動天
『動天』(どうてん)は、1991年の日本映画[2]。トーメン制作、東映京都撮影所制作協力、東映配給。
| 動天 | |
|---|---|
| 監督 | 舛田利雄 |
| 脚本 |
芦沢俊郎 笠原和夫 舛田利雄 |
| 原作 | なかにし礼 |
| 製作 |
北村恒夫 岡田茂 |
| 出演者 |
北大路欣也 黒木瞳 島田陽子 西郷輝彦 三浦浩一 内藤剛志 江守徹 |
| 音楽 | 池辺晋一郎 |
| 主題歌 | 谷村新司『動天』 |
| 撮影 | 北坂清 |
| 編集 | 市田勇 |
| 製作会社 | トーメン |
| 配給 | 東映 |
| 公開 |
|
| 上映時間 | 123分 |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| 配給収入 | 10億5000万円[1] |
『動天』(どうてん)は、1991年の日本映画[2]。トーメン制作、東映京都撮影所制作協力、東映配給。
概要
作詞家のなかにし礼がトーメンに出資を頼み、同社の創業70周年記念作品として製作された[2][3][4]。幕末の横浜を舞台に時代の先駆者として日本の開国に貢献したとされる商人・中居屋重兵衛の半生を映画化[2][5][6]。
あらすじ
安政5年、徳川幕府は日米通商条約を結び、横浜開港を決めた。上州出身の中居屋重兵衛は、商人ながら佐久間象山の門下に勝海舟と共に学び、火薬、砲術、語学などに精通する。世界を相手にした商いを目標とする重兵衛は、日本橋の店を畳んで横浜に進出。広大な土地を借り受け外国商館に引けを取らない豪壮な館を建築し、外国貿易を切り開いていく。しかし急速な西欧化に反対する勢力による"大獄"が猛威を振るう。幕府の横浜への弾圧は激しさを増し、商人たちが大打撃を受ける日が目前に迫る。重兵衛は開国日本と自由貿易を信じ水戸烈士たちへの陰からの支援を決意する[4][5]。
キャスト
- 中居屋重兵衛:北大路欣也
- おその:黒木瞳
- おらん:島田陽子
- 勝海舟:西郷輝彦
- 松田玄仲:三浦浩一
- 井伊掃部頭直弼:江守徹
- 水戸斉昭:芦田伸介
- 大場新八郎:堤大二郎
- お春:佐藤忍
- 岩瀬肥後守忠震:高橋悦史
- 君香:辻沢杏子
- ポン太:太宰由美子
- 赤松左衛門尉範忠:磯部勉
- 三枝勘兵衛:平泉成
- 関鉄之介:内藤剛志
- 和泉屋善兵衛:下川辰平
- 佐助:下絛アトム
スタッフ
- 監督 - 舛田利雄
- 原作 - なかにし礼
- 脚本 - 芦沢俊郎、笠原和夫、舛田利雄
- 企画 - なかにし礼、渡辺亮徳、太刀川恒夫
- 製作 - 北村恒夫、岡田茂
- プロデューサー - 二橋進悟、佐藤雅夫、中山正久
- 撮影 - 北坂清
- 美術 - 井川徳道
- 照明 - 金子凱美
- 録音 - 芝氏章
- 整音 - 荒川輝彦
- 編集 - 市田勇
- 記録 - 黒川京子
- 助監督 - 西垣吉春
- 擬斗 - 菅原俊夫
- 火薬効果 - 大平特殊効果、伊藤火薬
- 音楽 - 池辺晋一郎
- 音楽プロデューサー - 高桑忠男
- 特撮 - 東宝映像美術
- サンフランシスコロケ制作担当 - サイモン・ツェー
- 特別協賛 - 日本郵船
- 製作協力 - 東映京都撮影所、NRコーポレーション
- 製作 - トーメン
製作経緯
企画
なかにし礼が太刀川恒夫、渡辺亮徳を伴い岡田茂東映社長(当時)へ本企画を持ち込み「前々から、なんとかして映画を作りたいと想い続けてきた」「製作資金はトーメンが面倒見てくれる。前売りも100万枚確保します。東映には迷惑かけませんから」と直談判し[3]、北村恒夫トーメン社長(当時)を囲んで会い、北村の「なかにし君のロマンに賭けたい」という言葉に納得して「なかにし君の夢をかなえてやろう」と東映で製作を決めた[3]。なかにしはトーメンの顧問を務めていた[7]。本作の主人公・中居屋重兵衛は商社マンの先駆者のような人物とされるためトーメンが出資を決め[3]、前売り券も70万枚契約したという[3]。東映はテレビもビデオもマーチャンも、全部東映がオールライツを握るというのを大原則にしてきたが、当時の映画界を取り巻く状況から方向転換し、組む相手にも出資させる、そのかわり権利の配分を渡すというように年間数本の外部との提携作品を織り込んでいく方針を打ち出していた[3]。
製作会見
1990年8月21日、東京會舘で製作記者会見が行われた[2]。席上、岡田東映社長は「企業との完全タイアップは初めて。相手に損をかけてはいけないので、これまで企業提携はあまりやらなかったが、時代も変わり、今後は各種の提携を実施していく」等と述べた[2]。またこの会見では製作費15億円、現在撮影中で、(1990年)10月下旬クランクアップし、来年1月26日から正月第二弾として東映邦画系(本番線)で公開を予定、などと発表された[2]。
脚本
タイトルの『動天』は商人が「天を動かす」という意味で、なかにしこだわりの命名[7]。なかにしが中居屋重兵衛の話を見つけて企画を立て既に脚本を書いていたが[8]、内容が映画的でないと判断され[8]、舛田に頼まれた笠原和夫が入り脚本の手直しの準備を始めた[3][7]。しかし岡田東映社長が、なかにしが笠原とぶつかることを危惧し[8]、笠原が仕事がなくて困っていた芦沢俊郎を舛田に紹介し、芦沢が笠原の後任として途中から参加した[7]。ところが芦沢が怠け者で仕事をせず、笠原も岡田社長の指示で『福沢諭吉』の脚本にまわり、結局なかにしが原作としてクレジットされ、脚本はほぼ舛田が作成したという[8]。なお、本作の主人公・中居屋重兵衛は架空の人物という説もあり、当時も確証の高い資料は見つからず、内容はフィクション部分が多い可能性もある[8]。
製作費
当時はバブル期でトーメンが文化事業という名目で製作費10億円を全額出資[8]。うち3億円をなかにしが使い、1億円を東映京都撮影所が使用した[8]。琵琶湖畔の空き地に京都撮影所のスタッフが当時の横浜を再現したオープンセットを製作した[7]。
作品の評価
興行成績
10億5000万円。1991年配給収入日本映画第8位[1]。
批評
石坂昌三は「『動天』は、かつての東映チャンバラ時代劇を見せられたようで、アナクロもいいところ。正直言って"動顚"した(中略)1950年代なら喝采を受けたかもしれないが、時代も映画も変ったのだ。森繁久彌主演の『流転の海』もそうだったが、観客として映画の主人公に同化できず、違和感でシラけてしまうのである(中略)浅学の私は、横浜に住んだこともあるのに中居屋重兵衛を知らなかった(中略)パンフレットにトーメンという総合商社の社長・北村恒夫が『総合商社も本来の経済活動に注力することは勿論のことながら、それとは別に文化活動に力を入れ、広く文化社会の発展のために貢献し、企業イメージを一層魅力的なものにすることが大切である。『動天』の主人公・中居屋重兵衛はそのイメージが総合商社の原点の姿にオーバーラップする』と書いている。しかし、世界を経済征服し、震撼させている『総合商社』の文化事業としては、この映画、スケールが小さ過ぎるのではなかろうか。第一こんな映画が、果たして『文化』と言えるか(中略)日本映画再建のために、儲けすぎの商社の余った金を映画製作につぎ込んでもらうのは大歓迎だが、これまで商社が金を出した映画は三井物産が『BEST GUY』『クライシス2050』、三菱商事が『マリリンに逢いたい』、住友商事が『AKIRA』、伊藤萬が『シンデレラ・エクスプレス』などロクな作品がないのは困ったもの。情報収集、データ分析に優れ、勉強家揃いの商社マンが、どうしたことか」等と評している[9]。
脚注
- ^ a b 1991年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ a b c d e f 「シナリオボックス ●舛田利雄監督 時代大作『動天』製作発表」『シナリオ』1990年11月号、日本シナリオ作家協会、126頁。
- ^ a b c d e f g 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年、252-255頁。ISBN 978-4-636-88519-4。
- ^ a b 舛田利雄/佐藤利明/高護『Hotwax責任編集 映画監督 舛田利雄 ~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~』シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年、493頁。ISBN 978-4-401-75117-4。
- ^ a b 「日本映画紹介」『キネマ旬報』1991年2月下旬号、258頁。
- ^ 動天 -DOHTEN-|一般社団法人日本映画製作者連盟、『ぴあシネマクラブ 邦画編 1998-1999』ぴあ、1998年、471頁。ISBN 4-89215-904-2。
- ^ a b c d e 『~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~』、392-394頁
- ^ a b c d e f g 笠原和夫・荒井晴彦・絓秀実『昭和の劇:映画脚本家笠原和夫』太田出版、2002年、552-556頁。ISBN 4-87233-695-X。
- ^ 石坂昌三「批評 動天 『正直言って"動顚"した』」『シネ・フロント vol.172』1991年2月号、シネ・フロント社、7-8頁。
外部リンク
- 動天 - allcinema
- 動天 - KINENOTE
- 動天 - MOVIE WALKER PRESS
- 動天 - 映画.com
- 動天 - 日本映画製作者連盟
- 動天 - 日本映画データベース
- Douten - IMDb
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