インゴ・シュトイアー(ドイツ語: Ingo Steuer、1966年11月1日 - )は、ドイツ、ケムニッツ出身の男性フィギュアスケート選手。1998年長野オリンピックペア銅メダリスト。1997年世界フィギュアスケート選手権ペアチャンピオン。パートナーはマンディ・ベッツェルなど。コーチとして、アリオナ・サフチェンコ/ロビン・ゾルコーヴィ組を5度の世界チャンピオンに導いた。
経歴
旧東ドイツのカール=マルクス=シュタット(現在のケムニッツ)に生まれ、幼少期にスケートを始めた。マヌエラ・ラントグラフ(Manuela Landgraf)とペアを組んで1984年の世界ジュニア選手権で優勝、同選手権初のドイツ人優勝者となる。1988-1989シーズンよりイネス・ミュラーとペアを組み、欧州選手権で7位になる。
1992-1993シーズンからマンディ・ベッツェルとペアを組み、1995年の欧州選手権に続いて1996-1997シーズンのISUグランプリファイナルおよび世界選手権で優勝。1997年、膝の手術や交通事故に遭うトラブルを経るも、翌年の長野オリンピックで銅メダルを獲得、のちプロに転向した。
コーチとしてはアリオナ・サフチェンコ/ロビン・ゾルコーヴィ組を指導した。同ペアのトリノ五輪出場前、シュトイアーは東ドイツ時代にシュタージ(秘密警察)に協力していたという告発を受けた。一旦は代表チームから外されたが、大会直前になってベルリン地裁の処分撤回命令を受けてチームに復帰する[1]。その後もシュトイアーとドイツスケート連盟との確執は続き、サフチェンコとゾルコーヴィはコーチの変更を迫られ、これを拒否したため国からの財政支援を打ち切られるなどしたが、2007年5月、ドイツスケート連盟がシュトイアーを同ペアのコーチとして正式に認めたことにより、騒動は収束した[2]。
2014年の秋に、長年指導していたアリオナ・サフチェンコとの師弟関係を解消してアメリカのコーラルスプリングスのフロリダパートナーズアイスデンに移籍し、ジョン・ジマーマンのチームに加わった。給与の未払いと過去のシュタージの関係によりスケート連盟からの援助を受けられないことを理由としている[3]。さらには2018年平昌オリンピックに向けて結成された、韓国初の2組のペアのコーチも担当する[4]。
主な戦績
- 1991-1992シーズンまではイネス・ミュラーとのペア
- 1992-1993シーズンよりマンディ・ベッツェルとのペア
脚注
- ^ “<トリノ五輪>シュトイアー、ドイツ五輪チームへ復帰”. AFP BB (2006年2月9日). 2007年11月21日閲覧。
- ^ Flade, Tatjana (2007年7月10日). “Mission accomplished” (英語). Golden Skate. 2007年11月21日閲覧。
- ^ Steuer joins Zimmerman to train Denney, Frazier
- ^ 피겨 페어스케이팅 국가대표
外部リンク
ISUグランプリシリーズ(1995-) |
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名称の変遷:スケートカナダ(1973-現在)/ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(1995-現在) |
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名称の変遷:富士フイルム杯(1986-1987)/ネイションズ杯(1989-1994)/ISUグランプリシリーズ ネイションズ杯(1995-1996)/ ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(1997-2001)/ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯(2002)/ボフロスト杯(2003-2004) |
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