ダテホーライは、日本の競走馬。1969年に行われた第10回宝塚記念の勝ち馬である。タケシバオー、アサカオー、マーチス、タニノハローモア、キタノダイオーらとは同世代にあたる。
来歴
馬齢は旧表記(数え年)とする。
1967年
1967年7月23日、函館競馬場(以下、函館)の3歳新馬戦でデビューし3着。初勝利は2戦目となるオープン(函館)。 しかしその後は勝ち星から遠ざかった。
1968年
1968年1月27日の雪割草特別(中京競馬場、以下中京)で8戦ぶりの勝利となる2勝目を挙げ、2月18日のきさらぎ賞(中京)ではマーチスの5着。その後、3月3日の春駒賞(京都競馬場、以下京都)を勝った。
この年は東京競馬場(以下、東京)のスタンド改築工事の影響により、皐月賞が5月19日、東京優駿が7月7日に行われる変則日程となっており、クラシック戦線を睨むうえではローテーション的にはまだ余裕があった。しかし当馬は4月7日の4歳ステークス(阪神競馬場、以下阪神)で失格となり、約1か月の出走停止処分となったことが影響して、皐月賞を回避することになる。
5月5日、京都4歳特別(京都)に出走し3着。その後東京優駿を目指し、東上最終便ともいうべき6月2日の毎日盃(阪神)では単勝1番人気に応え、初の重賞勝ちを収めた。しかし、東上初戦となる6月23日のオープン(東京)では7着と敗退。さらに東京優駿(東京)では、左前釘傷のため競走除外となった。
秋は10月6日の朝日チャレンジカップ(阪神)から始動し、同レースでは3着。続く10月27日の京都盃(京都)でも3着に入る。11月17日の菊花賞(京都)では、勝ち馬のアサカオーから1馬身4分の1差の2着となった。続く12月7日のオープン(中京)では1分25秒4という、ダート1400メートルにおけるレコードをマークし勝利したが、12月29日の阪神大賞典(阪神)では1番人気に支持されながらも3着に終わった。
1969年以降
1969年1月19日の日本経済新春盃(京都)では、4歳時になかなか勝てなかったタニノハローモアを首差抑えて勝利。続く2月9日の中京記念(中京)ではハローモアの3着に敗れたが、2月23日の中京大賞典(中京)ではハローモアを4着に沈め勝った。4月6日のサンケイ大阪盃(阪神)では2着のアサカオーに2馬身の差をつけ、重賞連勝。4月29日の春の天皇賞(京都)では4着に終わったが、マーチス(5着)には1馬身半差先着した。
その後、6月1日の宝塚記念(京都)に出走。ファン投票で上位に選ばれたアサカオー、タケシバオーが出走せず[2]わずか4頭立てというメンバー構成となり、マーチスに次ぐ2番人気に推された[2][3]。レースは逃げるダイイチオーを残る3頭で追う形となり、脱落したメジロシンゲンをのぞく3頭の争いとなって直線勝負にもつれこんだが、最後は2着マーチスに1馬身の差をつけ、2分16秒1のレコードタイムで勝った[2][3]。
その後6月29日の鳴尾記念(京都)に出走、不良馬場のなか61キログラムの負担重量を背負うが4着と敗れる[4]。しかし秋初戦となる9月28日の朝日チャレンジカップ(阪神)では、61キログラムのトップハンデを背負いながらも2分1秒9のレコードをマークし勝利。これを契機に東上の予定だったが、骨折のため休養を余儀なくされる。
1970年4月12日、マイラーズカップ(阪神)で復帰。トウメイに半馬身差の2着に入り、4月29日の春の天皇賞(阪神)の有力候補となったが左肩跛行のため出走取消となり[5]、またこれが現役最後の記録となった。
引退後は種牡馬となり、コーナンルビー(帝王賞、羽田盃、浦和桜花賞)などを送り出した。1979年4月23日に死亡した[6]。
血統表
ダテホーライの血統(ダークロナルド系/Blenheim 4x5=9/38%、 Blandford 母内4x5=9.38%、 Friar Marcus 5x5=6.25%) |
(血統表の出典)
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父 ウイルデイール 1956 黒鹿毛 日本
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父の父 Wilwyn 1948 鹿毛 イギリス
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Pink Flower
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Oleander
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Plymstock
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Saracen
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Donatello
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Lovely Rosa
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父の母 *メードンスグリーン Maidens Green 1946 鹿毛 イギリス
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Straight Deal
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Solario
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Good Deal
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Windsor Lady
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Beresford
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Resplendent
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母 *ペルシアンレーゼンド Persian Legend 1958 黒鹿毛 イギリス
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Persian Gulf 1940 鹿毛 イギリス
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Bahram
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Blandford
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Friar's Daughter
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Double Life
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Bachelors Double
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Saint Joan
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母の母 Legende 1939 鹿毛 フランス
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Pampeiro
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Blenheim
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Pie Grieche
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Chevalerie
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Abbot's Speed
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Kassala F-No.9-f
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弟に東京盃を勝ったオーナーズシユン(中央競馬ではインターマサアキの名で出走)がいる[1]。
脚注
外部リンク