和田 尊義(わだ たかよし、1876年(明治9年)8月1日 - 1910年(明治43年)10月17日)は、明治時代の政治家。衆議院議員。
経歴
和田治太郎義尚、藤の長男として土佐国長岡郡小蓮村(岡豊村小蓮を経て、現在の南国市)に生まれる。初代彦五郎から続く地元の資産家。1897年(明治30年)高知尋常中学校を卒業し、第三高等学校に入学するが、病気を理由に中退。1902年(明治35年)6月から1905年(明治38年)3月まで母校の高知県立第一中学校で教諭心得を務める。この間、テニス部、ボート部の指導に当たり、1904年(明治37年)には京都武徳会端艇競漕会で全国優勝を果たした。
その後、岡豊村教育兵事長、土佐農工銀行専務を経て、1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙に高知県郡部から出馬し当選するが、在任中に結核により没した。
親族
脚注
参考文献