『大忠臣蔵』(だいちゅうしんぐら)は、全52回にわたり、1971年(昭和46年)1月5日から12月28日まで、NETテレビ(現在のテレビ朝日)系列ほかで(毎週火曜午後9時)に放送されたテレビドラマである。 三船敏郎のテレビ初主演作品。
概要
民放番組としては異例ともいえる規模を誇る大作時代劇で、“民放版大河ドラマ“ともいえる作品。
当時よりNHK大河ドラマを意識した、あるいは大河ドラマに対抗するべく立ち上げられた時代劇企画は少なくなかったが、下記の点が当作について、NHK大河ドラマに匹敵する大作として語られる所以となっている。
- 主な役だけではなく、端役に至るまで当時テレビ出演が可能であった大物俳優をこぞって出演させた。
- 当時人気があったタレントやコメディアンも端役などで数多く起用している(コント55号、堺正章など)。
- 主題曲は勇壮なオーケストラであった。なお、作曲者の冨田勲は大河ドラマの音楽を5回担当している。
- 放送期間がまる1年間、1時間枠で全52話という大規模なものであった。
物語は浅野内匠頭の祝言から始まり、江戸城松の廊下の刃傷事件によりおこる赤穂藩の悲劇を経て、多くの名場面を綴りながら討入りに向かっていくという、大石内蔵助たち赤穂浪士を中心に描く、定番の忠臣蔵作品。
江戸城松の廊下の刃傷沙汰については、原因は播州秘伝赤穂塩の製塩法を巡る播州浅野家と吉良家との軋轢が元との解釈を採っている。一年間放映の長丁場を生かして刃傷までの経緯も丁寧に描かれ、事件発生は第5回であった。
既に多くの時代劇で剣豪を演じて固まっていた主演・三船の“強い侍“のイメージを生かし、彼が得意とする殺陣を番組の売りのひとつにする狙いもあって、大石が東軍流剣術の心得があった史実を取り入れ、三船演じる大石を剣の達人に設定、大石が刺客や隠密たちと自ら渡り合う場面がふんだんに描かれた。
既存の原作は用いず、オリジナル脚本で制作することと、忠臣蔵で一般によく知られている挿話については洩らさず取りあげて長丁場を生かすこと、という2点が物語面での方針として徹底されていた[1]といい、公儀隠密を束ねる柳生家が柳沢の意を受けて赤穂浪士たちの討入り阻止のため諜報作戦を展開、その活動が多くのお馴染みの名場面にも絡んでいくという、企業スパイの横行した放映当時の世相も取り込む形[1]で、スパイサスペンスの趣向も盛り込まれた。このため赤穂浪士たちが諜報作戦にも立ち向かいながら本懐を目指す物語[2]となっており、多くの名場面を盛り込んだ、全体として定番の忠臣蔵作品でありながら、挿話それぞれの描き方においてはかなり特徴的な展開がみられ、本作の個性となっている。
最高視聴率は、第50回「討入り その一」の32.8%(「テレビ朝日開局60周年記念 年代別にすべて発表!! 番組視聴率ランキング」の1970年代視聴率ランキング 7位)で、この回は実際の討入りの日であった12月14日に放送されている。
後述のとおり、討入り場面の撮影前に上野介役の市川中車が急逝してしまったため、第47話以降は実弟の市川小太夫が後任として上野介を演じた。
DVD版が発売されており視聴可能である(全13巻・レンタルもあり)。
スタッフ
配役
浅野家/赤穂藩
吉良家・上杉家
幕府関係者 他
その他
- 津々井巧二
- 小沢憬子
- 山内俊和
- 今西正男
- 佐藤萬里
- 益海愛子
- 鈴木馨介
- 加藤真知子
- 相原昇
- 余村吾郎
- 花村えいじ
- 渡辺貞男
- 森下明
- 岡豊
- 林きく子
- 石堂洋子
- 逸見慶子
- 遠山智英子
- 山之辺潤子
- 小倉康子
- 桔梗恵二郎
- 滝左太郎
- 園八雲
- 阿部希郎
- 鶴賀二郎
- 北見治一
- 橋本仙三
- 邦創典
- 横山勝
- 建部道子
- 金子幸枝
- 角谷恵美子
- 野間洋子
- 沢田清
- 佐久間三雄
放映リスト
話
数
|
放送日 |
サブタイトル |
脚本 |
監督
|
1 |
1971年1月5日 |
風雲はらむ赤穂城 |
高岩肇 |
土居通芳
|
2 |
1971年1月12日 |
渦巻く黒い霧 |
高岩肇
土居通芳
|
3 |
1971年1月19日 |
美しき士魂 |
宮川一郎 |
村山三男
|
4 |
1971年1月26日 |
耐えがたき日々
|
5 |
1971年2月2日 |
元禄の一番長い日 |
高岩肇
土居通芳
|
土居通芳
|
6 |
1971年2月9日 |
悲報赤穂へ |
宮川一郎 |
西山正輝
|
7 |
1971年2月16日 |
大いなる決断
|
8 |
1971年2月23日 |
暗躍する隠密群 |
池田一朗 |
古川卓己
|
9 |
1971年3月2日 |
大評定
|
10 |
1971年3月9日 |
葬られた嘆願書 |
村山三男
|
11 |
1971年3月16日 |
神文血判
|
12 |
1971年3月23日 |
赤穂城の落日 |
土居通芳
|
13 |
1971年3月30日 |
下級武士 |
村山三男
|
14 |
1971年4月6日 |
瑤泉院の持参金 |
丸輝夫
|
15 |
1971年4月13日 |
髷斬り魔 |
土居通芳
|
16 |
1971年4月20日 |
柳生の隠密 |
村山三男
|
17 |
1971年4月27日 |
公儀への一戦 |
柴英三郎 |
土居通芳
|
18 |
1971年5月4日 |
分裂 |
西山正輝
|
19 |
1971年5月11日 |
静かなる対決
|
20 |
1971年5月18日 |
哀しき士情 |
土居通芳
|
21 |
1971年5月25日 |
女間者 |
村山三男
|
22 |
1971年6月1日 |
第一の脱落者
|
23 |
1971年6月8日 |
大石伏見に遊ぶ |
池田一朗 |
西山正輝
|
24 |
1971年6月15日 |
見えざる魔手 |
土居通芳
|
25 |
1971年6月22日 |
悲恋お軽勘平 その一 |
柴英三郎 |
西山正輝
|
26 |
1971年6月29日 |
悲恋お軽勘平 その二
|
27 |
1971年7月6日 |
秘めたる慕情 |
柴英三郎 |
土居通芳
|
28 |
1971年7月13日 |
死を賭けた探索 |
西山正輝
|
29 |
1971年7月20日 |
浪花に散った恋 |
池田一朗 |
村山三男
|
30 |
1971年7月27日 |
刺客群山科へ |
土居通芳
|
31 |
1971年8月3日 |
男の盟約 |
西山正輝
|
32 |
1971年8月10日 |
紅蓮の隅田川密議 |
柴英三郎 |
土居通芳
|
33 |
1971年8月17日 |
山科の別れ |
池田一朗 |
村山三男
|
34 |
1971年8月24日 |
若き獅子たち |
柴英三郎 |
西山正輝
|
35 |
1971年8月31日 |
琴をひく女 |
池田一朗 |
土居通芳
|
36 |
1971年9月7日 |
若き義士の母二人 |
村山三男
|
37 |
1971年9月14日 |
天野屋利兵衛は男でござる |
西山正輝
|
38 |
1971年9月21日 |
大石東下り |
柴英三郎 |
村山三男
|
39 |
1971年9月28日 |
暁の江戸潜入 |
西山正輝
|
40 |
1971年10月5日 |
吉良家の人々
|
41 |
1971年10月12日 |
決闘 堀部安兵衛 |
池田一朗 |
土居通芳
|
42 |
1971年10月19日 |
槍の俵星玄蕃 |
村山三男
|
43 |
1971年10月26日 |
散りいそぐ義士 |
土居通芳
|
44 |
1971年11月2日 |
敵を恋うる女
|
45 |
1971年11月9日 |
目ざすは本所松坂町 |
柴英三郎
|
46 |
1971年11月16日 |
いずこの空や十四日
|
47 |
1971年11月23日 |
四十八人目の男 |
西山正輝
|
48 |
1971年11月30日 |
雪の十二月十四日 |
池田一朗
|
49 |
1971年12月7日 |
南部坂雪の別れ
|
50 |
1971年12月14日 |
討入り その一 |
村山三男[8]
|
51 |
1971年12月21日 |
討入り その二
|
52 |
1971年12月28日 |
切腹
|
制作背景
NET所属の勝田康三プロデューサーが当作の現場指揮を任された際、制作局長・田中亮吉より、作品について、既存の原作は用いず、オリジナル脚本で制作することと、忠臣蔵で一般によく知られている挿話については洩らさず取りあげる、という先述の方針を指示された。勝田はエラい仕事が来た、と思いつつ肚を決め、脚本家たちを選んで、メイン格に選んだ池田一朗[9](後の作家・隆慶一郎)と共に、東京で旅館に籠もって企画を練った。旅館で資料として約200冊の関連書を読み込んだが、既存作を取り入れないとの上記の条件もあっただけに、作家が創作した挿話を知らずに脚本に取り込む形になるのを避けるため、読破したうえで物語造りを進める意図が大きかったとのこと[10]。
制作は三船率いる三船プロで、同プロにとってもテレビへの本格進出に乗り出した正念場の作品だったが、東映がNETでの三船プロ制作に反発したため[11]、NETの田中制作局長が東映・大川博社長と交渉、結局、三船を東映作品に出演させる約束をして、三船プロ制作を納得してもらった。田中はその上で、佐久間良子(当時東映所属)の当作への出演を大川に了解させ、粘り腰を見せた[12]。
大物俳優を集めたためにそれぞれのスケジュール調整が困難だったこともあってか、序盤ないし中盤にレギュラー或いはセミレギュラーとして四十七士役で出演していた何人かは、終盤の討入りの回に登場しないという事態が起きている[13]。
放映ネット局
△は同時ネット、※は遅れネット
- ★宮城テレビ、北陸放送、信越放送、南日本放送では1月4日に放映が開始されており(いずれも月曜21:00から)、その後もキー局のNETテレビより一日早く放映されていた。
- 放送時間については当時の『週刊TVガイド』(東京ニュース通信社、1971年1月。発行日不明)に掲載されていた番宣広告より [1]。
出典・脚注
- ^ a b 『実録テレビ時代劇史』(著:能村庸一/ちくま文庫/2014年1月刊)p224。
- ^ 『忠臣蔵入門』(著:春日太一/角川新書/2021年12月刊)p199。
- ^ 他の役でも出演している。
- ^ 討ち入り時点で実在の千坂兵部は既に他界し、江戸家老は色部又四郎になっていたが、本作品では千坂兵部となっている。
- ^ 1964年のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」でも同じ役を演じている。ただし、役名は「小林平七」である。
- ^ キャストクレジット漏れ。
- ^ キャストクレジットでは役名が「庄田下総守」になっている。
- ^ 51話 討入り その二 は、土居通芳および西山正輝の連名となっている
- ^ 全52回のうち28回を執筆、討入りの回も手がけた。
- ^ 『実録テレビ時代劇史』(著:能村庸一/ちくま文庫/2014年1月刊)p224。
- ^ 東映はNETの外注番組で多く制作にあたり、既に『あゝ忠臣蔵』(1969年・フジテレビ系)でテレビでの忠臣蔵作品の制作実績もあった。
- ^ 『実録テレビ時代劇史』(著:能村庸一/ちくま文庫/2014年1月刊)p223。
- ^ 伴淳三郎、フランキー堺、中村賀津雄、江原真二郎、等が第50話及び51話の討ち入りの回に出演していない。
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1959年10月 - 1960年4月 (NETテレビ、15分枠) |
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1962年10月 - 1963年3月 (NETテレビ、30分枠) |
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1963年10月 - 1966年9月 (NETテレビ、30分枠) |
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1966年10月 - 1977年3月 (NETテレビ、1時間) |
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1977年4月 - 1983年4月 (テレビ朝日・第1期) |
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1985年4月 - 1987年2月 (テレビ朝日・第2期) |
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1991年10月 - 1993年3月 (朝日放送) |
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2022年10月 - (テレビ朝日・第3期) |
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