃墜などの戦果を残した。これにより、潜水艦 に対する護衛空母の有効性が証明され、その後の大量配備につながった。また、空母「イラストリアス 」にも搭載され、1942年5月に行われたアイアンクラッド作戦 (マダガスカル占領作戦)に投入され、ヴィシー政権 フランス軍と戦闘を行った。
フランスとイギリス以外には、ギリシア からも30機の発注が1940年11月にあったが、こちらも輸送中の1941年4月にギリシアが降伏。機体は輸送の途上で英領ジブラルタル にあったため、マートレットMk.IIIとしてイギリスがそのまま運用した。この機体はF4F-3Aと同等である。
また、イギリスは武器供与協定に基づき、GR-1820-G250A-3エンジンを装備したマートレットMk.IVを受け取っている。この型はアメリカでF4F-4Bという型式があるように、一応の別型である。ただしアメリカ軍は使用していない。
さらに、イギリスはFM-1型312機を供与されており、これをマートレットMk.Vとして採用している。この型は、1944年1月にワイルドキャットMk.IVに名称変更、番号が変わっているため注意が必要である。
このほか、イギリスはFM-2型を340機供与され、ワイルドキャットMk.VIとして採用した。
活躍
ガタルカナル島のヘンダーソン飛行場に進出したF4F。
太平洋戦争初期において、珊瑚海海戦 、ミッドウェー海戦 などに参加した。
太平洋戦争緒戦においては「エンタープライズ 」などに配備されていたほか、同艦がウェーク島 に輸送した12機のF4F(VMF-211)のうち、日本軍の攻撃から生き残った4機のF4F(一説には5機)が反撃を行い、駆逐艦 「如月 」を撃沈するなど、圧倒的な兵力で押し寄せた日本軍に対して奮戦した事例がある。
1942年8月7日、ガダルカナルにおいてジェームズ・ジュリアン・サザーランド のF4Fは日本軍機を1機撃墜後に一式陸攻 からの攻撃で被弾、さらに3機の零戦(柿本円次、羽藤一志、山崎市郎平)に攻撃され機銃が故障するも撃墜はされず坂井三郎 も加勢に来たが火災発生により脱出、生還してパイロットとして復帰した後に4機撃墜してエース・パイロット となった。
F4Fは当初から強固な構造の機体に自動防漏機能を備えた燃料タンクを搭載するなど防御力を重視した設計であったが、配備後にもパイロットの意見を取り入れ、改修で防弾ガラスや操縦席後部の防弾鋼板を追加したことにより「グラマン鉄工所(Grumman Iron Work)」を体現する機体となった。改修後のF4Fに対しては零戦の7.7mm機銃では効果が薄く、弾数の少ない20mm機銃が必要となったが、20mm機銃の命中率を上げるには高い技量を要する近接射撃によるため、F4Fを撃墜するには一定の技量が必要とされた。坂井はサザーランド機へ確実に命中させるため限界まで接近した際、オーバーシュートしている[ 注釈 5] 。
運動性能を重視した日本軍機に比べ格闘性能は劣っていたが、設計段階から強度を重視した機体であるため急降下性能は零戦よりも優れていた。
零戦最大の弱点は「高速飛行時の運動性の低下」及び「急降下性能の低さ」であり[ 注釈 6] これを見抜いたアメリカ軍は「三つのネバー(Never)」と呼ばれる勧告[ 注釈 7] を、零戦との空戦が予想される全てのパイロットに対して行った。F4Fの急降下性能は零戦より優れていたことから防御力と合わせて背後を取られても即撃墜の可能性は低いため、落ち着いて急降下に移ることが可能であった。アクタン・ゼロ により零戦の解析が進むとサッチウィーブ やロッテ戦術 などの編隊による攻撃を徹底したこともあり、キルレシオが改善されていった。
ドイツ空軍との戦いにおいても、北アフリカ戦線において、英軍の「マートレット」を含め活躍し、海上では護衛空母 に搭載されて空中警戒や哨戒任務に使われた。ドイツの戦闘機は概ね高翼面荷重の高速機であり、対日戦とは逆に翼面荷重の低さを生かした格闘戦で対抗した。また高火力のドイツ軍機に対しても防御力の高さは効果を発揮した。
零戦程ではないとしても、1941年時点の艦上戦闘機の中では航続距離が長い部類であり、長時間行動できたことは大きな特長であった。
派生型
XF4F-1
最初の設計案、複葉機。プランのみ
XF4F-2
単葉機として再設計。1機のみ。P&W製R-1830-76に換装した機体(XF4F-3)が正式採用となる。
F4F-3
最初の量産型。R-1830-76搭載(1200hp)。アメリカ海軍のほか、フランスからも受注あり。285機(3A型の95機を含む)生産。
F4F-3A
P&W製R-1830-90に換装した機体。
F4F-3P
偵察機型。最低1機は作られている。
テスト中のF4F-3S
F4F-3S ワイルドキャットフィッシュ
二式水上戦闘機 に対抗したとされる水上機型の非公式社内呼称。2機のみ製作。1943年2月飛行。
F4F-4
P&W製R-1830-86を搭載(1200hp)。折り畳み翼装備。1942年より登場。機銃を4門から6門に増強。1169機生産
F4F-4A
P&W製R-1830-90エンジン搭載。生産はされていないと考えられる
F4F-4B
マートレットMk.IVの米国呼称。ただし、米国では使用されていない。
F4F-4P
偵察機型。改装機数は最低でも1機以上とされる。
XF4F-5
R-1820-54などのエンジンを搭載したテスト機。
F4F-6
P&W製R-1830-90を搭載したF4F-3。F4F-3Aとして生産された。
F4F-7
偵察機型。P&W製R-1830-86エンジンを搭載。徹底した軽量化により燃料搭載量が増加。21機程度の生産とされる。
XF4F-8
FM-2の元となったグラマン社設計機。
FM-1
ゼネラルモータース社で生産されたF4F-4。マートレット含めて合計1060機が生産
FM-2
グラマン社が設計していたXF4F-8案(エンジンや方向舵などを改良)を基にゼネラルモータース社が生産したもの。ライトR-1820-56 サイクロン9エンジン搭載(1350hp)。軽量化もされている。イギリス給与機合わせて4127機が生産。
マートレットMk.I
F4F-3のイギリス海軍での名称。元フランス海軍の発注機、主翼折り畳み機能無し。
マートレットMk.II
P&W製R-1830-S3C4-Gエンジン搭載、主翼折り畳み機能付き。武装はF4F-4に準拠。
マートレットMk.III
基本はF4F-3Aに準ずる。主翼折り畳み機能無し。ギリシャ の発注機であったが、ギリシア降伏時にはジブラルタル にあり、そのままイギリスが使用。
マートレットMk.IV
R-1820-40BおよびGR-1820-G250A-3を搭載した英国給与機。
マートレットMk.V
FM-1の英国給与型。312機が給与されている。1944年1月にワイルドキャットMk.IVに改称。
ワイルドキャットMk.IV
1944年1月にマートレットMk.Vが改称したもの。
ワイルドキャットMk.VI
FM-2のイギリス給与機。340機が給与。
XF2M-1
ゼネラルモーターズ(イースタン社)が設計したXR-1820-70エンジン搭載型。採用されず。
諸元
機体名
F4F-3[ 4]
F4F-4[ 5]
全長
28ft 11in (8.81m)
28ft 9.375in (8.77m)
全幅
38ft (11.58m)
38ft (11.58m) → 14ft 4in (4.37m) ※主翼折り畳み時
全高
11ft 11in (3.63m)
11ft 4in (3.45m)
翼面積
260ft² (24.15m²)
空虚重量
5,381lbs (2,441kg)
5,895lbs (2,674kg)
総重量
7,556lbs (3,427kg)
7,975lbs (3,617kg)
翼面荷重
141.90kg/m²
149.77kg/m²
燃料[ 注釈 8]
144gal (545ℓ)
プロペラ[ 注釈 9]
ブレード3枚 直径9ft 9in (2.97m)
エンジン
Pratt & Whitney R-1830-86 (1,200Bhp) ×1
最高速
329mph/21,100ft (529km/h 高度6,431m)
320mph/18,800ft (515km/h 高度5,730m)
上昇力
2,450ft/m S.L. (12.45m/s 海面高度)、20,000ft (6,096m) まで10分18秒
20,000ft (6,096m) まで12分24秒[ 6]
実用上昇限度
36,400ft (11,095m)
34,000ft (10,363m)
航続距離[ 注釈 10]
1,420st.mile (2,285km) ※2×58galタンク搭載時 1,635st.mile (2,631km) ※2×58galタンク搭載時 (FERRY)
1,050st.mile (1,690km) ※1×58galタンク搭載時 1,275st.mile (2,052km) ※2×58galタンク搭載時
武装
AN/M2 12.7mm機関銃 ×4 (弾数計1,800発)
AN/M2 12.7mm機関銃 ×6 (弾数計1,440発)
機体名
FM-2[ 7]
XF2M-1[ 8]
全長
28ft 10.625in (8.80m)
28ft 6.296in (8.69m)
全幅
38ft (11.58m) → 14ft 4in (4.37m) ※主翼折り畳み時
37ft 6in (11.43m) → 16ft 8in (5.08m) ※主翼折り畳み時
全高
11ft 5in (3.48m)
12ft 11.5in (3.95m) → 13ft 8in (4.17m) ※主翼折り畳み時
翼面積
260ft² (24.15m²)
235ft² (21.83m²)
空虚重量
5,448lbs (2,471kg)
5,818lbs (2,639kg)
総重量
7,487lbs (3,396kg)
7,856lbs (3,563kg)
翼面荷重
140.62kg/m²
163.22kg/m²
燃料[ 注釈 11]
126gal (477ℓ)
150gal (568ℓ)
プロペラ[ 注釈 12]
ブレード3枚 直径10ft (3.05m)
ブレード3枚 直径11ft 4in (3.45m)
エンジン
Wright R-1820-56 (1,350Bhp) ×1
Wright R-1820-70W (1,350Bhp 最大:1,500Bhp) ×1
最高速
326mph/10,700ft (525km/h 高度3,261m)
407mph/26,000ft (655km/h 高度7,925m)
上昇力
3,650ft/m S.L. (18.54m/s 海面高度)、20,000ft (6,096m) まで7分30秒
3,390ft/m S.L. (17.22m/s 海面高度)、20,000ft (6,096m) まで6分18秒
実用上昇限度
34,700ft (10,577m)
37,400ft (11,400m)
航続距離[ 注釈 10]
1,150st.mile (1,851km) ※1×58galタンク搭載時 1,310st.mile (2,108km) ※2×58galタンク搭載時
1,555st.mile (2,503km) ※1×100galタンク搭載時 1,570st.mile (2,527km) ※2×58galタンク搭載時
武装
AN/M2 12.7mm機関銃 ×4 (弾数計1,720発)
AN/M2 12.7mm機関銃 ×4 (弾数計1,400発)
現存する機体
登場作品
『艦隊これくしょん -艦これ- 』
F4F-3、F4F-4、FM-2が登場。
脚注
注釈
^ 尚、「FM-1」、「FM-2」という表記がされることが多いが、この場合の「-1」、「-2」は当時のアメリカ海軍命名規則(機種符号+設計番号+メーカー符号、戦闘機のF・ジェネラル社に割り当てられたMで1は使用しない、型番の-1/2/3等)からは「F4F-3」の「-3」の部分に当たり、「第*次改良型」を示す
^ 幅が11.58mから4.37mに減少、それまでの型2機分のスペースに5機を搭載できた。
^ この時、ブラックバーン 社によりスロットルの動作方向はフランス式からイギリス式に変更されている。
^ 英国海軍の空母艦載機は未だに単葉機への完全転換もならず、さらには老朽化した複葉戦闘機に変わりスクア 急降下爆撃機が戦闘機の代わりをしているという状況であった。また、スクアの戦闘機型であるロック は、戦術思想的失敗と設計的失敗から艦載機としての運用は絶望的であり、さらには、ロックとスクアの交換機として配備したフェアリー社製フルマー 戦闘機は爆撃機を基にした複座戦闘機であり、新鋭機の導入は急務であった。
^ この時撃ってこないため相手の故障に気がついた
^ 零戦は速度が300km/hを越えたあたりから舵が重くなり、500km/hを越えたあたりでは、ほぼ舵が動かなくなったという。また、試作段階において急降下を行った際に空中分解を起こしており、急降下には厳しい速度制限があった。
^ ゼロ(零戦のこと)と格闘戦 をしてはならない。時速300マイル以下において、ゼロと同じ運動をしてはならない。低速時には上昇中のゼロを追ってはならない。
^ 搭載可能燃料は機体内燃料タンクに144gal (545ℓ)、落下増槽タンクを58gal (220ℓ) ×2の合計260gal (984ℓ)
^ F4F-3:[PROPELLER:CURTISS ELECTRIC C.S.、BLADE:NO.512 (×3)、DIAMETER:9ft 9in (2.97m)、Area:6.94m²]
F4F-4:[PROPELLER:CURTISS ELECTRIC C.S.、BLADE:NO.512-ICL-5-15 (×3)、DIAMETER:9ft 9in (2.97m)、Area:6.94m²]
^ a b 航続距離はF4F-3は条件不明、FM-2では燃料消費量+5%、F4F-4/XF2M-1では燃料消費量+15%の補正後に算出されている
^ 搭載可能燃料は
FM-2では機体内燃料タンクに126gal (477ℓ)、落下増槽タンクを58gal (220ℓ) ×2の合計242gal (916ℓ)
XF2M-1では機体内燃料タンクに150gal (568ℓ)、落下増槽タンクを58gal (220ℓ) ×2または100gal (379ℓ) ×1の最大266gal (1,007ℓ)
^ FM-2:[PROPELLER:CURTISS ELECTRIC C.S.、BLADE:NO.109354-12 (×3)、DIAMETER:10ft (3.05m)、Area:7.30m²]
XF2M-1:[PROPELLER:AEROPRODUCTS、BLADE:NO.H-20-156-19M (×3)、DIAMETER:11ft 4in (3.45m)、Area:9.37m²]
出典
参考文献
関連項目
外部リンク